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 遥が寝室で大暴れしたのは加賀谷が帰ってすぐだった。  窓際に置いてあった椅子で、クローゼットの内側の鏡をたたき割った。鏡の破片を掴んで、更に鏡の残骸に叩きつけた。鋭い痛みに手が切れたのがわかった。 「遥様!」  駆け込んできた桜木が遥を捕らえようとする。それをすんでの所で躱してカーテンに縋った。鏡の破片が手に突き刺さる。カーテンは無残に垂れ下がった。 「遥様!」  桜木に捕まった。 「失礼いたします」  みぞおちに拳をたたき込まれ、げほっと息を吐きながら遥は意識を失った。  医師による治療は遥が意識のない間に行われていた。  大仰に包帯が巻かれているのを見た時、遥は新手の嫌がらせにしか思えなかった。  一日に四回の消毒は桜木が行う。今も寝室で遥がベッドに腰をかけ、手当を受けていた。  薬が傷にわずかにしみて、遥は顔をしかめた。ちくちくとうずく傷は、暴れることの愚かしさを嘲笑っているようだ。  あれだけ暴れたのに深い傷がなかったのも、遥の心をささくれ立たせていた。 「無茶をなさいましたね」  ガーゼをテープで留めながら、珍しく桜木が話しかけてきた。遥は言い返す。 「暴れる以外に俺ができることはないじゃないか」  桜木がふっと息を吐いたのがわかった。  不愉快になる。 「あんたはあの男の仲間だろう? あいつの言っていた一族とかいう中のメンバーなんだよな」 「――はい」  テープを止め終わると、包帯代わりのネットが手にかけられた。 「やっぱりな」  遥は手を引っ込める。桜木は片づけをする。  この男は『一族』で犯罪者に過ぎない。  そうでなければ、拉致監禁という犯罪の片棒を担ぐはずがない。この「一族」という奴らにとって、遥に傷を負わせ、閉じこめることは犯罪ではないのだ。「正当な行為」なのだろう。  だから遥が何を言っても無駄なのだ。  言葉が通じないならば、言葉など使っても仕方がない。しかし、それでは遥は気持ちのはけ口がない。  だから壊す。だから暴れる。  悪いか?  器物損壊がなんだ。そっちは傷害と監禁だろうが?  その上、衆人環視の中、遥を犯すという。  遥は手当てされた手を胸に当てる。  憎悪が体の中を暴れまわる。その熱さに遥自身も焼かれてしまいそうだ。 (閉じこめて、セックスして、それで守護できるというなら、誰だっていいじゃないか) (俺以外の誰かでたくさんだったはずだ)  加賀谷の言葉がよみがえる。 『正しくはお前を選んだのは私ではない。亡くなったあの彫り師だ』  あのひからびた枯れ木のような男が、遥を選んだ。  目つきだけがぎらぎらとしていた。 (あの目は怖かった。あの目を見ると何も言えなくなってしまった) (だから父さんがあいつを怒鳴りつけるのが、俺は信じられなかった) (なぜ父さんは平気なんだろうと思った) (そして、うれしかった) (父さんが俺が苦手な物を平気で追い払ってくれたことが) (父さんは俺より強い人だったと、その時やっと知ることができたから)

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