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残された映像
画面には小さな男の子が映っている。庭の低木の前にしゃがんで葉をじっと見つめている。我慢しきれなくなったように小さな手の細い人差し指でその葉に触れた。びくっと身を震わせたかと思うと、男の子は空を仰いだ。残念そうに見上げている。
『何がいた、俊介』
男の声が訊ねると男の子がこちらの方を見た。ふっくらとした頬に柔らかく結ばれた赤い唇。ぱっちりとした眼がカメラをしっかりと見返している。
『てんとむち』
舌のよく回らぬ幼い子ども特有の甘い声だった。
『テントウムシがいたのか』
『おそらいった』
小さな指が天を指す。その表情は重大なことを話しているかのように真剣だった。
『そうか。テントウムシははかないからな。おいで、俊介』
声がして、音も映像も途絶えた。だがテープは再生を続けている。
このビデオでは連続で撮影されたシーンが終わると次の映像が始まるまでに、三十秒程度の間が取られている。理由はわからない。
隆人はいったん再生を止めた。
それはかつて桜木に貸し与えていた家の取り壊し時に出てきた。どこかに隠されていたのだろう。たまたま作業員ががれきの中の奇妙な包みに気がついた。まるで封印するかのように厳重に覆われたそれは始めは金品だと思われらしい。包みを解いたところ出てきたのはビデオテープで、すぐさま建物の所有者たる加賀谷家に届けられた。
それを第一に見たのは隆人と隼人だ。加賀谷の秘密が漏れるような内容であることを警戒していた。だが、再生を始めて隆人も隼人もぽかんと口を開けてしまった。
そこに映し出されたのは、かつてそこに住まっていた幼い子どもの姿だった。
跳ばし跳ばし最後まで再生したが、結局恐れたような内容ではなく、再生は止められ、テープは隆人の手に残された。
なかなか時間が取れず、再びそれを見る機会が持てなかった。二週間たってようやくゆっくりできる機会があり、隆人はビデオデッキに例のテープを挿入した。
この俊介は、おそらく三歳にもなっていないだろう。御目見得前に従者と顔を合わせる機会はないために、このような幼い俊介を見たのは初めてだ。
ビデオの中で俊介に語りかける声は俊介の父俊明のもので間違いない。このビデオは俊明が撮影している。
(あの男がこんなものを撮影していたとは思わなかった)
意外で仕方がない。隆人が知っている御目見得以後の桜木親子の関係はぎくしゃくしていた。恐ろしく暴力的で専横な父親と必死にそれに耐えていた健気な息子で、それ以外の何ものでもない。
だが、ビデオの中で我が子に語りかける俊明の声はとてもやさしく、息子へのいとおしさがにじみ出るようだ。
(これが俊明の本心だったというのか)
胃の中に重い石を沈められたような感覚がある。
重苦しさを振り切るようにため息をつくと、リモコンの再生ボタンをゆっくりと押した。しばらくは黒い画面が続くはずだ。そのまま隆人はリモコンを眺めていた。
きゃっきゃと笑う幼児の声が耳に飛び込んできた。誘われるように視線をあげ、息を飲んだ。
『ほうら、俊介高いたかーい』
父親は笑顔で幼い息子を高々と宙へ差し上げていた。カメラは三脚で固定されているらしい。まったく揺らぐことがない。
『高いぞう、俊介。父さんより高いなあ』
『もっと、とうたん、もっと』
笑いながら俊介がせがんでいる。そんな息子を父親はとろけそうな目で見つめながら、何度も空へ伸ばした腕で掲げてやっている。
『ああ、俊介がお空に飛んでいっちゃいそうだ――』
そう言った俊明の顔が強ばった。怯えるように大急ぎで我が子を胸に掻き抱く。呻くような声がかすかに聞こえる。
『駄目だ俊介、絶対に駄目だ』
『もうおしまい? とうたんおしまい?』
いきなり父親に抱きしめられたというのに俊介は動揺を見せていない。当たり前のように父親にもっと遊んでほしいと暗にねだっている。
俊明はそれには答えない。ただ俊介をきつく抱きしめて震えているばかりだ。
『俊介いかないよ。どこもいかないよ』
心配げに俊介が言った。父を慰めるように小さな手が父親の頭を撫でている。そんな我が子を抱きしめる父親の腕にいっそう力がこもったのがわかった。
その時はっとしたようすで俊明が顔を上げ、こちらを向いた。カメラの存在を思いだしたのだろう。俊明は息子の体を抱き上げ、カメラに近づいてきた。手が差し伸べられて画面が暗転する。思わず隆人も再生を止めた。
カメラの方を向いた瞬間の男の目には敵意すらこもっていた。
俊明は俊介に対し冷たいあしらいを見せていたが、この映像を見る限り俊明の敵は他にいる。それはいったい誰なのか。隆人の父か? それとも加賀谷の因習か?
他家よりも過酷な生き方を求められる桜木の人間が、加賀谷に何らかの不満を抱いても不思議はない。
(もしかしたら憎しみの相手は俺なのかもしれない)
主を定められて生まれる五家の子どもは親よりも主を優先することが求められる。御目見得がすむ前はともかく、済めば建前上は主が第一だ。
だがこれほどかわいい我が子を主と言うだけで命さえ握られたら、親としては不快だろう。
(俺ならいやだ。絶対に不満を抱く)
ため息をついて、またリモコンに手を伸ばしていた。
幼い俊介が見たい。ふっくらとした桜色の頬とばら色の唇。俊介がおっとりと父親に話しかける声が聞きたい。もし目の前にいたら抱き上げているだろう。御目見得の四歳の時点でも十分に愛らしかった。その前のまだ口さえおぼつかない無垢な姿は仕事で荒れた心に染みこむようだ。
(なぜこんなにも愛おしく感じるのだろう)
自分でも怪しむ気持ちはある。だがビデオを止めても、飢えるような苦しさにじきに再生ボタンを押している。いつまでも見ていたいが、時折挟まれる俊明の何者かへの敵意に水を浴びせられた気がして、また停止ボタンを押す。
(俺は何をやっているんだ)
頭を抱えてしまう。
これほどまでに隆人が俊介の姿に惹かれる理由はやがて明らかになる。本人の意思はどうにもならない大いなる力が二人の間を結びつけていることは、この時点では隆人も俊介も知らなかったのだ。
――残された映像 了――
20050330
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