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COMPLEX――湊の思い 2.兄
遥様の部屋詰めのお世話を交替して隣室へ戻った。同じく交替した兄貴がちょうど風呂に入ろうとしていた。俺ならば着ていたものを脱ぎ捨ててしまうところだが、兄貴はアイロン掛けの後のように袖や身頃を整え、きちんと縫い目に折り目を合わせてたたむ。どうせ洗濯機でぐるぐる回されてしまうというのに、だ。
兄貴のそういう几帳面なところは、後天的なものかもしれない。父さんは兄貴には厳しかった。それは稽古の中だけでなく、日頃の立ち居振る舞いも言葉遣いも、すべてにおいて兄貴は注意を受けていた。俺には結構甘かった祖父ちゃんも兄貴に対してはにこりともせず、兄貴のようすをチェックしていた。
幼い頃から俺は漠然と桜木当主はかくあるべしと言う檻があるのだと感じていた。その中で、その形に合うように兄貴は育てられた。それに比べたら俺は野放しに近い。
「何かおもしろいのか?」
兄貴が軽く俺をにらんでいた。俺がぼんやりしているうちに兄貴は下着一枚だ。
父さんのことを思いだしていたとは言えず、もごもごといいわけを作る。
「いや、その、本当に色白だなと、思って――」
それは嘘ではない。兄貴は俺たちの中の誰よりも色が白い。母さんも色が白かった。顔かたちが似ているだけではなく、そんな肌の特徴まで引き継いだに違いない。
「桜木の男子に肌色の違いは意味がない。主のお役に立てればそれでいい」
兄貴がむっとしているのがわかる。本音は気にしているのかもしれない。
遥様も子どもの頃はからかわれたとおっしゃっていた。もしかすると兄貴も分家の連中から何か言われていたのかも知れない。
「遥様はからかわれて不快と仰っていけれど、兄貴もからかわれた?」
好奇心と言うより、もしそうならば申し訳ないような気がして、つい訊ねてしまった。兄貴は俺に背を向け、下着を脱ぎだした。
「桜木をお気に召さない方々は、俺の色が白かろうが黒かろうが揶揄 なさる。お前が気にする必要はない」
そう言って、浴室のドアを開けて中へ消えた。その曇ったガラスに映る兄貴の肌の色を呆然と見つめる。
ごくたまに、俺は兄貴に突き放されたような気がするときがある。突然飛び出す温かみのない言葉は俺の気持ちを冷やす。
十代の前半の頃はそんな兄貴に反発した。則兄や諒や喜之に不満をぶつけたものだ。だが年上の二人には兄貴がそんな態度を示すのは実弟であるお前だけだから許してやれと逆に諭され、喜之には「どうせお前の方が悪かったんだろう」と決めつけられ、かえって憤慨したこともある。
あの頃はまだ桜木の立場を俺はよくわかっていなかった。両親のしでかしたことは言葉として理解していたが、一族外に出てしまっていたために実感が伴っていなかった。それに対して一族の中で桜木がどのように見られているのかも気がついていなかった。
今は兄貴が十二で背負わなくてはならなくなった荷物の中に俺自身も含まれていたとわかっている。「家族」という重荷、五家の者にとっての禁忌を犯した家への憎悪、隆人様に庇われることへの妬み――それらをすべて一身に受けとめ、俺たちに危害が及ばぬように用心をしていたことも、今はわかる。そのつらさに耐えているのに、俺が甘えたことやピントのずれたことを言い出して苛立ちを抑えきれなくなることもあるのだということも。
その上、しっかりしているように見えて、実は兄貴はコンプレックスをかなり抱えている。体格コンプレックスはその最たるものだ。頑なに両親の話をいやがるのも、昔当主として宣言した言葉のせいだけではなく、両親と自分の関係がよくなかったことを気にしているからかもしれない――が、兄貴の気持ちの本当のところは俺にはわからない。
浴室からはシャワーの水音が聞こえ始めている。
ふっと息を吐いた。それから身を翻し、俺は自室に戻った。
ベッドに腰をかけて今日のことを思う。
兄貴が遥様にお暇をいただこうとしたのは、どこまで本気だったのだろう。単純に話のネタにされたのが気に入らなかったのだろうか。それとも本当に自分の欠点を感じていて、凰の前に出るにふさわしくないと考えたのだろうか。
遥様は兄貴がお気に入りだ。からかいがいがあると思っておいでなのはいつものことだが、それと同じかそれ以上に頼りにしていらっしゃる。俺では代わりが務まらない。
「少しは見習うべきかなぁ」
兄貴と兄貴に話しかける遥様のお顔が浮かぶ。兄貴から答えを返されほっとした表情を見せる遥様はかわいらしいと思う。俺に対して遥様が見せてくださるお顔が、いたずらの共犯者を求めている子どものようであることが多いのに比べると、何という違いだろう。
(今のままではお話相手でしかない)
それはそれで遥様に必要とされているお役目ではある。ただ、ナイトになりたいと思ったのはそんなに昔のことではない。護衛の実力を磨かなければ、今以上の役目は果たせない。
(もう少し稽古時間を増やそう)
頭の中にそんな考えが浮かんだ。
(目的ができた)
(目標もいることだし)
兄貴が風呂から出たら、この決意を伝えようと俺は決めた。
――了――
20050731
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