15 / 21

御目見得

 四歳になると、己の(あるじ)の元へ挨拶にうかがう。  加賀谷家のご用を承る家の子どもは皆そうだ。  俊介は四歳になった。  今日、加賀谷本家の東京別邸を父親とともに訪れた。  主の元へは子どもがひとりでいかなくてはならない。家族は控えの間で待っている。それもしきたりだった。  俊介の主は、加賀谷隆人という。加賀谷家の次の当主だ。  案内に女中頭がついた。 「さ、こちらへおいでなさい」  これは正式な行事なので、すべてがしきたりどおりに行われる。  俊介は羽織袴の正装で、案内についてちょこちょこと廊下を奥へ進んでいった。  ある部屋の前で、女中頭が止まった。その場に膝をついて控える。俊介も同じようにする。 「隆人様。本日より隆人様のために働く者がご挨拶に参りました。通してもよろしゅうございますか」 『ああ』  若い男の声だった。俊介には大人の声に聞こえたが、実際には十五、六の少年にすぎない。 「さ、しっかりご挨拶しておいで」  女中頭のささやきに俊介はうなずくと、彼女が開けてくれた障子からまず室内に向かって頭を下げると、立ちあがって中へ進んだ。  そこは小広間で、上座に俊介と同じように袴で正装した男がいた。  俊介は男の正面に正座すると直ちに平伏した。 「桜木俊介にございます。定めに従いまして、本日より隆人様のご命を承るお役を務めることと相成りました。末永くよろしくお願い申しあげます」 「わかった。こちらこそよろしく頼む」 「はいっ」 「もう顔を上げていいぞ。楽にしろ」 「はい、ありがとう存じます」  おそるおそる顔を上げると、隆人がおもしろそうに俊介を見ていた。 「ここへ来い、俊介」  隆人が自分の前あたりを指した。 「はい」  立ちあがって、隆人の前へ進み出ると、また正座する。 「違う。ここだ」  隆人が指さしたのは、膝を崩してあぐらをかいた自分の脚の上だった。  俊介はびっくりして後ずさると、畳に額をつけるまで頭を下げた。 「そ、それはできません」 「どうして?」 「隆人様の、お、膝に乗るなど、わたくしには……」 「俺の命令だと言ってもか?」  主の命令には絶対服従と、俊介はしつけられていた。  しかし、俊介としては主の命とはいえ、その体の上に乗るなどできそうにない。  困り果てて、俊介はその場に固まっていた。 「しょうがないな」  そう言って隆人が立ちあがると、次の瞬間俊介の体は宙に浮いていた。 「きゃっ」  小さく悲鳴を上げた次の瞬間、隆人の胸に抱き上げられていた。  俊介は硬直する。 「ふーん。このくらいの重さなのか。四歳なんだよな」 「は、はい……」  恥ずかしい。もう四歳なのに、赤ん坊のように抱き上げられているなんて。  こんなことが父や祖父の耳に入ったら、厳しく叱られる。 「よしよし」  隆人の手が背を軽く叩く。  完全に赤ん坊扱いだ。  恥ずかしい。  恥ずかしいのに。  どこかにこれをうれしいと思う自分がいた。  このところ、母は生まれたばかりの弟にかかりきりだ。  あの怖い父や祖父も湊を前にするとにこにこしている。ただくにゃくにゃして、ぴーぴー泣くだけの弟に、にこにこと。  その上俊介は好きでなったわけでもないのに、すぐ「お兄ちゃんでしょ。我慢しなさい」と言われる。  厳しい目が湊を見る目になって楽になった半面、なんだかさびしかった。  まして抱っこしてもらうことなど。  隆人は父よりは背が低い。体もどことなく柔らかい気がした。無論母とはまったく違う。今までとはまったく違う抱かれ心地だ。家族はもう大きいのだからと俊介を抱いてはくれない。  目が熱くなった。ぽろっと頬に涙がこぼれる。息がしゃくり上げになってしまう。  泣いていることを気づいているだろうに、隆人は抱っこしてくれているだけだ。  涙が隆人の着物を汚すかもしれないと俊介は気がついた。  あわてて目や頬を手でこする。 「ほら」  渡されたのは白いハンカチだ。  更にあふれた涙のせいで礼も言えないまま、そのハンカチで顔をぬぐう。  泣きやんだ俊介を下ろすと、隆人は自分の膝に載せてささやいた。 「これは俺とお前の秘密だぞ」  声が優しい。笑顔に見とれたままうなずく。 「はい」 「俺のためにがんばって働いてくれ」  主の言葉に俊介は大きくうなずいた。 「はい」  頭を撫でられた。  あの時、隆人がどういうつもりで俊介を抱き上げたのか、俊介にはわからなかった。  その後も一度も訊いたことはない。訊いてみたいと思ってはいるのだが、そんな機会は一度もなかった。  ただ恥ずかしくてうれしい気持ちと、ハンカチの乾いた感触、頭を撫でた手の温もりがいつまでも俊介に残り、その後の俊介を支えたことは間違いがなかった。 ――御目見得 了―― 20030211

ともだちにシェアしよう!