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清川家の邸宅は外観もアール・ヌーヴォーを意識した曲線を活かしたデザインだ。これも家具も母の趣味だった。父が母の死後寄りつかなくなったのは、思い出が深すぎるからとも言える。あるいは、自分の犯した過ちを繰り返さないためか。
「ただいま」
「お帰りなさい兄様!」
飛び出してきた明良が、曲線を描いた階段の上で止まる。
「お客様?」
「お前にな」
「僕に?」
「き、清川」
うろたえた時任に成良は言った。
「さっき言っただろう? わが家は心身ともに本人のものなんだ。お前が意見すべき相手は明良だ」
カーブのある階段を明良が駆け下りてきた。
「時任様とおっしゃるの? 初めまして、弟の明良です。どうぞよろしく」
人なつっこい笑顔で明良は時任の手を握った。時任の顔が赤くなる。
「よ、よろしく」
「どうぞ、こちらに」と明良は手を握ったまま、時任を階段に上らせた。
ほんの一瞬明良と成良の視線が絡む。
明良は時任を自分の部屋に招き入れた。
母親の部屋を模したアール・ヌーヴォー調の家具で統一され、壁はほんのりとしたピンクベージュの少女めいた部屋だった。デスク、書棚、ベッドの他に、小ぶりのテーブルを間に一人掛けソファが向かい合わせでニ脚ある。ここも広い部屋だ。更にウォークインクローゼットは隣に一部屋分の広さがある。
「ソファに座ってくださいね」
明良はそう言うと、デスクの上のインターフォンで一階の家事室に連絡を取った。
「静香さん? もうじき帰りのところ悪いんだけど、お客様なの。紅茶をお願いできる? はい、お願い」
くるりと明良はソファの時任を振り返ってにっこりした。時任の顔が赤くなる。
「少しお待ちくださいね。お茶の用意をしますので」
「申し訳ない」
ほどなくドアがノックされた。
「お茶をお持ちしました」
「ありがとう、静香さん」
ちょうど砂時計の砂も落ちきり、静香がニ客の薔薇のカップに紅茶をそそぐ。ミルクに砂糖、クッキーも添えられている。
「今日はこれで十分。お疲れさま。ありがとうね、静香さん。気をつけて帰って」
「はい、恐れ入ります。これで失礼いたします」
静香の視線が一瞬だけ時任の顔を通り過ぎ、彼女は出ていった。
明良は両手でカップを支え、水面を少し吹いて冷ましてから紅茶を口にした。
その間、時任は明良のしぐさに見とれていた。
カップを置いて、明良が首を傾げる。
「お話しとは何でしょう?」
時任は目的を思い出したようにはっとして、カップを置いた。
「今日の昼休み、兄上と学校でキスをしていただろう?」
色白の顔が真っ赤になった。上気した明良が上目に時任をうかがう。
「ご覧になったの?」
「ああ」
「恥ずかしい」
明良が両手で頬を覆った。
「いつも兄上とあんな、大人のキスをしているのかい?」
「そんなこと……言えません」
言葉より明らかな肯定だった。
「先日は僕たちのクラスメートと、その、体を重ねたと……」
「どなたがそんなことを?」
明良が気色ばんだ。
「か、春日という男です」
時任の答えに明良はいっそう不快げに、柳眉 を逆立てた。
「あの方は嘘をつきました。兄様が許したなどと。その上、兄様の周辺で僕たちを侮辱する言葉を流しているなんて許せません」
怒りながらカップを呷った喉は薄暗くなりかけの室内でも白く目立った。
時任の喉がゴクリと鳴った。
「では、本当に春日と――」
明良がカップを置いた。
「だとしたら、何です?」
時任がはっとした顔で首を振った。
「何でもない」
「何でもないのですか。そうですか」
明良が落胆を見せた。
「明良君?」
「騙された僕を慰めてくださるために、おいでになったのかと……」
伏せた横顔がぱちぱちと瞬きをする。
「明良君――」
明良の頬に光るものが伝った。
時任が胃を押さえた。
明良が時任を見た。
「慰めてはくださらないの?」
涙にかすれた声、潤んで輝く瞳。そして伸ばされてくる両腕が時任の首に回り、唇が触れあった。
時任は一瞬抗いを見せたが、すぐに明良の体に腕を回し抱きしめた。
「やさしく、して」
明良が吐息混じりに囁く。
時任は明良の体をテーブル越しに抱き上げると、ベッドに運んだ。
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