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遥の位置から加賀谷の顔はちょうど逆光で、よく見えない。
「凰になり損ねた者が一族の者ならば凰の証の一部または全部を焼かれ、家にもどされる。場合によっては幽閉されることもある。一族外の者ならば、凰の証を完全に焼かれた上で解き放たれる。その時正気か否かは一切関係なくだ。正気を保ってられる者の方が少ない、という話だ」
遥の背筋に冷たいものが走った。
背中を焼くというのか?
こいつらが刻みつけたものを外部に知られないためにか?
正気を保たれる方がこの一族にとっては困るのだろう
そこまで徹底的に追いつめるということなのか?
きつく食いしばった歯がぎりといやな音を立てた。
これではどこにも逃げ道がない。遥は既に加賀谷たちの思惑の中の完全に閉じこめられている。
(俺はどうすればいい?)
(どうするのが俺にとっての正解なのだろう)
(自分の身を守るためには、いったいどうするのが最良の道なんだ?)
「非人間的だろう?」
加賀谷の声に遥は息を飲んだ。
加賀谷は苦しそうに笑っていたのだ。あまりに加賀谷らしくない。今までに見たことのない、非常に人間くさい表情だ。
「だからここまで来てしまった以上、お前には凰になってもらうしかない。今この人断ち潔斎の時にお前が逃げ出せば、私は再度お前を捜し出さなくてはならなくなる。探しだし、場合によってはお前を殺さなくてはならない。お前がそうされたいと思うのは勝手だ。だが、今のお前はここへ来た時とは違う。おそらく隠れて暮らすことなどできないだろう。お前の父親のように、必ず誰かの目にとまる」
父親のことに言及されて、遥は唇を噛みしめる。
加賀谷は遥の頬に再びそっと温かい手で触れながら、低い声で言葉を続ける。
「そして、今お前がここを逃げ出せば、お前の父親の遺骨の行方は永遠にお前にはわからない。父親のことが知りたければ、ここに留まって私の凰となることだ」
遥は加賀谷をにらみつけた。
「選べと、言っているんだな」
加賀谷が小さくうなずいた。
「最初で最後の選択だ」
「人質を取っておいて、何が選択だ」
責めると、加賀谷が自嘲の笑みを浮かべた。
「そんなものでもなければ、お前は私の言うことに耳を傾けないからな」
遥は、きっぱりと言い返した。
「これ以上何を俺に求めるんだよ」
遥は着ているシャツのボタンをゆっくりはずしながら言葉を続けた。
「あんたはこの前『御披露目』で俺がしくじらなければ、父さんのことを教えると言った」
「ああ」
「だから、その時点までは妥協してやる」
脱いだシャツを指先から床に落とす。そして加賀谷の目を真っ直ぐ見返す。
「セックスでもSMでも、好きなようにしろよ」
加賀谷の目がわずかに見開かれた気がした。が、すぐに微かな苦笑にそれはかき消された。
「この間までセックスのセの字も知らなかったくせに言うようになったな」
加賀谷の口調が変わっていた。
遥は立ちあがり、加賀谷の方に手をさしのべた。
「ああ、そうだよ。俺は初心者だから、あんたがよほど上手じゃなきゃイけないからな」
「お前がそのつもりなら、私もそのつもりでかわいがってやる。今まで以上にな」
遥は自分の手を取った加賀谷に自ら歩み寄った。ほんの少し伸び上がって、自分より上にある加賀谷の唇に自分のそれを押し当てた。
加賀谷の腕に抱きしめられる。遥はその背に腕をまわす。
この男を選んだわけじゃない。
ただ、この状況の中、逃げるのをやめただけだ。
どこへ逃げても死か暴行しかないというのなら、闘う以外に道はない。
そのために一番有利な道具を、必要な情報を得るために選んだだけだ。
書斎のカーペットの上に押し倒されながら、遥は自分にそう言い訳していた。
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