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御目見得
四歳になると、己の主 の元へ挨拶にうかがう。
加賀谷家のご用を承る家の子どもは皆そうだ。
俊介は四歳になった。
今日、加賀谷本家の東京別邸を父親とともに訪れた。
主の元へは子どもがひとりでいかなくてはならない。家族は控えの間で待っている。それもしきたりだった。
俊介の主は、加賀谷隆人という。加賀谷家の次の当主だ。
案内に女中頭がついた。
「さ、こちらへおいでなさい」
これは正式な行事なので、すべてがしきたりどおりに行われる。
俊介は羽織袴の正装で、案内についてちょこちょこと廊下を奥へ進んでいった。
ある部屋の前で、女中頭が止まった。その場に膝をついて控える。俊介も同じようにする。
「隆人様。本日より隆人様のために働く者がご挨拶に参りました。通してもよろしゅうございますか」
『ああ』
若い男の声だった。俊介には大人の声に聞こえたが、実際には十五、六の少年にすぎない。
「さ、しっかりご挨拶しておいで」
女中頭のささやきに俊介はうなずくと、彼女が開けてくれた障子からまず室内に向かって頭を下げると、立ちあがって中へ進んだ。
そこは小広間で、上座に俊介と同じように袴で正装した男がいた。
俊介は男の正面に正座すると直ちに平伏した。
「桜木俊介にございます。定めに従いまして、本日より隆人様のご命を承るお役を務めることと相成りました。末永くよろしくお願い申しあげます」
「わかった。こちらこそよろしく頼む」
「はいっ」
「もう顔を上げていいぞ。楽にしろ」
「はい、ありがとう存じます」
おそるおそる顔を上げると、隆人がおもしろそうに俊介を見ていた。
「ここへ来い、俊介」
隆人が自分の前あたりを指した。
「はい」
立ちあがって、隆人の前へ進み出ると、また正座する。
「違う。ここだ」
隆人が指さしたのは、膝を崩してあぐらをかいた自分の脚の上だった。
俊介はびっくりして後ずさると、畳に額をつけるまで頭を下げた。
「そ、それはできません」
「どうして?」
「隆人様の、お、膝に乗るなど、わたくしには……」
「俺の命令だと言ってもか?」
主の命令には絶対服従と、俊介はしつけられていた。
しかし、俊介としては主の命とはいえ、その体の上に乗るなどできそうにない。
困り果てて、俊介はその場に固まっていた。
「しょうがないな」
そう言って隆人が立ちあがると、次の瞬間俊介の体は宙に浮いていた。
「きゃっ」
小さく悲鳴を上げた次の瞬間、隆人の胸に抱き上げられていた。
俊介は硬直する。
「ふーん。このくらいの重さなのか。四歳なんだよな」
「は、はい……」
恥ずかしい。もう四歳なのに、赤ん坊のように抱き上げられているなんて。
こんなことが父や祖父の耳に入ったら、厳しく叱られる。
「よしよし」
隆人の手が背を軽く叩く。
完全に赤ん坊扱いだ。
恥ずかしい。
恥ずかしいのに。
どこかにこれをうれしいと思う自分がいた。
このところ、母は生まれたばかりの弟にかかりきりだ。
あの怖い父や祖父も湊を前にするとにこにこしている。ただくにゃくにゃして、ぴーぴー泣くだけの弟に、にこにこと。
その上俊介は好きでなったわけでもないのに、すぐ「お兄ちゃんでしょ。我慢しなさい」と言われる。
厳しい目が湊を見る目になって楽になった半面、なんだかさびしかった。
まして抱っこしてもらうことなど。
隆人は父よりは背が低い。体もどことなく柔らかい気がした。無論母とはまったく違う。今までとはまったく違う抱かれ心地だ。家族はもう大きいのだからと俊介を抱いてはくれない。
目が熱くなった。ぽろっと頬に涙がこぼれる。息がしゃくり上げになってしまう。
泣いていることを気づいているだろうに、隆人は抱っこしてくれているだけだ。
涙が隆人の着物を汚すかもしれないと俊介は気がついた。
あわてて目や頬を手でこする。
「ほら」
渡されたのは白いハンカチだ。
更にあふれた涙のせいで礼も言えないまま、そのハンカチで顔をぬぐう。
泣きやんだ俊介を下ろすと、隆人は自分の膝に載せてささやいた。
「これは俺とお前の秘密だぞ」
声が優しい。笑顔に見とれたままうなずく。
「はい」
「俺のためにがんばって働いてくれ」
主の言葉に俊介は大きくうなずいた。
「はい」
頭を撫でられた。
あの時、隆人がどういうつもりで俊介を抱き上げたのか、俊介にはわからなかった。
その後も一度も訊いたことはない。訊いてみたいと思ってはいるのだが、そんな機会は一度もなかった。
ただ恥ずかしくてうれしい気持ちと、ハンカチの乾いた感触、頭を撫でた手の温もりがいつまでも俊介に残り、その後の俊介を支えたことは間違いがなかった。
――御目見得 了――
20030211
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