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連れ戻されて一ヶ月半が経過していた。
変わったことと言えば、泣かなくなったことだろうか。それを慣れとは思っていない。怒りゆえだと思っている。
世話係の男――桜木のスマートフォンが鳴り出したのに体がびくっとした自分に、腹が立った。
それでなくても落ちている食欲は一気に減退する。
通話を切って桜木が、のろのろと食事をしている遥の側に戻ってきた。
「今夜、社長がお見えになるそうです」
遥は箸を置いた。
「もうよろしいのですか」
かすかに責めるような口調に、遥は言い返す。
「腹一杯にして激しいセックスなんかしたら、吐く」
桜木がかすかに眉を動かした。困惑の表情だ。
ざまあみろ。
遥は席を立って寝室に戻った。
窓際から外をながめる。
桜木を困らせて、何かが変わるわけではない。が、少しはそんな腹が癒えることでもなければ、気が変になりそうだ。
遥が住んでいたアパートの部屋の三倍以上はありそうとはいえ、所詮はマンションの一室という閉じられた空間だ。その外へ一歩も出られず、しかも二十四時間監視されていたら、普通の人間ならばおかしくなる。
ため息をついて、窓辺に置いてもらった椅子に腰を下ろす。
見上げる空は下界の明るさのせいか、星がよく見えない。
真夜中の海にでも行かなけりゃ、星は見えないよな……
またため息がこぼれる。
ここには海の気配がない。
波の音も潮の香りも湿った重い風も、何もない。
時々無性に恋しくなる。海を見たくなる。いや。見なくてもいい。側に海があると感じられればそれでいい。
遥が生まれ、小学三年生くらいまで住んでいたのは、海の近くだった。海があるのが当たり前だと思っていた。海のない街へ引っ越したとき、泣きたいほど切なかった。
本当のところを言えば、遥は海が怖い。だから側へ行かなくていい。ただ、海があると感じられればそれでいい。
逃げ続けていたときも、三、四箇所に一カ所の割合で、海の近くを選んでいた。初めのうちは自分がそうしていることに気がつかなかった。
この先、海を感じられる日は来るのだろうか。
開けたままのドアがノックされた。振り向かずに反問する。
「何?」
風呂に入れと言われるのだと思った。体を中も外もきれいにして、あの男が来るのを待てと言われるのだと思った。
「社長がお見えです」
桜木の言葉に驚いて振り向いた。
「リビングへおいでください」
静かな声でそう言われた。
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