（もう半年か。いい加減移らなくちゃな） 　その店アーバンには長く居すぎていると遥もわかっていた。 　オーナーはとてもやさしく思いやりがあり、同僚もみな気がいい者ばかりだった。　特に寮代わりのアパートで同室の水木とは同い年で気が合った。 　その上、非常に客の質もよく、とても居心地のいい店である。限界とわかっていても、なかなか辞めると切り出せなかった。 　もう探していないかもしれない。 　時には甘いささやきが聞こえる気がする時もあった。が、すぐにそれを打ち消す。 　こんな特殊なものを放置するはずがない。 　ただ、逃げ始めてから三年―― 　今までがうまくいっていたので、少しずつ警戒心が薄れていったのかもしれない。 　アーバンの定休は日曜だ。 　水木が朝から部屋を掃除していた。今日は彼女が来ることになっているのだ。 　掃除機のスイッチを切った水木が、流しで食器を洗っている遥に声をかけてきた。 「できれば、出かけていてほしいけど……、無理だな」 　諦めたように笑っているのへ苦笑を返した。 「ごめん」 「わかってるって」 　水木がにやっと笑った。 「声が聞こえても、のぞくなよ」 　遥もにやりと返す。 「ヘッドフォンで音楽がんがん流しとくよ」 「そうしてくれ」 　また掃除機がうなりをあげ始める。 　休日に出かけないことを初めの頃は不審がられた。 「俺、インドア派だから」 「人混みが駄目なんだよね」 　そんな言い訳を繰り返してきた。 　うかつに外に出るわけにはいかない。 　人混みでは付けねらわれてもわからない。 　水を止めて、自分の部屋に戻った。 　その時、ドアチャイムが鳴った。 「はいはい」 　水木が弾んだ声で玄関に向かった。 　ドアを開ける音がした。 『なんだ、あんた達は！』 　水木の叫びと荒々しい足音に遥は全身の血が凍った。そしてはっとする。 「水木、逃げろ！」 　その一方で遥も窓に駆け寄ろうとする。 　遥の部屋のドアが乱暴に開け放たれた。窓を開ける間もなく、なだれ込んできた男達に体を押さえつけられた。 「アキラ！」 　水木が叫んだ。 　立ったまま遥のようすを見ていた男が聞きとがめた。あの銭湯で会った最初の男だ。 「この方は、そんなお名前ではございません」 「え？」 「水木は放せ！」 　そう叫びつつも、驚く水木の顔を見ることができない。 「そうですよね、高遠遥さん」 　男からも顔を背ける。 「一応ご本人か確かめさせていただきます」 　はっとして顔を上げた遥を男達が引きずり起こした。 　必死にもがいたが、両側から腕を捕まれ風呂場へ連れ込まれた。 　もがく水木を一人の男が背後から両肩を羽交い締めにしている。 「何するんだ、やめろ。警察呼ぶぞ！」 「どうぞ」 　ひどく冷静な声だった。 「しかし、偽名を使わなくてはならなかった高遠さんがそれを望まれますかねぇ」 　水木が絶句したのがわかった。 「その方はもう少し下がっていただけ」 「アキラ？　アキラ！」 　水木の声が遠ざかる。遥は目をつぶって叫んだ。 「逆らうな、水木！」 「やれ」 　男が短い命令を発した。