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食卓(桜木-4)

 台所で物音がしている。  気配を消して行ってみると、そこにいたのは予想とは違う人物だった。 「俊介、こんな夜中に何を――」  則之は口をつぐんだ。  していることは一目瞭然だった。大皿いっぱいに握り飯が並んでいて、今もその手は休むことなく握っている。  俊介が則之の方を見ないまま、笑った。 「見たな?」  その顔は昼間の、怒りのあまりに浮かんでいた口元だけの皮肉っぽい笑みではなく、心から楽しそうな微笑みだった。 「はい」  握りたてをいきなり差し出された。  戸惑う則之に、俊介は少しのぞくように首を傾げる。 「食べろよ。海苔はそこにあるから自分で巻いて」 「あ、ありがとう」  渡してくれた手のひらは赤かった。炊きあがったばかりの飯でいくつも握ったせいだろう。水で冷やしながらやっているようだが、それでも握り始めは熱いに違いない。  言われたとおり、自分で海苔を巻き付ける。  海苔と炊きたての飯の香りは空腹を思い出させた。 「いただきます」  一口かじる。  塩味がちょうどいい。中の梅干しの酸っぱさも、ご飯の温もりも、何だかとてもやさしくて、懐かしい。  ぐうっと腹の鳴る音がした。  則之ではない。  俊介は素知らぬ顔で握り飯を作り続けている。  どうやら俊介は、自分をとんでもない下ネタにして面白がっていた則之たち全員に「晩飯抜き」の罰を言い渡しただけではなく、自らも食べなかったらしい。 (そういう奴だよな、お前って)  律儀で真面目。他人に厳しい要求をする時は、自分にもそれに見合うことを課す。  則之はそんな俊介の握った飯を食べ終える。 「俺は何をすればいい?」 「みんなを呼んできて。どうせ起きているだろう」  俊介は幸せそうに微笑っている。その笑顔に体も心も温められる気がした。  則之が弟や従弟たちに声をかけて食堂に戻ると、俊介は椀にみそ汁をよそっていた。  何事もなかったかのように、食卓の仕度は進められている。  則之は茶の用意を始めた。  喜之と諒は握り飯に海苔を巻く。  湊は、兄のもとへ盆を持って行き、五つの椀を載せた。  午前二時半の食卓に五人の家族がつく。 「いただきます」  それぞれに手を合わせてから箸を取り、食事を始める。  食事と言っても、握り飯とみそ汁だけの簡素なものだ。  しかし空腹とどこかで許しあっているやわらかな関係が、とてもおいしくしてくれた。  こうして昨日の出来事は日常生活の中で過去になっていく。  いらいらしたことも恥ずかしかったことも、楽しかったことも懐かしかったこともすべて思い出になっていく。  立ち止まっていることは赦されない。  立ち止まっているつもりでも必ず、どこかへは進んでいくはずだ。  それがよい方向であるか、悪い方向であるかは、たぶん本人が判断するのだろう。  少なくとも、俊介をリーダーにしている今は誰も不本意な方向へ行ってはいまい。  俊介と目があった。すると俊介は照れくさそうに笑った。自然に笑みを返す。 (いつまでもこんな関係でいられたらいい)  則之はそう思いながら、みそ汁の椀を手に取った。 ――終わり―― 20031201

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