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第3話 宮廷画家
「あぁ?」
「アーティストって、もっと変人だと思ってた」
「それは随分な偏見だな。そう言う君は何の勉強したいの?」
「音楽」
「うわあ、それはまた」
「でも、やっぱ仕事としては難しいんだろうなって」
「美術以上に厳しいかもね。じゃあ目指してるのは音大?」
「はい」
「美術畑は貧乏人もいるけど、音楽科は金持ちばっかだろ?」
「良く知ってますね」
「そりゃ、俺もそういうとこにいたからね」
「その中でも僕、邦楽なんで、間口狭いし、その狭いとこ通れても、仕事としてはかなり限られる」
「邦楽? 和楽器ってこと?」
「そう、三味線」
「三味線かあ。どうしてやろうと思ったの。家がそれ関係?」
「全然。小学校の頃、日本文化の体験ワークショップみたいなのがあって参加したら面白くて、そのままその先生の教室に通うことになって」
「そこからなんだ? 俺もそういうワークショップ講師を頼まれてやったことあるけど、夏休みの宿題をこなしたいだけの子ばかりだったな」
「想像できる」心当たりがあるのか、彼は笑った。「三味線はやりたがる子供は少ないから優しくしてもらえたし、ほんの数日でもできることがどんどん増えて楽しかった。でも、いざ本格的に中に入って、中学高校って進んでくるとそういうわけには行かなくて。それと、伝統文化だからなのか、いろんな」彼はそこで一度口籠り、トーンを落として続けた。「暗黙の了解が見えてきて、息が詰まる」
「ああ、そういうのはね、どこの世界にもあるよ」
「このままだと嫌いになりそう。いっそ音大目指すの辞めて、普通の大学行って普通に就職しようかなって思ったり」
「俺も、俺の周りでもそういう悩みはよくあるから分かるよ。けど、そんなの気にしなくても大丈夫、とは言えないかな。それで実際潰れていく奴はたくさん見てきたしね。とにかく、どんな結論出すにしても、決めるのは自分」
彼は落胆の色を隠さず、口の端だけで笑った。「やっぱり、普通」
「アーティストにとって普通なんて言葉、屈辱だな」
「じゃあ、常識的」
「それも同じ。いいか、芸術と言うものはだなぁ、常識を覆し、歴史を更新する何かを見出す行為なのだ」俺は受け売りの陳腐な言葉を、大仰に言った。
「そう思って描いてるんですか?」
冷静な声だった。皮肉のつもりなのかと俺は彼の顔を見る。だが、彼の表情は至って真剣で、そういった意図は感じられなかった。「……そう思って描いてるよ。あんまり理解されないけどね」
「理解、されない?」
「商業芸術で食ってると、それだけで芸術だとは認めない奴らは多い。音楽でもそうじゃないの? アイドルや広告の音楽は一段低く見られるってなこと、あるだろ?」
「ああ、ありますね。僕自身、そう思ってる、かも。今言われて気付いたけど」
「そこの線引きが俺にはよく分からない。100%己の内側から湧きだしたもんじゃないと芸術じゃないのか? 人から発注されて金もらって描いたものには価値がない? そんなこと言ったら、王様から金もらって描いた宮廷画家の作品がルーブルに収蔵されてるけど、どうして?って話だと思ってね」
「あ、やっとアーティストっぽいこと言いましたね」
「"ぽさ"なんてどうでもいいだろ。俺は俺だし、君は君だ。"らしさ"とか"ぽさ"とか考えてるうちはオリジナリティなんて生まれるわけがない」
彼はふふっと笑った。「今のは、すごく普通だけど、すごくアーティストっぽい言葉ですね」
ふいに窓から光が射し込んできた。どうやら外は晴れてきたようだ。
「お、晴れた。今のうちに帰りな」
「あっ、はい」彼は慌ててパーカーをつかむ。
貸すつもりだった傘はシャッター脇の壁に立てかけてあった。それを見て、彼は「傘を返しに来る口実が無くなっちゃった」と呟く。
「そんな口実なくても、遊びに来なよ。夕方からは大抵ここにいるから。餌やりのついでにでも」
「仕事の邪魔じゃない?」
「このシャッターを二、三回蹴飛ばしても出てこなかったら、留守か邪魔な時だから、その時は諦めて帰って。君だと分かればすぐに開けると思うけどね」
彼ははにかんだように笑って「はい」と言った。
彼を帰してしまった後で、名前すら聞いていないことに気付いた。だが、それは向こうも同じだ。まあ、名前など知らなくてもどうということもないだろう。
俺はようやく仕事に着手しようとパソコンデスクに座る。が、電源を入れて気が変わり、そこらにあったコピー紙に落描きを始める。
こんもりとした紫陽花。
しゃがみこむ青年の白いパーカー。
その端から飛び出ている黒猫の尻尾。
実際に見た光景ではない。現実のほうがもっと曖昧で、色の塊でしかなかったそれらを、俺は想像で写し取る。
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