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Secret orders――密命

 桜木俊介を前にして、隆人はまだ迷っていた。  以前から加賀谷精機でも自宅である別邸でも話せない内密な話をする場として、あるホテルの一室を使ってきた。一族外となっている俊介に命令を出すときはほとんどがここを使っている。  現在遥の世話係を命じてある俊介は遥の側に常駐になっていたが、今回はどうしても直接話す必要があり、呼び出さざるを得なかった。この間の遥の護衛は、桜木の他に桜谷を差し向けてある。  そこまで手配して呼び出した俊介はその端正な顔を隆人に向け、己に与えられる新たな命をじっと待っている。  この桜木の当主は常に冷静で物腰は柔らかく、それでいて隆人の命によっては殺気を放ち、他を圧倒する。敵と(もく)した者に対しては容赦がない。  隆人の忠実な従者であるから頼もしく思えるが、もし敵であったのなら真っ先に始末しなければならないタイプだ。が、控えている俊介にはそのような恐ろしげなようすは見られない。  本当に母親そっくりだ。母親の美弥が少年のような凛々しい顔立ちだったので、男として違和感はない。  違うとしたら、およそ強い感情の表れが俊介にはまったく見られないことだろうか。美弥が死の間際に見せた悲壮な表情、我が子の行く末を案じる母の顔といった極端なものは別としても、ごく当たり前の青年が見せる感情の起伏さえ感じさせない。  笑うということさえほとんどない。困ったような苦笑か、せいぜいが口元をかすかにほころばせる程度の笑みしか持ち合わせていない。  以前はこうではなかった。まだ俊介が桜木の当主ではなく、恥ずかしがりの子どもでしかなかった頃は、もっとにこにこしていた。もっともそれは俊介だけではなく、分家第二の東家の克己も似たようなものだが。  ひたすらまっすぐに俊介は隆人を見つめる。隆人だけを見つめる。  死すべきところを隆人に救われたと思っているから、隆人の命ならばどのようなものにでも従うだろう。それを誰よりもよく知っているのは隆人だ。だからこそ、俊介は使いにくい。どのような命令でも、一瞬の迷いもなく受け入れることが分かり切っているから。  隼人のいさめの言葉がよみがえる。 『桜木当主をそのように粗略に扱われますな。ことに今の隆人様では必ずや悔いを覚えられましょう』  だが、既に決めたのだ。他に替わりとなる者はいない。そうである以上、いつまでもこうしているわけにはいかない。この先のことを考えれば、悠長に構えているわけにはいかない。 「凰披露目も今度の日曜だ。お前は本当によくやった。礼を言う」  俊介が首をすくめるようにして、小さく左右に振った。 「まだ遥様は御披露目を果たしておいでではございません。わたくしもお役目の途上でございます」  礼など言ってくれるなという固い気持ちが言外ににじんでいた。 「お前は遥の首尾に関わらず、翌日をもってその任を解く。俺の元に戻れ」  表情が引き締まり、姿勢が正された。 「かしこまりました」  再び沈黙が訪れた。  俊介の方から次の命令の内容を訊ねることはない。訊ねてくれれば口を開きやすい。だが、隼人ほど隆人に近い者ならばともかく、追放の桜木、しかも俊介の性格ではそのようなことはあり得ない。  隆人は苦笑いが浮かんだ。  このように従者に頼った主では、この者の命を預かる資格はないではないか。  隆人は俊介を見つめた。 「桜木当主にふさわしいことではないが――」  そう前置きせずにはいられなかった。俊介の顔色は変わるだろうか。 「お前には密花(ひそか)を命じる」  しかし俊介の表情は動かなかった。眉をひそめるなどの反応をしてくれた方が後ろめたくない。  俊介の上に感情を読み取ろうとする方が難しいのかもしれない。 「久しく留花(りゅうか)を置いていたが、あまりの長きに及んだため枯れてしまった。これをよい機会として、花替えをする。留花の花守はそのまま残してある。が、花守のみでは身動きがとれなくなるおそれがあるだろう。園丁も用意している。これでも万全ではない。最低限自分の命は自分で守れ」 「はい」  説明を省いた命令にあっさりうなずくようすは、まるで別邸への使いでも命じたかのようだ。  いらだちを覚えた。今まで言わなかったことを言わずにはいられなくなる。 「お前はなぜ湊に桜木の剣を教えない?」  俊介の顔にはっきりと動揺が浮かんだ。何かを言いかけて、結局無言で下を向く。 「確かに直系のみの一子相伝ではあるが、お前は既に二十八で妻子がない。伝えるべき相手は湊しかいないだろう」 「は……」 「桜木は当主が処断の太刀を持てなくては、一族にある意味がない。今はお前がいる。ゆえに一族にとって桜木は価値ある存在だ。いつ一族に戻しても何の問題はない。俺としても早く戻したい。だが一族に戻す以上は、家としてきちんと存続してもらわなければ困る」  俊介はうつむいたままだ。唇をかんでいる気配がある。 「桜木家内部のことは当主が仕切るものとして今まで口を出すのは控えてきた。が、今回の命を出すにあたり、その点を問いただしておきたい。俊介――」 「はい……」  先ほどと異なり、何と弱々しい返事であることか。上目に隆人を見つめながらも、今にも目を伏せてしまいそうだ。  静かに、しかしきっぱりと訊ねた。 「お前の身に何かあったらどうするつもりだ。どのような命を与えられても死なない、きちんと処断の太刀を扱える体で戻ってくると断言できるのか」  俊介の視線が頼りなくさまよった。  そのようすに祈るような気持ちで呼びかける。 (もっと迷え) (人間らしくなれ)  突然俊介が顔を上げた。視線が隆人に向く。 「はい」  二の句が継げなかった。そんな隆人の表情に気づいているだろうに、俊介は淡々と答えた。 「私のこの体も命もすべて隆人様からのお貸しいただいているものと思っております。それをいつお求めがあってもお返しできるよう、調えておくのはわたくしの義務でございます。損なうようなことは決してできません」 「馬鹿か、お前は」  止めることもできず、そう口にしていた。が、俊介からは反論はもちろんのこと表情を変えることすらなく、隆人の目を受けとめている。  何がこの男をここまでかたくなにしてしまったのか。  昔は一途なこの気持ちを向けられることは心地よかった。だが、今は肩をつかみ、しっかりしろ、もっと自分を大切にしろと言い聞かせたい。  それをしないのはこの隆人の気持ちが、自分の命を隆人に預けてしまっている投げやりな男にはこのままでは決して届かないことをわかっているからかもしれない。  これほどに聡明で愚かな人間を他に知らない。 (いや、もう一人いるか)  隆人はため息をついた。今は思い出すべきではない人物だった。  もうかけるべき言葉はないと判断し、帰るよう促した。  玄関で隆人は俊介の目をまっすぐ見つめた。俊介もまたまっすぐ見つめ返してくる。 「お前の俺の前で無事に戻ると宣言した。それを決して(たが)えるな」 「はい。いかような困難に見舞われましょうとも、必ずや隆人様の御前にこの命、この身をお返しに参ります」  既に俊介はふだんの顔に戻っている。隆人の前にあるのは、真面目で隆人のためにすべてを捧げる「桜木当主」だ。 「残りわずかだが、仮の凰の世話をしっかり頼んだぞ」 「かしこまりました。鳳様、仮の凰様の御為に心してお世話させていただきます。失礼いたします」  俊介は深く頭を下げたあと、遥の住むマンションへ帰っていった。  しばらく閉じたドアを見つめたあと、居間へ戻った。  また耳の底に隼人の言葉がよみがえる。 『必ずや悔いを覚えられましょう』  まるでむち打つごとく、その部分がぐるぐると回りつづける。  しかしいったん命じた以上、もう撤回はできない。 (無事に戻ってこい)  そう願ってやることしかできない。あとは本人次第だ。  ひどい疲れを感じる。  隆人はぐったりとソファに身を投げ出し、目を閉じた。 ――密命 了―― 20040725 注)自サイトからの転載にあたって、場所を「マンション」から「ホテル」に変更しました。

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