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8. ただいま

「それで、お土産は?」  大学近くのファミレスは、相変わらず混んでいる。昼からすっかり酔って盛り上がっている団体もいて、いい迷惑だった。 「ない」 「えー! 何しに北海道まで行ったの?」 「三越で北海道展やってるぞ」 「八木沢、だんだん私の扱い雑になってない?」 「どっちが」  長い夏期休暇を経て、秋の授業が始まっていた。ゼミは前期後期に分けて履修することができるが、俺も前山も同じ授業を引き続き取っている。 「そういやさ、八木沢はロースクール行くんだっけ」  俺にはもともとなりたいものがない。勉強を続けてきたのもそれしかできなかったからだ。 「まだわからないけど、たぶん」  俺の人生は平凡だ。父も母も普通の人だし、生活に困ったこともなく、今のところ犯罪とも無縁な生活を送っている。でも勉強だけは得意だ。勉強してきたおかげで、こうして京都に来ることもできた。 「前山こそ、彼氏とはどうなんだよ」 「ラブラブだよー?」 「そうかよ」  前山母の疑念は、和が直接に電話したことで解けたらしい。和がどうやって説明したのかはわからないが、まぁ適当なことを言って丸め込んだに違いない。 「でも、何も解決してないよな」 「わかってるよ、そんなこと。でも、長期戦は最初から覚悟の上だから」  何も解決していないのは俺と和の関係も同じだった。 「いざとなったら和君に偽装結婚してもらおっかなー」 「ダメに決まってんだろ」 「なんで八木沢が決めるわけ? 過保護よくないよ」 「違う」 「仲直りした?」 「別に、喧嘩とか仲直りとか、そういうんじゃない」  そんなのまるで、普通の兄弟みたいだ。俺は何とか前山の誤解を解きたいのだけれど、彼女は楽しげに笑っていてまるで聞く耳を持とうとしない。 「あんなにいい弟君なのにさー」 「どこがだよ」 「お兄さん思いじゃない」 「どこが!! 俺はずっと割を食ってきたんだよ、あいつの顔がいいせいで」  こんな風に愚痴を言うのは初めてだった。共通の知り合いはみんな和のことが大好きで、俺が何か言ったら嫌われるのが目に見えていたからだ。でも前山はどちらの味方というわけでもない。 「ええー?」 「あいつと俺が並んでるとこ見てみろ、月とスッポンだ。どう考えたってそうなんだよ」 「そんなに卑下しなくても……」 「いや卑下とかじゃなくて、客観的な話なんだよ。どう考えても俺より断然、あいつの方が顔がいいだろ」 「八木沢は八木沢、和君は和君、それでいいじゃん」  俺は反論しようとする。でも、ふと考えてやめた。 「まぁ……そうだな」  和には外見や女の子からの人気では敵わない。でも俺は和を妬んだことはあっても、和になりたいと思ったことはなかった。 「あっ和君」  ちょうど和の話をしていたタイミングだったので、前山がそう言ったのは冗談なのだと思った。 「こんなとこいるわけないだろ」 「あのねぇ、今八木沢が和君のこと褒めてたよ」 「どうかした?」 「えっ」  俺は驚いて振り向く。一体いつから近くに来ていたのか、コートを着た和が近くに立っていた。しれっとした顔が憎らしい。 「聞きたいな、何て?」 「褒めてねぇよ」  和は当然のように俺の隣の席に座る。 「何してんだよ、こんなとこで」 「バイトだってば」 「メシは?」 「まだ」 「ならなんか食え。何でもいいから」  いつの間にか、前山は腹を抱えて大笑いしていた。 「何がおかしいんだよ」 「何でもない」  これ以上母に叱られるのはごめんだ。北海道に行ったことも、一日とはいえ和が入院したことも隠し続けることはできず、俺と和はわざわざ京都にまでやってきた母にこってりと叱られていた。  いつもは俺だけなのだが、今回は和も一緒に叱られた。もうすぐ成人なのに心配をかけてまるきり子供だとか、母はあれこれ言葉を並べて叱った。和は心なしか嬉しそうにも見えた。マゾなのかもしれない。  ・  俺たちの生活は変わらなかった。相変わらず部屋は狭い。両親は引っ越し費用も含めて援助すると言ってくれたが、新しい部屋を探すのも面倒だ。とりあえずは暮らせているし、機会があったらというぐらいのつもりだった。  俺は母にこってり絞られたこともあって、少しは家で料理をしてみようかと思っている。だが面倒で結局はコンビニで済ませてしまう。  和だってろくに自炊ができるわけではない。さすがにカレーだけ食べて生きていくわけにはいかない。 「ただいま。これ、もらっちゃった」 「何だそれ」  その日、和が持ち帰ってきたのは高そうなワインだった。バイト先の書店で退職する職員がおり、送別会でなぜか和がもらったのだという。 「その人飲めなくって」 「でも、なんでお前がもらうんだよ。おかしいだろ」 「俺が職場で一番年下だから、持ってけって」  よくわからなかったが、まぁ職場ではうまくやっているということなのだろう。  高級そうなものだし、取っておくのだろうとばかり思ったが、和はすぐに栓を開けた。コンビニで栓抜きも買ってきたらしい。 「お前、こんなに飲みきれるか?」 「兄さんが飲むよ。はい、乾杯」  和はどうやら、送別会でそこそこ飲んできてもいるようだった。酔ってもそれほど顔に出るタイプではないが、少し陽気になる。  和は栓抜きのほかに、チーズなどつまみも買ってきていた。俺はワインの味などあまりよくはわからないが、確かにおいしいような気はした。 「そういや、伊藤がしつこくお前もサークル来いって言ってたぞ」  伊藤本人ではなく、部長など先輩女性たちの要望なのだろう。 「兄さんは、俺に行かないでほしい?」 「なんで俺に聞くんだよ」  今まで和がそんな風に俺に尋ねてきたことはなかったので面食らう。どれだけ俺が嫌がっても、和は俺のまわりをうろちょろして、人からの好意をかっさらっていった。 「俺が嫌だつったらやめるのか? 今までそんなことなかったくせに」 「俺は前から言ってるよ。してほしいことがあるなら具体的に言ってって」 「いや、嘘つくな。お前、俺が嫌がることわかっててやってきただろ」  確かに、和に直接「俺の周囲にいる女性に手を出すな」なんて言ったことはなかったかもしれない。でも、そう言ったとして和が本当にそれを守ったとは思えない。 「俺はただ、誰より兄さんのそばにずっといたかっただけ」 「それで、俺の彼女だってわかってて手、出したのかよ」 「だって、彼女がいたら、俺が一番そばにはいられなくなるから」  当たり前のように和は言う。  そうだ、こいつはおかしいんだった。何だか最近ばたばたしていて、頭から抜けていたがそうなのだ。  北海道に行く前に身体に触れられて以降、和は特に何もしてきていない。病院でキスをしたぐらいだ。あのときは俺も疲れて気分が高ぶっていて、違和感も覚えず受け入れてしまっていた。  でも本当はおかしいのだ、と思う。俺たちは兄弟なのだから。 「兄さんさ、誰か好きになったことある?」 「……あるに決まってるだろ」  小さい頃からずっと、好きな女の子は和に取られてきた。そんなの今更だ。 「苦しくって、その人が全部でもよくて、やめた方がいいってわかっててもやめられなくて、寂しくてでもあったかい気持ちで、どうしようもなくなること、ある?」  和は怖いほどまっすぐ俺を見ていた。  誰かを好きになったことぐらいある。当たり前だ。そう思っていたはずなのに、俺は何も答えられなかった。 「それは」  俺はもう、嫌というほどわかっている。俺がモテない理由も、元彼女から振られた理由も、何もかもが和のせいというわけではない。  俺はちゃんと誰かを好きになってこなかった。そんな人間が、都合良く誰かから好かれたりしないのは当たり前のことだ。でも、それを和なんかの前で正直に認めるのは悔しかった。 「……俺だって」  ただ和みたいにちやほやと好かれたかったのだなんて言えるわけがない。それに、和が好きで今の容姿でいるわけでないことも、向けられる好意を喜んでいるわけでもないことも知っている。  和はずっと、俺なんかのことを好きなのだから。 「……俺だって、お前のことは心配だった」  とっさに俺の口をついたのは、よくわからない言葉だった。 「え?」  和も面食らったような顔をしている。 「いや、違う、そうじゃなくて」  俺は恥ずかしさを紛らわすため、コップに残っていたワインを口に運んだ。顔が熱い。  和の言うような、「その人が全部でいい」なんて気持ちはわからない。わかるわけがない。でも、俺も心を今までずっと占め続けてきたのはただ一人だ。それでいいなんて到底思えないけれど。 「違うんだ、俺はお前が……嫌いで」  コップをテーブルに置いた瞬間に、腕を掴まれた。空になったコップがテーブルの上で倒れる。 「ば……っ、危ないだろ……っ」  俺はそれ以上何も言えなかった。ワインの匂いがする唇に口を塞がれて息がうまくできない。 「……っ」  和はなかなか離れようとしなかった。和の舌が俺の口の中に入ってくる。腕を掴まれ、俺は身動きができずにそれを受け入れるしかなかった。 「嫌いで……っ」  身体が熱いのは酒のせいだ。それ以外にあるはずがない。深くまで舌を入れられ、唾液が混じり合う。自分が溶け出しているかのような錯覚に襲われる。 「や、め……」  俺はばかだ。もとの平穏な生活、なんてそもそも存在しない。和と一緒に暮らしていたら、今までのままではいられないと、本当はどこかでわかっていたはずなのに。  俺はそのままベッドの脇に押さえつけられる。前に、和の手で射精させられたときと同じだ。同じことになるのかと思ったが、和の口にしたことは違った。 「……兄さん、ベッドの上乗って」 「な……に言って」  腕を掴まれ、強引に立ち上がるよう促される。俺は操り人形のように、和にされるままでいた。  立ち上がり、ベッドに腰を下ろす。そうしてしまったらもう逃げられないと、たぶんわかっていたのに。  そのまま押し倒され、見えるのは天井と和の顔だけになる。和の目は、やっぱり怖いくらい強く俺を見ていた。 「おい……っ、和っ」  和の身体で押さえつけられ、俺は身動きが取れない。そのまま和はしつこく何度もキスをしてきた。  今まで、キスの経験がなかったわけじゃない。でも、俺はこんなにキスに弱かっただろうかと思う。舌を吸われ、口蓋をなぞられ、ぞくぞくと腰のあたりに熱が集まる。 「あ……っ」  認めたくなかったけれど、たぶん、和のキスがうまいのだ。  和の手が服の裾から入ってきて直接肌を撫でる。しつこく何度も、胸の先を撫でられた。女の子とするときも、たまに触られたことがある。でも、ほとんど何も感じなかった。  でも、こうやって和に押し倒されて刺激されると、何だか変な気持ちになってくる。 「や……、なに……っ」  じんと疼くような感覚は、今まで知らないものだった。指で摘ままれ、思わず声が漏れそうになる。 「気持ちいい?」 「いいわけな……っ、あっ」  キスをやめた和は、今度は胸元に顔をうずめ、舌で乳首をなめる。指とは違う感覚に、また違う刺激が走った。何度も舌先で転がされ、甘噛みされるとそこはつんと尖り、じわじわと快感を伝えてくる。 「……や、め」  同時にズボンの上から性器を撫でられる。もうすっかり興奮して、ズボンの中で苦しくなっているのを見越されたようで逃げ出したくなる。 「……っ」  和はそのまま俺のズボンのボタンを外し、ジッパーを下げる。すでに硬くなっているものを下着ごしに撫でられて、ダイレクトな快感が響く。 「不思議だった。兄さん、いつ処理してるのかなって」 「なに……言って」 「こんだけ狭い部屋なら、してたらわかるはずなのに」  確かに俺は和の目を意識して、和が来てからほとんど自慰をしていなかった。どうしてもというときは、和のいない時を狙って、風呂やトイレで手早く済ませた。  そうだ。こんなに気持ちがいいのはしばらく自慰もセックスもしていなかったからだ。そうじゃないとおかしい。 「お前だって……してなかったろ」 「してたよ。気づかなかった?」 「嘘だ」  狭い部屋の中でそんなことをしていたら、いくらなんでも気づくはずだ。 「二階建てのベッドの上で、こっそりしてたよ。兄さんをこうやって、押し倒して頭のてっぺんから足の指の先まで、全部俺のものにする想像して」  俺は絶句する。実家で和と同じ部屋を使っていたのは、俺が高校二年生のときまでだ。 「実際にそうしないように、我慢するのが大変だった」  笑えなかった。あの頃、俺はもっと余裕がなかったし、そこまで和がおかしなことを考えているなんて気づきもしなかった。  もしかして、俺はとんでもない状況に追い込まれているんじゃないだろうか。反射的に後ずさろうとするけれど、ベッドの上では逃げようもない。 「……ずっと我慢してきたんだ」  まるで褒めてくれと言わんばかりに和は言う。 「でも、もう我慢しなくてもいいよね?」 「よくな……っ」   俺の上着はたくし上げられ、下半身は下着だけになっている。その下着の中に和は直接手を入れてくる。先走りでぬめった先端を、ぐりぐりと刺激されてその直接的な刺激に下半身に熱が集まっていくのがわかる。 「や……っ」  怖かった。それは俺だって、この先何をしようというのかまったくわからないわけじゃない。俺はちゃんと逃げていたはずなのに、いつの間に捕まってしまったのだろう。 「一回出す?」 「や、めろ……」  和の手は容赦なく、俺の性器をしごき上げる。しばらく自慰もしていなかったことを俺は呪った。あっという間に達してしまい、和の手を汚した自分の精液をぼんやり見る。 「……はっ」  この間はここまでだった。でもきっと今日は、ここで終わるはずがなかった。手をティッシュで拭った和は、シャツを脱ぎ始める。 「和……っ」 「なに?」  上半身裸になった和に問い返され、俺はどうしていいかわからなかった。 「俺たちは……、兄弟、で」 「うん」  和の手が俺の手を掴み、シーツの上に縫い止める。 「だから、こんなのはだめだ」 「じゃあ兄弟じゃなかったらしたい?」  俺はベッドの上でずりずりと後ずさろうとする。 「そういう問題じゃ……」 「じゃあ何が問題?」  両親に知られたら何を思うか。ショックを受けることは間違いないはずだ。でも、それ以上の問題点はなかなか出てこなかった。男同士なんていくらでもあることだし、兄弟とはいっても子供を作るわけではない。そもそも俺たちは血が繋がっていない。 「……兄さん」  逃げたいと心の底から思っているはずなのに、耳元で囁かれて背筋がぞくぞくした。  和はいつもそうやって俺を呼ぶ。実の兄じゃないのに。 「兄さん」  それはまるで俺を動けなくする魔法のようだった。身動きが取れない俺を射止めるように、和はキスをする。  さっき一度射精したばかりなのに、じわりと欲望がわき上がってくる。和は器用に俺のシャツも脱がせた。強くかき抱くように抱きしめられ、肌が触れあう。和のすっかり硬くなったものが腿のあたりに当たる。 「好き」  俺はされるままだった。下着も剥ぎ取られる。いつの間に用意したのか、和の手元にはゴムとローションがあった。ローションで濡れた和の手は、軽く俺の性器を撫でて、そのまま奥に触れる。 「……っ」  和の指がそのまま中に入ってくる。慣れない場所への刺激に息苦しさを感じる。  でも唇を繰り返しキスで塞がれて、文句を言うこともできなかった。 「あ……っ」  和の指が中を押し広げるように動く。気持ちがいいなんてとても思えないのに、俺の性器は萎えていなかった。それどころか、繰り返し奥の方の一点を刺激されているうち、よく知らない感覚が湧き上がってきて声が漏れた。 「や…、あっ」  こんな声は、まるで感じてるみたいだ。嫌なのに止まらなかった。 「あ…っ、や、だ」 「苦しい? 大丈夫?」  声ばかりは心配するようなのに、和は動きを止めない。俺はどうしていいかわからなくて、和の肩を掴んだ。跡が残りそうなくらい強く掴んだのに、和は苦しそうな顔ひとつ見せない。 「和……っ」  もっと和の余裕もなくしてやりたかった。腹が立つことにこいつはきっと、キスもセックスも俺より経験があるんだろう。俺の方が兄なのに。  苦しくて逃れようと動く身体を和は体重をかけて押さえつける。恐ろしいけれど、嫌悪感はない。ぞくぞくして、わけのわからない声が漏れる。俺は本当にどうかしてしまったんじゃないかと思う。  何をされるかはわかっている。でも、逃げることができない。息が荒くなっていき、腰が震える。 「やめ……っ、和っ」  内部を刺激されたまま先走りで濡れた性器を再び擦られて、そこがまた反応を示す。  和は真剣な顔で、観察するように俺を見下ろしている。 「……すごい」  ぼそりと呟かれるのがかえって恥ずかしかった。もう俺は肩で何とか荒い息をするのが精一杯だった。 「だ、めだ……っ、和っ」  性器と同時に、敏感な粘膜を擦られる。ローションが足されていることもあって、内部が濡れているのがわかる。濡らされて、慣らされている。  指が抜けていったとき、次に何をされるのかはわかっていた。ぞくりと背筋が震える。泣きたいくらい怖くて、でもどこか甘美な感覚が背筋を走る。自分はどうなってしまったのだろう。  彼がいなかったら起きなかったことや、やらなかったことがたくさんある。和のせいできっと俺は変わってしまった。そしてそれはまだ終わりではないのだ。  形を変えた和のものが押し当てられる。入るわけがない、と思う。指と比べても大きすぎる。いくら慣らしたからといって無理がある。 「兄さん、力抜いてて」  そんな風に言われて、はいそうですかとできるわけがない。  先端の部分がゆっくりと入り込んでくるのがわかった。狭いせいなのか、それとも気を遣っているのか、和の動きはいやにゆっくりだった。じわじわと進んでくるものは、だけどやはり大きくて圧迫感が強い。 「あ……っ」  和のものは指よりもずっと熱くて、入っている場所を強く意識してしまう。繋がった場所が熱かった。全身に熱が広がり、震えが走る。内部をこれ以上ないくらいに押し広げられ、受け入れさせられる。 「あ、あ……」  俺は和の肩に思わず爪を立てた。 「……兄さん」  苦しそうに和も眉根を寄せていて、ふっと俺は息を吐く。俺だけがきつく感じているわけではない。中に入っているのは他の誰でもない、和のものだ。  力が抜けて、更に深くにまで和のものが入ってくる。 「っ……やっ」  悲鳴のような声が漏れる。  全部を埋められて、がくがくと全身が震えた。一番奥にまで入っている。もう後戻りできないのだと実感する。  奥深くまでいっぱいに含まされて、息が止まりそうだった。痛みも苦しさもあるけれど、感じたことのない気持ちよさも同時にあって、体中がおかしくなりそうだった。 「好きだよ、兄さん」  和は深くで繋がったまま、がむしゃらにキスをしてくる。何度も何度も繰り返し、浴びせるようなキスだった。息が苦しくなって、頭がぼうっとする。 「好き、すごい、こんな……」  和が身じろぎをするたび、ひくりと身体が震えそうになる。 「奥まで、入ってる」  わかりきったことを和は口にしてくる。そうしてわざわざ、繋がった部分を指でなぞった。目一杯広げられた入り口を指先で撫でられて、必要以上に彼の性器をくわえ込んでいることを意識してしまう。 「ずっと、こうしたかった」  和は実家にいたころから妄想をしていたと言った。こんなことを、本当にずっと想像していたのだろうか。信じられない。 「大丈夫?」 「だ、いじょうぶなわけ……」  ずんと奥まで突かれ、俺はひっと息をのんだ。 「ああ……っ」  中に入っているだけでも辛いのに、ゆっくりと和は中にいれたものを抜き差しし始める。  押し広げられ、抜かれたと思ったらまた奥まで突き上げられる。俺にはもう言葉を発するだけの余裕もなかった。 「んっ…、や」  中を突き上げられながら、さっきもいじられた乳首をまた摘ままれる。全身がうずいて、痛みが遠ざかっていく。揺さぶられるのにもう抵抗できず、ただひたすらに翻弄されるままになる。  もう限界が近かった。ひときわ奥を深くえぐられ、俺は一瞬意識を手放す。 「あ……っ」  ほとんど同時に、和も俺の中で射精していた。緊張していた身体が一気に弛緩する。全身が熱かった。和のものがゆっくり抜けていく。  和はわずかに汗ばんだ俺の身体を抱きしめる。ここまで来てしまったら、もう戻れない。普通に女性と付き合うなんてきっとできない、と思わされる。 「たまに、誉って呼んでいい?」  唇に軽いキスを落として和は言う。 「ダメに決まってんだろ」  弟のくせに調子に乗りすぎだ。 「じゃあ、『兄さん』」  和のその呼び名はあまりに何度も繰り返されて、耳に馴染んでいる。嫌でも嫌じゃなくても、もうそれが当たり前のことになっている。  俺が何も言わないでいると、和はもう一度耳元で囁いた。もう飽きるくらい聞かされているせりふを。 「好きだよ、兄さん」 「バカ」  俺はかろうじて口にする。それ以上のことはまだ言葉にならなかった。だから、和の頭を掴んで引き寄せる。それが今のところの俺の精一杯だった。でも、和は嬉しそうに俺を見ていた。  前山はやっぱり間違っていると思う。和の顔は何度見たって俺には似ても似つかない。悔しいことに、見飽きるほど見ててもどうしたって、特別な顔だった。  ・  ネット上の記事の件は両親が依頼した弁護士との間で話がついたらしい。それ以来、和に関する記事が出ることはなかった。いつの間にか、以前の記事も消えていた。  あの家は和が二十歳になるのを待たずに、取り壊すことになった。 「さっむ」 「八木沢、大丈夫か?」 「だいたいなんで山に登るんだよ」 「お前、ワンゲル部入っておいてそれ言うか?」  俺は去年、サークルの活動は飲み会しか参加しておらず、それ以外の活動のことは全く気にしていなかった。今まで、山登りの経験といったら小学生の頃の遠足くらいだ。 「忘れてたわ……」  伊藤は先輩たちの命を受け、熱心に俺をサークルに連れ戻そうとした。和を連れ戻すためには、まず俺に声をかけるのがいいと踏んだのだろう。  それは嫌と言うほど繰り返された、和目当ての行動のはずだったけれど、もうそれほど腹は立たなかった。  俺はまた、なんとなく部室に通うようになっている。和が来るのは飲み会のときなど稀だ。でも、今日は俺と一緒に来ていた。  日帰りなのでそう標高が高い山ではない。だがそれでも、本格的な登山であることには違いなかった。 「ほんとに辛かったら休憩しながらでいいからな」  伊藤はそう言ってくれるが、今回は一回生の女子も参加している。さすがにあまり情けないところは見せられない。 「歩くよ。まだ行ける」  俺は少し先を歩いている和をちらと見る。彼も今日は帽子をかぶり、リュックを背負っている。相変わらず女性に囲まれていた。 「あとどれくらい?」 「半分くらいは来たかな」 「あと半分もあんのかよ」 「八木沢には一回沢登りもやってみてほしいわ」 「絶対に死ぬ……」  確実に明日は筋肉痛だ。 「ほら、もっとまわり見てみろよ。山はいいもんだぞ」  伊藤に言われて周囲を見渡す。一面の森だった。背の高い木が、頭上までを覆っていてほとんど日は差していない。  こうしていると、自分がひどくちっぽけに思える。だけどそれはあの北海道でのときと違って、嫌な感じではなかった。 「やっぱ山はいいよな。登らないとこの自然の成り立ちっていうかさ、見えてこないんだよ」 「ふぅん」 「自分の足で歩くから、見えないとこが見えて、今まで以上にきれいに見えるんだ」  伊藤はもともと登山が好きでこのサークルを選んだらしい。たまに一人でも山に登っているのだという。知らなかった。  立ち止まると、ゆるやかな風が吹き抜けているのがわかった。俺は先を歩く和をまたつい目で追ってしまう。和が振り向くことはなかった。 「ついたー!」  頂上に着くと、もう昼過ぎだった。開けた場所で、ちょっとした椅子や見晴台が設置されている。先客も何人かいてにぎやかだ。  慣れた部員たちがバックパックの中から食材を取りだし始める。缶詰でも食べるのかと思ったが、ここでお湯を沸かすらしい。  手伝えることもなく、俺は見晴台の方に向かう。中年女性の集団が、楽しそうに写真を撮っている。  紅葉にはまだ少し早かったが、緑がかった木々にはわずかに黄色や赤に色づいているものもあった。  雄大な景色を眺めながら、なんでこんなところにいるんだろうとふと思う。もし和がいなかったら、俺はきっと東京の大学に進学していた。サークルに入ったかどうかはわからないが、伊藤とは知り合わなかっただろうし、こうしてこの山に来ることもなかった。  ゆるやかな風に、木々の葉が揺れる音がする。 「飲む?」  気がつくと、和がとなりに立っていた。彼が差し出してきたのは小さなカップに入ったコーヒーだった。 「もうお湯沸いたのか?」  先輩たちが淹れたものだろう。いい匂いだったので、素直に受け取る。 「うまい」  暖かいコーヒーは、疲れ切った身体に染み渡るようだった。景色と相まって、とんでもなく贅沢な一杯を飲んでいる気分だ。 「身体大丈夫?」 「……は?」  散々和に翻弄されて、くたくたになって起き上がれなかったのはおとといのことだ。思い返すと今でも信じられない。 「……っ、何言って」  せっかく気持ちいい風にあたっているのに、顔に熱が集まってきてしまう。 「山登って疲れたんじゃないかと思っただけだけど」  しれっとした顔で和はそう言って、また俺の手からカップを取る。 「何のことだと思った?」 「……知らねぇよ」  和は笑っている。なんだかひどく久しぶりに、彼の笑顔を見た気がした。  彼は肩に、今日あちこちで回しているらしいビデオカメラを下げている。 「映像、どういうの作るつもりなんだ?」  和は一瞬、少し意外そうな顔をした。 「説明が難しいんだけど……流氷の源は森で」 「うん」 「全部山から来てるんだなって」 「いやわかんねぇよ」 「森の水が川から海に流れ込んで流氷を作る。それを流れで、こうぶわっとさ。最後、流氷が溶けて、海が明けるまで」  なんだかわかるようなわからないような説明だった。 「海が明ける?」 「流氷がなくなると、海明け」  俺はいまだに、流氷を見たことがない。せっかく流氷のまちにまで行ったのに、博物館に寄る余裕もなく帰ってきてしまった。 「へぇ」  もうほとんど忘れてしまったが夢の中では、海は白っぽく光っていた。 「おーい、八木沢兄弟、カップラーメンできたよ!」  もう少しでこの山の木々は色づき、あっという間に冬が近づいてくる。そうして冬の海には流氷がやってくる。それは少しだけ遠い場所のことだ。でも、行くことができないほど遠くじゃない。俺の弟が生まれ育った場所。  いつかその光景を、二人で見てみたいと思う。 「早くしないと伸びちゃうよー」  ぼうっとしていると、再度先輩が声をかけてくる。コーヒーもおいしかったけれど、やはり山を登るなんていう慣れない運動をしておなかが減った。 「今行きます!」  和がちらと俺の方を見て笑う。よく晴れた日だった。こんな風に出かけて身体を動かすのも、たまになら悪くない。二人で展望台を離れて、みんなのところにまで足早に歩き出した。

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