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ふと目が開いた。
誰かの声がする。
起きあがって見るとそこはあのモデルルームじみた部屋ではなく、昔遥が住んでいた海の近くのあのアパートだった。
声は隣の居間から聞こえてくる。
遥はふすまに近づき、聞き耳を立てた。
「黙ってサインしてくれるわよね」
母の声だ。父は答えない。
「わかっているでしょう? セックスができない夫婦は夫婦じゃないの。確かに一生懸命治そうとしてくれたわ。でも治らなかった。そうなった理由を私は知っていて、そこから逃げたくなかったから、今日までがんばってきた。でも、もう限界。私を自由にして。私はまともな夫婦でいたいのよ」
「遥はどうするつもりだ?」
父が沈んだ声で言った。
「任せるわ」
「それが答えなのか?」
母が苦しげに笑った。
「私がどんな思いであの子を見ていると思うの? 遥は日に日にあなたに似てくるわ。あなたそっくりの、男とは思えないかわいい子どもだわ。でも、私はそれが耐えられない。あなたがその顔であんな目にあったというのなら、遥がそうならないという保証はないわ」
「それは考えすぎだろう。あんなことが二度も三度も起きてたまるか」
「あなたには起きているじゃない」
勝ち誇ったように母が言った。
「あなた、会社で何されてるの? いじめ? それはどんな?」
父は黙ったままだ。
「私が気がつかないとでも思った? これでもあなたの妻なのよ」
「淑子……」
「自分の夫が女扱いされて、しかも男としては不能で――そんな生活にずっと耐えていけと言うの、あなたは?」
「それと遥は別だろう?」
「いやよ」
「淑子」
「私は、あなたの妻になったこと忘れたいの。やり直したいのよ。あなたそっくりのあの子がいて、やり直せると思う?」
誰かが深いため息をついた。
「そこまで俺が憎いのか」
「憎くはないわ。見ていると苦しくなるだけ。あなたと婚約する前に母が言ったとおりになったことが許せない。そうならないように必死だったけど、結局駄目だった。じゃああなたと過ごしたこの六年はいったい何?」
父は黙っている。
「あなたにとって、私は何? 妻というラベルの貼ってある置物?」
「わかった。サインする。遥も俺が引き取る」
「わかった? わかってないわよ。そうやってすぐ逃げるのね。男に迫られる時もそうなんでしょう? 立ち向かったりしないで、逃げるんでしょう? だから追われるのよ。追いつめられて、なぶられるの」
「もうやめてくれっ」
「わかってないのよ、あなたは」
「お願いだから、やめてくれ」
父の声は泣いているようだった。
本当に目が覚めた時、遥は自分が泣いていることに気がついた。
実際にあったことだった。夢の中で聞いた会話だと思っていたが、あれは両親が離婚の話をしていたのだ。
だから遥は父親似だと言われることが我慢ならなかった。そのせいで、母に捨てられたから。
こみ上げる嗚咽をこらえられない。
泣いたら桜木兄弟に聞こえてしまう。
しかし、声は抑えようがなかった。
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