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明嗣はカップを二つ乗せたトレイをベッドに運び、一つを勧めて自分もカップを取って口をつけた。
「どうぞ」
「これ、何?」
「ココア」
「子どもじゃない」
すねたように青年は口を尖らせ、明嗣の口元をほころばせた。
「落ち着くよ」
「いえ、あの、さっきコーヒー飲んだばかりだから」
ああ、と明嗣は思い当たった。あれだけ走って喉が渇いていないわけがない。改めてミネラルウォーターを出すと顔を赤くしながら青年はグラスを干し、息をついてココアのカップの横に置いた。
ただコーヒーと聞いた時から、何かが明嗣の心に引っかかっていた。
「コーヒー、いつどこで飲んだの?」
「大学の研究室で」と言いながら青年は腕時計を見て「もう四十分くらい前かな」
明嗣はトレイにカップを置いて、床に膝をついた。真っ直ぐに青年の目を見上げて訊ねた。
「君、斉藤秀人君だよね。オメガで唯一人陸上百メートル走の高校記録を塗り替えた?」
淡い緑がかった灰色の瞳が一瞬揺れた。明嗣は更に言葉をつむぐ。
「さっきフォームを見て確信したんだ」
秀人の目が反らされた。
「……昔の話だ」
「今、競技は?」
顔に血を上らせて、秀人が怒鳴った。
「もう引退したんだよっ、スポーツ特待生もクビっ、満足か、このやろう!」
明嗣はため息交じりに告げた。
「そうか、残念だな。君のフォームは今も美しかったのに」
「美しくなんかない!」
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