10 / 21

a family――家族

 僕は渡り廊下を通って、自分の部屋へ帰ろうとしていた。  その時、庭から声をかけられた。 「どこへ行ってらしたの?」  僕は足を止めて、声の主を捜す。 「ここよ」  紫陽花の影から、かえでが出てきた。Tシャツにスリムのジーンズ。豊かな黒髪が胸のあたりまで降りている。  僕は顔をしかめてみせた。 「未婚の女性の第一礼装は振り袖じゃなかったっけ?」 「やぁねぇ、そんな生意気なことおっしゃらないで」  僕はふっとため息をつく。かえでに何を言っても無駄か。かえでは加賀谷のしきたりに興味はないのだ。  かえでが駆け寄ってきて、僕の右腕を胸に抱きしめた。胸のふくらみが当たるが、この姉の胸に興味はない。 「会ってらしたの?」  ささやくかえでに僕はうなずく。 「サングラスをしていたけど、美人みたいだった」 「利口そう?」 「どうかな。用心深いのは確かだ。僕に話させるだけで、自分からはほとんど口をきかなかったし」 「じゃあ利口でいらっしゃるのね。愚かな者ほどいろいろ話しすぎて自分の弱みを明かしてしまうものですから」  ああ、それはそうかもしれない。彼は僕の手の内を探っていたのかもしれない。でも、僕はただの子どもで、まだ何も手にしていないけど。  かえでが僕の腕を放した。 「これからお着替えになられる?」 「着替えるよ。これでも次期当主だからね。かえでも着替えてよ。僕はかえでの振り袖が見たいんだ」 「振り袖をごらんになりたいのね。振り袖を着た私ではなく」  僕は思わず笑う。そう言い返してほしくて、ああ言ったのだから。  靴を脱いでかえでも渡り廊下にあがってきた。 「ま、いいわ。他ならぬ暁さんのお頼みですから。それに鳳様からもそう仰せつかったことですし」  かえではお父さんのことを「鳳様」と呼ぶ。「ご当主」と呼ばないだけましだ。  いつの頃からか、かえでは家族と微妙な距離の取り方をするようになった。  気がついたら弟である僕にさえ敬語を使う。初めは居心地が悪かったが、今はもう慣れた。  二人で本邸の中の僕たち本家の人間のプライベートな部分へ向かう。  途中、あわただしく行き交う使用人達が僕らを見つけては頭を下げる。それに愛想よくうなずきながら僕たちは部屋へ帰る。 「お母さんはどこ?」  僕の問いにかえでは肩をすくめた。 「今日、十六歳以上の一族の者の行方を訊かないでくださる? みなさん正装にお召し替え中でお部屋にこもっていらっしゃるか、新しい凰のおおとり様についての情報交換をなさっていて、ひとところに留まっていらっしゃらないもの」  言われてみればその通りだ。  凰の披露目には十六歳に達した加賀谷一族の者だけが出られる。しかも今日の披露目は一族外からの凰を迎えるために、一族外から婚姻や養子縁組で入ってきたものは出席できない。出られない者が多いために、憶測が飛びかうのだ。  僕たちの部屋の前に着付けのために準備していた者達が立っていた。別々に拉致されて、それぞれの部屋へ連れ込まれる。 「後ほど」  かえでがウィンクしてよこした。  僕は苦笑を返す。  僕とかえでも十六になっていないので披露目には出られない。しかし、披露目の後の凰様との対面や夜の宴席には正装で出なければならない。  手を借りながら僕は着物を着、袴をはく。  着付けが終わって姿見に映る僕は、まだまだ七五三だ。  そんな自分の姿には苦笑が浮かんでしまう。  僕の養育係の貴子が脱いだものを年若い配下の者に片づけさせながら言った。 「披露目が終わるまでは、お部屋においでくださいませ」 「わかったよ」 「下がらせていただきます」  貴子たちが出ていく。  僕はひとりになった。  かえでの仕度はどうせ僕に比べてかかるから、僕は自室でベッドの上に腰掛けていた。  さっき会った人の面影を頭の中に浮かべる。  警戒しているのか、非常に大人しい印象だった。  物静かでどことなく悲しげに見えた。  一族外の凰がどんな目に遭うかはおおよそのことはわかっている。  血の交わりのない凰は鳳と肉の交わりを持つのだ。そして、鳳に貞節を誓い、以後鳳以外の者とは唇を触れ合わせる程度のことも許されなくなる。たとえ選ばれた凰が男であっても、だ。  鳳とつがいであるために、凰は本来女がつとめるべき役所(やくどころ)だ。男女であれば子どもが生まれうる。だから凰は鳳の正妻であることがもっとも望ましい。  加賀谷の歴史の中に男の凰はほんの数人だ。しかもみな一族の者であり、凰の痣を持つことにより選ばれた。  一族外の、しかも男の凰は、今回が初めてなのだ。  女の凰の場合と同様に、男の凰も鳳と交わらねばならないと古文書には書かれている。  だが、その内容に従い、本当に男の凰を抱く鳳はお父さんが初めてだ。  そして女と同様の扱いを受けることになった哀れな凰は、さっき僕が会った高遠遥さんが初めてなのだ。  高遠さんはもう我が子を抱くことはできないだろう。  凰は鳳以外と肉の交わりは持てないのだから当然そうなる。  いきなりドアが開いた。 「ほーら、ご覧くださいませ、私の着物」  かえでが入ってきた。  豪華な古典柄の大振り袖は、かえでのきれいな顔立ちによく似合う。切りそろえられた髪がおろされているので、何だか人形のようだ。 「とてもよく似合ってるよ。でも、ドアはノックしてほしいな」 「ごめんなさい、未来のご当主様」  閉めたドアの前でくるりと回った。髪も袖もふわっと揺れる。 「行事にあわせて着たのは煩わしいけれど、気持ちは引き締まりますわ」  そう言うかえでの頬が赤い。振り袖を着たくないと駄々をこねていたのが恥ずかしかったのだろう。  開け放した窓から人々のざわめきが聞こえる。  僕は時計を見上げた。 「どうなさったの?」  かえでが僕の横に座った。 「ざわめきが聞こえてくるだろう?」 「ああ、そうですわね。そろそろ大広間に移動を始められたのね」 「分家衆は皆おもしろがっているよ」 「それはそうでしょう。一族外の凰を迎えるのはともかく、それが殿方なんて前代未聞ですもの」 「お父さんは一族外の男を凰とした鳳として記録される」  かえでが笑った。 「はっきりおっしゃいな。一族の前で男とセックスした鳳におなりになるのだと」  自分の父親が母親とはまったく別の者と肉の交わりを持つことを、かえではおもしろがっている気がする。 「お父さんは伝説の継承者だから、それに従うのは仕方ないとしても、あの人にはやはり気の毒だな。結婚もできなければ子どもも持てない。かわいそうだ」 「あなたもその継承者になられるのにそんな批判めいたことをおっしゃるなんて」  かえでの指摘に僕は顔が赤くなるのを感じた。かえでの言うとおり、僕がお父さんの立場なら、選ばれた凰がそれを望んでいなかったとしても、定められた道を進むために説得するだろう。僕自身は定められたことを受け入れ、凰とつがいとして披露目に望むだろう。そうすべきであると教えられてきたから。 「血のつながりって、そんなにいいものかな。子孫を残すことってそんなに重要? 後々まで一族を存続させるためには何をしてもいいの? 自らの努力で未来を切り開くのではなく、伝説の不思議な力にいつまでも頼っていても?」  敬語ではないかえでの言葉を何年ぶりかで聞いた。その皮肉っぽい口調に僕は肩をすくめる。 「いいかどうかはともかく、僕たちはそれを続けてきた結果だからね」 「私はいやですわ。今より上を目指そうとはしない分家の勢力争いのコマとして一族の中の男と結婚を強いられるのは。結婚するならここを出ますし、ここに残るなら結婚はいたしません」  かえではいい。結婚という手段でこの血のつながりから脱することができる。僕はそれができない。  跡取りであることは不自由なのだ。今のお父さんのように戦い続けなくてはならない、ご自分と僕たち家族のために。 「鳳凰の伝説など断ちきってしまえばよろしかったのに。外の方を巻き込むくらいなら、その方が絶対」  怒りを秘めた口調でかえでが言い放った。  僕は何も答えない。  高遠さんがお父さんのもとに帰ってくるまで、加賀谷精機の経営は大変だったらしい。大叔父では結局社長がつとまらなかった。大叔父は凰がいないからだと言い張った。ご当主が凰を持ってくださらないから、状況が上向かないのだと。  ご自分の無能さを凰の不在のせいにするとは何と情けない人だと思った。  しかし――  お父さんが社長となり、高遠さんが連れ戻されたら、株価が上向いた。組み込み部品のための発明が業界の注目を浴び、業界紙などで紹介されたのも同時期だった。  高遠さんがお父さんの元に戻ったとたん、すべてが上手く回り始めた。  それは、偶然なのだろうか。  しかし、凰となることが高遠さんの心にも体にも大きな負担を強いているのは間違いない。  男としてどころか、人としてのプライドも踏みにじられている。  僕なら耐えられない。  お父さんは高遠さんからすべてを奪ったとおっしゃっていた。すべてを奪ったのだから、その埋め合わせにできる限りのものを与えるのだと。  お父さんは高遠さんの人生も背負い込む御覚悟なのだろう。  鳳にとって、凰はすべてに勝る価値を持つ。家族よりも、一族よりも。つがいという結びつきはそれほど強いのだと聞いている。もう高遠さんなしの人生はお父さんには存在しない。  不思議な気がする。  僕は――かえでもお母さんも、三人集まってさえ高遠さんにはかなわないのだ。家族よりも、あの人が大切になるのだ。  背筋が寒くなった。  これは、呪いなのではないだろうか。  今まで考えたこともなかった。  凰を捧げることが正しいのだと思っていた。  しかし、高遠さんという特殊な凰を迎えることで、僕たち家族は少しずつ崩壊していくのだ。  正しいことなのだろうか。  いつまでも凰の守護を求めるべきではなかったのではないだろうか。  凰の守護なしでは満足に生きていけない一族になってしまったこと自体が、あの伝説の鳳の呪いなのではないか。 「そろそろ、始まりますわね」  かえでの声に僕は我に返る。  披露目が始まる。  もう後戻りはできない。  高遠さんが凰になれば、お父さんは鳳のままでいられる。僕は子どものまま――まだ鳳にならずにすむ。  そうあってほしいと思っていた。  今はそれが正しかったのか、自信がない。  ただ、僕らは無理矢理引きずり込んだ形の高遠さんを大切にするしかない。お父さんとあの人の関係がうまくいくように計らうしかない。それが、破滅の道なのだとしても、今しばらくは持ちこたえられるだろう。  その間に僕は強くならなくては。  凰など必要としないでも生きていけるように。  鳳ではなく、ただの加賀谷暁として生きていけるように。 「早くお会いしたいわ」  かえでがつぶやいた。  誰に、とは訊き返さなかった。  高遠さんに会えるということは、披露目が滞りなく済むと言うことだ。  僕たちの家族の中に他人を迎えると言うこと。  あの人は、くさびになるかもしれない。  そのことを家族に伝える気はしない、今はまだ。  しかし僕は複雑な気持ちで、風に揺れる木々のざわめきを聞いていた。 ――家族 了―― 2002/01/09

ともだちにシェアしよう!