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たいへんなへんたい(後)
「すみれちゃんが大学に戻るまでは、うちでは何もしない方がいいと思う」
幸彦が真面目な顔で言った。
「何もって?」
「キスとか」
そう幸彦が言ったと同時に玄関の鍵があく音がした。
「財布を忘れたぞ!」
すみれさんが二階に上がっていく。
幸彦の目が「ほらね」と語っていた。
すみれさんが再び出かけた後で、俺たちは物置に来た。すみれさんの描いた幸彦の絵を探すためだ。
すみれさんの絵のパネルはいっぱいあったが、問題の絵は一番奥にあって、逆にすぐ見つかった。
「うおっ」
明るい廊下に出してきて、思わず叫んだ。
一糸まとわぬローティーンの幸彦がアンティークなソファに身を横たえ、真っ直ぐこちらを見つめている。
ゴクリとつばを飲み下す。
美少年そのものだ。白い肌はなめらかで筆跡がよくわからない。色の変化もとてもきれいなグラデーションだ。
高校生の絵ってこんなだっけ?
「全部で三枚あるんだよ」
そう言いながら幸彦には残りの二枚を持ってきた。
一枚は籐椅子に腰掛けた幸彦が脚を組んで、右の肘掛けにもたれかかり、小首をかしげている。伏し目がちにこちらを見つめているのが、とても中性的で色っぽい。
最後の一枚は同じ籐椅子だった。のけぞるように喉をさらして流し目を送る幸彦は、肘掛けに左脚をかけていて、股間がはっきり描写されていた。
俺はうめいた。
「これは、駄目だわ……」
「でしょ? 高校生の作品としては不潔過ぎるし、中学生の弟を裸に剥いてるからね。だから滅多に叱らない両親が怒ってねー。この時ばかりはすみれちゃんに絵をやめろって言ったもの。あの母でさえ現実と空想世界は違うと断言していたよ」
幸彦は最悪の問題作を手にとってしげしげと見つめながら「母の影響はあるとは思うんだけど」と言った。
俺は訊ねた。
「よくこんな絵を描かせたな。幸彦にメリットあったのか?」
「あったよ」
当然と言わんばかりの表情だ。
「あのろくでもない姉を姉さんと呼ばなくていい権利を得た」
俺はびっくりした。でも言われてみれば幸彦がすみれさんのことを「すみれちゃん」と言い出したのは中学一、二年だったと思う。初めて聞いたときはびっくりした。あれはこのことがきっかけだったのか。
俺たちは問題作三枚を元に戻した。
幸彦が冷たい麦茶を入れてくれた。
「あんな人だからね、うっかり僕たちが仲がいいところを見せたら、絶対絵に描くって言い出すから。絶対に絶対に見せられないよ」
「そうだな」
幸彦がいたずらっぽく微笑った。
「だから、明日からできるだけ朔夜の家で勉強会しよう」
「了解」
俺も微笑う。
秘密を共有する者の微笑みだ。
真面目に勉強を始めて間もなく、幸彦が「そういえば」と手を止めた。
「何?」
幸彦がにまっと笑った。
「ふつうは精液って白濁してとろっとしているけど、あまりに出さないで溜めてしまうとクリーム色でどろっとするんだって」
「ゆーきーひーこー!」
幸彦がぱっと立ち上がって逃げ出した。俺も勝手知ったる家の中を追いかける。
あくまでも俺とクリームパンの仲を裂こうとする幸彦には一矢報いたい。
笑いながら逃げ回る幸彦を追いかけて、さっきの物置前まで追い詰めた。そして幸彦の体をくすぐる。これが子どもの頃からの幸彦の弱点なのだ。
「あはは、やめてよ朔夜、くすぐったいよ」
「クリームパンの恨みを思い知れー」
「朔夜ぁ、やめてったらぁ」
幸彦の声音に甘いものが生じる。その誘惑に思わずキスをしようとして、体を強ばらせた。
玄関の鍵を誰かが開けかけている。
慌ててふたりでダイニングに戻ると同時に、すみれさんの声がした。
「ただいまー。約束明日だったぞー」
「おかえりー、ドジっ娘すみれちゃん!」
「お帰りなさい」
すみれさんが顔を出した。
「勉強は進んだかね、少年たち」
「ぼちぼちだよ。すみれちゃんが出たり入ったりするから気が散る」
「私のせいか? 自分たちのせいでは?」
「何言ってるの?」
「さーてね。お邪魔虫は二階に引っ込むとする」
階段を上る足音。
ああ、すみれさんは絶対俺たちがそういう仲だと思っている。事実ではあるけど、すみれさんのは思い込みだ。
「こわー」
思わずつぶやいた。幸彦もささやく。
「野生の勘か変態の願望か知らないけど、明日は朔夜の家ね」
「そうしよう。すみれさんが怖い」
うなずき合って、テキストに目を落とした。
そうしてその日、俺たちは清いまま別れたのだった。
ちぇっ。
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