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第7話 片口

 どんな顔をして会えばいいのか嫌になるほど悩み抜き、努めていつも通りにすることを決めた。裏口からUNIQUE(ユニック)に入る。ちょうど事務所の扉を開けようとしたところで、千尋にばったり出会った。 「お疲れ様です。昨日はごちそうさ――」  最初が肝心だと無表情で千尋に挨拶していたのだが、途中で挫折した。唇をふるふるさせながら笑いをこらえている千尋の姿に、あまりにも腹が立ったのだ。 「笑うんならさっさと笑ってくださいよ!」 「うん……ごめんね、律。笑うわ」  腹を抱えて笑われると、もういっそ潔い。律は悟りを開いた境地になりながら、千尋の笑いが収まるのを、腕組みしながら待った。 「や、ほんとごめんね。だってさ、すげぇ可愛かったよ、昨日の君」 「そうっすね。俺って基本可愛いんで!」 「うん、ははっ……すげぇ可愛いよね……ふふっ」 「笑い過ぎだろ!」  そのまま事務室に逃げ込もうと思ったら、千尋に手首を掴まれた。 「律、今日もがんばろう」 「……はい」  だから、その笑顔はやめろって。また勘違いする奴が出てきても知らねぇぞ。誰も知らない心の中で吐き捨て、律は赤い顔を隠すように事務所の扉を開けた。  ビカビカ光る『HOTEL(ホテル) UNIQUE(ユニック)』の一日が今日も始まる。 『良い酒もらったんだけど、今から持って行っていい?』  午後九時。ベッドの上で寝転んでいた律は、そのラインを受け取り「え」と声を上げた。  情けない失恋話をぶちまけたあの日から二週間たったが、千尋との距離はこれまで以上に近くなったような気がする。それが良いことなのか悪いことなのか、考えることをずっと拒否しているけれど。 『わかりました。ありがとうございます』  ひと呼吸おいてから返信した瞬間、インターホンが鳴った。 「りっちゃんにお届け物でーす」  扉を開けた先には、日本酒を掲げてにこにこと笑う千尋の姿。いつもと違ってオールバックに整えられた髪にも驚いたが、それ以前にあまりにも来るのが早過ぎてドン引きした。 「そんなに怖い顔しなくていいじゃん」 「怖いに決まってますよ。……なんでそんなにすぐ来るんですか」 「や、家の前まで来てたのよ。一応聞いてからと思って」  千尋が持ってきたのは、なんともめでたい金箔入りの日本酒だった。酒は飲めないと知っていたが、一応おちょこのグラスは二つテーブルにおいた。ありあわせのツマミは冷凍の枝豆と、青じそと胡麻をたっぷりのせた冷や奴だ。 「おー、なんか美味そう」  前髪を上げた姿を初めて見た。どこかにお呼ばれでもされたのだろうか。普段のおちゃらけた雰囲気とはまた違い、大人びている千尋の姿を律は妙に意識してしまう。 「前もって言ってもらえれば、もっと良いもの用意したんですけど」 「いいや、十分」  律は日本酒の蓋を開け、まずは片口に注いだ。透明なガラスの中を金箔が気持ち良さそうにふよふよと漂っている。 「つうか、このグラスすげぇ綺麗だね。片口もセットなんだ」 「津軽びいどろですよ。振られた上司と一緒に、研修で青森へ行った時に買いました」  片口と盃二つの三点セット。緑、青、赤、黄色、色とりどりの小さな水玉模様が下から上へ勢いよく跳ねたようにデザインされている。見てすぐに気に入った。金は男が出して、律が持つことになった。これで酒を飲もうと笑いながら二人でした約束は、二度と果たされることはなかったけれども。 「……いわく付きのそれを今出しますか、りっちゃんたら」 「だって、これしかおちょこねぇし」 「煙草の匂い嗅いだだけでセンチメンタルになったかと思いきや、そういうとこは現実的だよな。……まぁ、いいや。乾杯しよ」 「楓さん、飲むんすか?」 「飲んだら寝ちゃうし、フリだけ。寂しいじゃん? りっちゃんが」  よくわからない理屈をこね回す千尋のグラスに、とりあえず自分のそれを重ねた。綺麗な色合いをしたおちょこが、甲高い音を立てる。金箔ごと酒を口に含むと、辛口のスッキリとした味わいが胃の中でじわりと熱を放った。 「あ、これ、美味い」  金箔の味はよくわからなかったが、酒自体はかなり良い代物だった。良かったね、と目を細める千尋を見ていると、なんだか強烈に酔っ払ってしまいそうになる。この人はあれか、体からアルコール成分でも出しているのか。  そうして酒を飲みながらくだらないことを考えていた律に、千尋は上機嫌で酒を注ぎ足した。 「りっちゃん飲みっぷりいいから、見てると気持ちいい」 「……何かあったんですか、楓さん」 「へっ? なんで?」 「なんとなくですけど、いつもと違う」  ぐっと息を呑むようにうつむいた千尋が、整えられていた髪を乱雑にかき混ぜた。  不思議だ。あれほど大人の男性に見えていた千尋が、迷子になった少年みたいに心許なく見える。 「なんだろうね。俺、りっちゃんの前にいると素になっちゃうんだよな」  千尋は重い罪を告白する罪人のように、目を閉じて言った。 「あの子を泣かせたよ」  あの子が誰を指しているのか聞かなくても、奈々のことだと律は瞬時に理解する。 「二人きりにはならないようにしてたのになぁ……」  何があったのか問いかけても、おそらく千尋は何も言わないだろう。だから、律は黙って酒を飲んだ。 「辞めるだろうな、きっと。真面目な子だから」 「……そうっすか」 「全部、俺のせいだ」  うなだれた千尋の栗色の髪が、さらりと頬に落ちる。いつか彼が律にしてくれたように、頭を撫でてやりたいと思ったが、行動に移すことはできなかった。 「楓さんが悪いわけじゃないです」  ありきたりな言葉しか与えてやれない自分を恥ずかしく思う。精一杯の笑顔で「ありがとう、律」とつぶやいた男は、目の前のおちょこに注がれた金箔が漂うのをいつまでも見つめていた。
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