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 リビングで男の前に座らされて、初めて気がついた。  この男とこんなふうに向かい合ったことは今までなかった。それどころか遥が満足に口をきける状態で、この男の前に連れてこられたことはなかったのだ。  不審と焦りと、かすかな期待と、期待を持つことを抑えようとする冷静さが、遥の中でせめぎ合う。  不意に男が苦笑いを浮かべた。 「初めてだな、お前とこんなふうに向き合うのは」  男も同じことを考えていたようだ。  何度もこの顔を見ていたのに、この男を観察していなかった。  連れ戻されてしたくもない再会をした頃はどことなくやつれていて、四十代後半だと思っていた。しかし、今は四十前に見える。やつれも気にならなくなり、顔色もよくなっている。身なりもいい。  もっとも身なりのよくない男が、人ひとりをこんな場所に閉じこめておくなど不可能か。  男は脚を組んでいる。その左腿に軽く両手を重ねて置いている。 「三年遅れたが、来週本邸で儀式――お前の披露目をするつもりだ」  遥は深く息吸って、吐いた。 「今夜は、俺は口をきいていいのか?」 「どうぞ」  促されて口を開きかけ、遥はすぐ唇をかんだ。  言いたいこと、訊きたいことが多すぎる。  とっさに整理ができなかった。  男が目を伏せた。 「そう言えば、ずっと名乗っていなかったな。お前を皆の前に出す段取りがつくまではと、避けてきたから」  そうだっ、それだ!  遥は怒りに震える声で低く訊ねた。 「あんたは、誰だ」  男が目を上げる。 「加賀谷(かがや)隆人(たかひと)だ」 「加賀谷?」  記憶の何かが反応する。バーテンダーとして勤めていた頃、客の話で何か聞いた気がする。 「加賀谷精機を知っているか?」  記憶が呼び出された。  客が買ったばかりの株が下がったと嘆いていたのだ。何か不祥事が発生し、株価が急落した会社が確か加賀谷精機だった。  遥は探るように訊ねる。 「そこの、役員?」  加賀谷は無表情に答えた。 「代表取締役社長だ」  そうだ。不祥事の責任を取って、社長が交代したのだ。現社長の甥、先代社長のまだ若い息子が就任し、ずいぶんな乱暴な交代と客はぼやいていた。  それはあの日曜日の直前に聞いた話で、その社長に就任したのが、この男なのだ。  怒りに顔が歪む。 「その加賀谷精機の社長が、なぜ俺をこんな目に遭わせるんだ」  加賀谷はしばらく答えなかった。  遥がいらいらしてきた頃になって、やっと口を開いた。 「超常現象を信じる方か?」 「俺を馬鹿にしているのか?」 「信じる方かどうかと訊いている。どっちだ」 「信じない。そんなこと」  加賀谷が歪んだ笑みを浮かべた。 「そう言うと思った」  その表情が遥をかっとさせた。しかし、振り上げた手は加賀谷の手につかまれた。 「放せ!」 「お前を馬鹿にしているわけじゃない。ふつうは超常現象など信じない。だが、私は信じる。だから自嘲した。悪いか?」  この男はずるい。  こんな言い方をされたら、遥は怒れなくなる。この苛立ちのはけ口がなくなる。  歯を食いしばって、加賀谷の手を振り払った。

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