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the knight――騎士

 その人の名は、高遠遥という。  俺と兄貴がお仕えしている加賀谷家当主隆人様の守護者たる凰となるはずの人だ。  加賀谷家の鳳凰の伝説は、俺も信じていいのかどうかはわからない。ただ、鳳である当主が凰である人物と仲むつまじく過ごしている間、加賀谷家には災いが訪れにくい。すべての災いを除けるわけではないが、決定的なダメージは受けにくい。  遥様はその凰となろうとしている。  三年前に凰の証をその背に刻まれた後、遥様は逃げた。三年後の今年、俺たちが連れ戻した。以来監禁されているこのマンションで、遥様は隆人様に男とするセックスを仕込まれている。  桜木の家の長である兄貴――桜木俊介は、遥様を監禁し始めた当初から常に遥様のお側に付き添っている。護衛と監視と、日常のお世話を担当している。  俺や従兄弟たちの仕事はもっぱらその補助だ。  モニター監視を代わったり、食事の仕度を手伝ったり――隆人様のおいでになる夜の仕度に手を貸したりしている。  俺はこの「夜の仕度」は嫌でたまらなかった。十代の二人には刺激が強すぎるからと免除されていたのがうらやましくてしかなかった。  遥様は外の人だ。  血の交わりのないものとは肉の交わりを持つ――それが定めだ。その定めに従って、遥様は男でありながら隆人様とのセックスをしなければならない。  そして「夜の仕度」とは、隆人様がおいでになる夜、セックスできるように遥様の体をきれいにすることだ。外も、中も。  隆人様と仕事に忠実な兄貴は、嫌がる遥様を浴室の壁にある手すりに縛り付けて、平然とその体を浣腸する。  目の前で屈辱と苦しさで涙をこぼす遥様を、全くの無表情で見下ろしていられる兄貴が化け物に見えた。  俺は冷静ではいられない。  自分がなぜこんな目に遭わされなければならないのか納得できない遥様を見るたび、胃が痛くなるほど苦しくなる。  遥様がそんなことをされなければいけない理由は何もない。  ただ、その肌の美しさゆえに、凰の証である刺青を彫り師が彫りたがったから――ただそれだけだ。  それを知っているだけに、遥様の怒りは当然だと思える。兄貴のように淡々と仕事としてこなすことができない。  だから遥様の部屋に出入りするのは苦痛だった。その上にもっと辛くなることがあり、ますます苦手になった。  隆人様がお見えの夜、モニタールームで外監視を初めてしたとき、俺は驚愕した。  寝室のドアが開け放されているので、声が筒抜けだったのだ。  遥様は何度も絶叫し、泣きわめき、挙げ句の果てに隆人様に赦しを請い続けていた。  いったいあの部屋の中でどんなことがされているか、想像することすら怖かった。  兄貴は寝室に呼ばれた。しばらく後に戻ってきたときも、兄貴はいつもと変わらない。何をしてきたのかは知らないが、まったく平然とこなせるらしい。  あんなに遥様は苦しそうなのに。  身を強ばらせ続ける俺の耳に、やがて遥様の喘ぎ声が届く。すすり泣きながらも、快楽にかすんだ甘い声をこぼしている。  こんな職場、やだ。  俺の本心だった。  そう思っていたのに。  俺は兄貴と一緒に常駐しなくてはならなくなった。  遥様の住むこの部屋を襲撃されたからだ。  屋上からの侵入者に兄貴は隆人様から厳しい叱責を受け、かなりへこんでいた。警備主任なので、まぁしかたないな。  俺を常駐させることは、隆人様からの指示だった。 『お前は遥と同い年だからな』  電話で指示を受けたとき、隆人様は俺にそうおっしゃった。  遥様に正式に紹介されたとき、俺は改めてその美貌に目を瞠った。  もともとやや長めだった髪がそのまま伸ばされて、女の子のように卵形の白い顔を縁取っている。その中でもっとも印象的な黒目がちの大きな瞳は長いまつげのために、物思わしげな憂いを秘めているように見える。小さな唇はくっきりと色濃く、まるで口紅をひいたようだ。  なのに実際に口を開くと、まるでふつうなのだ。  高めの声はともかく、言葉遣いはそこら辺にいる男と変わらない。少しぶっきらぼうな男言葉は、俺の友達と同じだ。  きれいな顔を見ながら聞いていると、違和感がありすぎてついていけない。  ましてや兄貴をからかうためになのか平然と下ネタを口にするに至っては、詐欺だと思った。  俺が勝手に遥様を「悲劇のヒロイン」にしていたこともわかった。  本物の遥様はそれほど弱々しいわけでなく、したたかな面もあるふつうの男だ。  隆人様が俺を遥様に付けようとしたのは、ふつうの男である遥様をふつうに扱えと言うことだと解した。この閉ざされた部屋で特殊な生活を送っている遥様の息抜きの相手なのだ、おそらく。  遥様はすぐ俺のことを「湊」と呼ぶようになった。同い年の強みだ。  年上のために絶対に名前で呼んでもらえず居心地の悪い思いをしている兄貴には繰り返し嫌味を言われた。ちょっといい気味だ。  遥様がソファの上で両膝を抱えている。膝頭に頬を載せているのがまるで子どものようだ。 「なあ、湊」 「なんですか?」 「キスしたこと、あるか?」  いきなりなんなんだ。  遥様は真剣な目で俺を見ていた。どうも、思い切りまじめな話らしい。 「そりゃあ、まあ……」 「何度もか? 好きな子と?」 「好きな子のこともありますし、そうでもない子のことも、ありましたよ」  遥様が口を尖らせた。 「ずるい」 「ずるいってなんですか、ずるいって」  思い切り深いため息を遥様はつく。 「俺、ない」 「へ?」 「あいつにこの前されたのが初めてだ」  頭を殴られた気がした。  遥様は同い年の二十四だ。それで、キスをしたことがないって、それは……なぜ?  遥様のきれいな顔が悲しげに歪む。 「俺、おかしいのかな? 誰かを好きになったこともないや。好きになっとけば、よかったなぁ……。初めてのキスが好きでもない男だぞ。しかも無理矢理で。すげ、むなしい」  遥様は膝に顔を伏せ、ため息をついた。  ため息もつきたくなるよな、それでは。  しかも凰となれば、今後一生隆人様以外とはキスできないのだから。  同時に知った。遥様は何者にも汚されていなかったと言うことを。  遥様は何の色にも、誰の好みにも染められていない。本当に無垢なまま隆人様のものにされたのだ。  どんな男だって、理想の相手というのがある。そしてまっさらの状態の相手を自分の思うまま、理想どおりに育てたいという願望もある。  だが無垢な素材はそうそうは手に入らない。子どもでないのに、誰とも心も体も交わしていない存在なんて、少なくとも俺は知らない。  遥様はそんな希少価値のある素材だったのだ。  そりゃ、隆人様がはまるわけだ。  ちょっと尋常ではない執着も、それなら理解できる。  そして何も知らないからこそ、遥様は過激なことも受け入れてしまう。されていることがどんなに過酷かがわからないから。  ぽかっ  頭でいい音がした。俺は頭をさする。 「いてーなー」 「仕事さぼるな」  手に丸めた冊子を持った兄貴が立っていた。  俺は口ごたえをする。 「洗濯物をたたんでるじゃないか」 「風呂掃除しとけよ。後で点検するからな」  聞いてねえ、俺の話。  兄貴はそのままモニタールームへ行ってしまった。  寝室から遥様が出てきた。  それから俺の横にちょこんと座り、俺の手元をのぞく。  本当に華奢でかわいい。  泣き顔より、こうして普通にしているときの方が百倍はかわいい。  しかし、かわいい顔で俺を馬鹿にするように見た。  しかもその口は全然かわいくない。 「湊、へたくそ。貸せ」  そう言って、俺からたたみかけのシャツを取り上げた。  シャツをいったん広げ直すと、「こうやって、こうやって」と言いながら手際よくたたんでいく。  白くてほっそりとした手も長く見える指もまるで女のようだ。 「ほら、こうやればきれいじゃん」  得意げににっこり笑う。  やっぱりめちゃくちゃかわいい。顔が赤くなりそうだ。 「あっ」  兄貴の声がした。 「遥様、何をなさっているんですか。湊、どうして遥様にやっていただいているんだ!」 「うるせぇ、退屈なんだよ、俺はぁ。俺が着た服くらい俺にたたませろぉ」  このとんでもなくきれいな顔から、恐ろしく汚い男言葉が出てくるのは、いまだに慣れない。 「それに湊があまりに下手だから、教えてやってたんだ、文句あるか」 「い、いえ、そのようなことはございません。不出来な弟を教育していただいて、ありがとうございます」  まともに頭を下げる兄貴に、遥様はぷっと噴いた。 「桜木さんて、変なの」  思い切り兄貴が困った顔をする。  今日も「さん」付けだ。忠義者には耐えられないらしい。  遥様がにやにや笑っているところを見ると、案外わざとそう言っているのかもしれない。兄貴をからかうために。  お気の毒さま。  昼間の遥様は本当に屈託がない。年齢より幼く見えるほどだ。一緒にいて楽しい。  それが、夜になると一変してしまう。  モニタールームで、ついつい俺は遥様を見てしまっている。  物思いに沈んで、寝室の窓際の椅子で身じろぎもされない。  待っているのだろうか。来ないでほしいと思っているのだろうか。  愁いに満ちた表情で、ぼんやりと夜空を見上げている。  細い肩が痛々しい。男であれば、その肩を抱きしめたくなるだろう。そんなおそれおおいこと、俺にはできないが。  電話のベルが鳴った。  びくっとして、遥様は物思いから覚める。  兄貴が応対している。丁寧な口調からすると、そうなのだろう。  電話を切る音に、遥様は立ちあがった。寝室の入り口にもたれかかって、兄貴を見る。 「おいでになるそうです」  何も言わずに遥様はバスルームヘ向かう。兄貴もその後を追う。俺は行かない。バスルームのモニター画面も切る。  夜の仕度はもう二人で行われている。遥様が抵抗されなくなったからだ。  それでも苦しげな声がときどきもれてくる。  そんな運命ってのは、どんなものだろう。  有無を言わさず連れてこられて、監禁されて体を自由にされて。  昔のお姫様ならいざ知らず、遥様は今の人だ。しかも男。  前より隆人様も遥様に多少優しいみたいだし、遥様も慣れてきたみたいだけど、それでも本当のところはわからない。  ときどき遥様がひとりの時、あきらめたようにつく深いため息が、俺の胸をちくちくと刺す。  あなたが昔のお姫様なら、俺はナイトの役を買って出るのに。俺はあなたの身を絶対に守る。  ナイトは姫を守るだけ。決して触れたりしない。  隆人様が来ると、俺たちは室内のモニターはすべて切る。監視するのは外部のカメラの分だけだ。  もう遥様が悲鳴を上げることはない。  ただ今日はいろいろ言わされているらしい声がする。どんな風にしてほしいか、どこを責めてほしいのか。言わなければそのままにされる。  今日は体の中に薬物を塗られているはずだ。さっき兄貴がその怪しい薬の容器を持っているのを見た。  いやされるためには隆人様が必要で、遥様は必死にねだるのだ。  残酷なセックス。支配と服従の関係ができあがってゆく。  無垢な体がゆっくりと隆人様にならされて、隆人様のための体にされていく。  切なそうな甘えたような声で快感を伝えている。もっととねだっている。  その声が、今日は辛い。 「しばらく外へ行って来るか?」  兄貴に声をかけられた。  俺は無理に笑って首を振る。 「職場放棄をそそのかすなよ」 「そうだな……」  兄貴がうつむいた。  遥様と出会って、俺は兄貴のように隆人様一筋ではいられないことに気がついた。  俺は、遥様のことが好きなのだろうか。  俺も遥様も男なのに。  もし、遥様が隆人様の凰になれなかったら。  披露目のことを思うと気が重い。  あんな細い体の人を何人もの男が犯したら、すぐ壊れてしまう。  いや。隆人様以外の男が遥様に触れるのが許せない。  その時、俺は冷静でいられるだろうか。  凰となってほしい。それなら、ずっとお側にいられる。  凰になるためには、遥様も隆人様のことを大切に思っていなければならない。かなり歪んだ体の関係をも納得し、受け入れていなければならない。  遥様は、心から隆人様を受け入れてくださるだろうか。  遥様の体が隆人様のものだと言うことは、初めから決められている。だからこそ、俺は出会うことができたのだ。  しかし、遥様の心は力では動かせない。  いったい隆人様のことをどう思っておいでなのだろう。  俺はあくまでもナイトなので、自分の気持ちは鎧の下だ。それでいい。  ただ、口の悪い姫君をずっと守って差し上げたい。  それだけで満足だ。 ――了―― 2002/12/26

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