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御目見得 裏

 父はこう言った。 「人に(かしず)かれて生きると言うことは、その忠誠の気持ちを決して軽んじることなく受けとめ、捧げられたものにふさわしい慈しみを持って接してやらなくてはならない。ことに幼ければ幼いほどその気持ちは純粋だ。御目見得の儀では絶対に恥をかかせてはいけない。そのものの一生に傷を付けることと心得なさい」  袴の紐を結びながら隆人はため息をつく。  まったく何と重い義務だろうか。  そんなに何人もの忠誠心を受けとめなくてはならないのなら、隆人が一人前になる頃には受けとめるべき人数が増えすぎて重圧でぺしゃんこだ。  年上の者達に守られる感覚はわかる。  たとえば桜谷の隼人は隆人には兄のような時があるし、守られていると実感もする。  しかし、今日御目見得で顔を合わせるのは、たった四歳の子どもだ。  生まれ落ちた瞬間に次期当主隆人の「所有」と定められ、一生を決められてしまったのだ。その生殺与奪さえ隆人の手の中に預けられている。 (そんな子ども相手にいったいどう主らしく振る舞えと言うんだ)  ただ、その子の前評判は高い。  その子どもの父親は隆人の父に仕えているが、父経由で聞いた話では非常にかわいらしく、頭のいい子どもなのだそうだ。 「あの俊明が我が子の自慢をするくらいだからな。よほど誇らしいのだろう」  それに対し隆人は「ただの親馬鹿でしょ?」と言うと、父が笑った。 「そうかもしれん。だがもしかするとお前を『(あるじ)馬鹿(ばか)』にしてくれるほどに優秀かも知れないぞ」  隆人は思いだした父の言葉に肩をすくめる。  横から差し出された羽織に手を通す。  少なくとも他人から呆れられるような「馬鹿」に見られるのはごめんだ。  先に小広間に入り、その子どもが来るのを待つ。 (さっさと済ませて、さっさと足袋を脱ぎたい)  隆人はどうも足袋が好きではなかった。縫い目が足に当たる感触が気になって仕方がない。 「おめでとう存じます」  下座に年若い女中が現れた。先触れの役だ。 「御目見得の誉れを欲する者が控えおりまする。お目通りのほどお許しいただけましょうや」 「わかった」  投げやりな返答に彼女が戸惑うのがわかった。 (仕方ない)  隆人はだれていた姿勢を正した。 「先触れご苦労。その者の目通り許す。そう申し伝えよ」 「かしこまりました」  深く頭を下げて彼女が去ると、ひとつ息を吐いた。隆人はまた背筋に込めた力を抜く。しきたりなどかったるいだけだ。  障子に影が映った。大人と子どもだ。  大人は女中頭の清子で、今この時だけ御目見得の者の仮親の役を務めている。  二つの影が廊下に控えた。  しかし、この独り立ちの儀式では親は広間の中へは入れないため、その場で告げる。 「隆人様。本日より隆人様のために働く者がご挨拶に参りました。通してもよろしゅうございますか」 「ああ」  おざなりな返事に障子の向こうで清子はさぞ怖い顔をしたことだろう。それともいつものことなので今更腹も立てないか?  その時、隆人の視界にちょこちょこと歩く男の子が入ってきた。  どことなくぎこちない動きが何だか人形を思わせる。  一度も顔を見せることなく、少年は広間の向こうに平伏した。 「桜木俊介にございます」  かわいい声だ。しかも変に張り上げることなく、きちんと隆人のところまで声が届く。 「定めに従いまして、本日より隆人様のご命を承るお役を務めることと相成りました。末永くよろしくお願いもうしあげます」  やはりきちんと聴き取ることができた。よほど練習をしたのだろう。 「わかった。こちらこそよろしく頼む」 「はいっ」  隆人が作法どおりの返事を返していないのに、少年は特に戸惑っていない。それだけ緊張しているのだろうか。  顔が見てみたい。 「もう顔を上げていいぞ。楽にしろ」 「はい、ありがとう存じます」  少年がゆっくりと顔を起こした。  隆人は少年を見て、思わず笑いそうになった。  俊介はとてもかわいい顔をした男の子だった。きちんと切りそろえられた前髪が整った顔をいっそう人形めいて見せている。  口上にも危なげがなかった。何でもそつなくこなすタイプなのだろう。顔もかわいい。確かに自慢の息子なのかも知れない。  だが、隆人は真面目な顔の子どもをからかいたい衝動に駆られた。  隆人は膝を崩してあぐらをかいた。 「ここへ来い、俊介」  自分の脚の上を指したが、俊介の距離からではそこがどこかはよくわからなかったようだ。  はいと答えて立ちあがって近づいてくると、隆人から二メートルくらい前に正座した。  広間の向こうでは小さく見えるのが当然だった。が、近づいてきてもあまり大きい感じはしない。体つきが思っていたよりずっと細いようだ。 「違う」  俊介が目を丸くした。  隆人はにやっと笑って自分の脚の上を指す。 「ここだ」  ぱっと俊介の顔が赤らんだ。後ずさって、額が畳につくほど頭を下げる。 「そ、それはできません」  隆人は首を傾げる。 「どうして?」 「隆人様の、お、膝に乗るなど、わたくしには……」  さすがの俊介も口ごもった。それでも、きちんと言葉を選ぼうとしている。 「俺の命令だと言ってもか?」  だめ押しのひと言に、ついに俊介の反応がなくなった。  主の命には絶対服従――それが定めだ。 (これ以上虐めるのも可哀想か) (それにしても細い手首だな。体も細そうだ) 「しょうがないな」  そう言いながら立ちあがると、俊介のところまで歩いて身をかがめた。 (どのくらいの重さなのだろう)  隆人は俊介の脇に手を差し入れるとひょいと持ち上げた。 「きゃっ」  かわいい悲鳴に隆人は思わず顔をほころばせた。  俊介がこれ以上ないくらい丸く見開いた目で隆人の顔を見上げてくる。 (どれどれ)  そのまま隆人は俊介は胸に抱き上げた。  俊介の顔がまっ赤になった。 「ふーん。このくらいの重さなのか。四歳なんだよな」 「は、はい……」  声が震えている。四歳児に少しやりすぎたか。 「よしよし」  落ち着かせようと、その小さな背を軽く叩いてやった。  隆人の胸の中で、俊介の体が緊張した。  隆人は面食らった。 (どうして強ばるんだ?) (それどころか震えだしているじゃないか)  何事かと俊介の顔をのぞくと、ちょうどその目から大粒の涙が白くてやわらかそうな頬にぽろりとこぼれ落ちた。 (しまった!)  いくらしっかりしているように見えても、所詮はやっと赤ん坊から抜け出た程度の幼児なのだ。あまりに立ち居振る舞いが落ち着いていたので、ついついやりすぎてしまった。  俊介は完全に大人の仮面をはずし、四歳の姿に戻ってしまった。  しゃくり上げながらぽろぽろと泣き続ける。  悪いことをしたと思ったが、主は手下(てか)のものに詫びることは許されない。主は間違いをなしては示しがつかない。詫びねばならぬような事態はあらかじめ避けなければならない。それが主たるものの責任の取り方だ。  だから隆人にできることは抱っこしたまま俊介を落ち着かせ、泣きやませることだけだ。俊介の背をさすりながら、赤ん坊をあやすときのようにゆらゆらと揺らした。  徐々にしゃくりあげが小さくなってきた。小さな拳で顔をぬぐっているようだ。懐からハンカチを出して渡してやるとちょっこと頭を下げ、また泣き出した。 (おいおい)  しかし、これ以上隆人が何かアクションを起こすと、またわんわん泣き出しそうだ。隆人はひたすら俊介が大人しく泣きやむのを待った。  やっと俊介は涙をこぼさなくなった。  抱き下ろすと有無を言わせずあぐらをかいた自分の脚の上に座らせた。  俊介は恥ずかしそうにうつむく。その鼻の頭も目の回りも泣いたせいで赤い。  バラ色に染まった頬はとてもきれいだった。まるでつくりものめいて見えるほどだ。  人形のような容姿とちょこちょこ歩くさまが何かに似ていると思っていたが、やっとわかった。  茶碗を運ぶからくり人形だ。  真面目な顔で、どことなくぎこちなく茶を運ぶ――あれだ。  そう気づくといっそうかわいく思えてくる。  本当に隆人のことだけを見つめ、俊介の言うことをすべて信じる子どもなのだ。  隆人は俊介の顔をのぞき込んだ。 「これは俺とお前の秘密だぞ」  こっくりと俊介がうなずいた。 「はい」  仕草が幼さを際だたせる。思わず笑みが浮かんでしまう。 「俺のためにがんばって働いてくれ」 「はい」  いっそう大きく俊介がうなずいた。  隆人を見つめる目はきらきらとしている。 (かわいい)  素直にそう感じた。  俊介は縁があって隆人に仕えることになった。  桜木の者である以上、護衛などを務めるようになるだろう。無論、今はまだ俊介は隆人を守るほどの力はない。  だが自分を真っ直ぐ見つめる素直さは隆人の気持ちをとらえた。 (お前が俺に忠実である限り、俺はお前を大切にしてやる) (お前の忠誠を受けとめることが俺の仕事だからな)  隆人は俊介にまた微笑みかけるとさらさらとした髪の上に手のひらを載せた。  俊介が恥ずかしそうに笑みを返してくる。  隆人はこの自らに忠実な新しい従者をいとおしく見つめながら、やさしく髪を梳き、頭を撫でてやった。 ――御目見得 裏 了―― 20030311

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