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桜木たちに案内されて屋敷の出入り口へ回った。そこにたどり着くまでが、うんざりするほど長い距離だった。
ここは山間 の町であるらしい。緑の濃い山並みがわずかに庭木の影から見え隠れしている。さえずりかわす鳥の声がはっきりと聴き取れる。
ついた場所は時代劇の中でしか見たことのないような広い間口の玄関だった。これでただの通用口らしい。しかし遥が戸惑うには十分だった。
富というものはあるところには集中し、ないところからは逃げていくものらしい。
遥と父の暮らしとはあまりに違う加賀谷の持ち物に、遥は怒りや不快を感じることすらできないほど圧倒されていた。
桜木たちに守られるように囲まれながら靴を脱いでいた時、物陰から人影が現れた。
「へえ、これが噂のご当主のペットか」
桜木たちが俊敏に振り返るのに対し、遥はゆっくり声の方を向いた。
三十歳くらいだろうか。男が柱に寄りかかってにやにやと笑っていた。
(品のない奴だ)
第一印象はそれにつきる。
桜木が遥を庇うように、男との間に立った。
「無礼なことをおっしゃらないでください」
「事実だろう?」
「この方は隆人様に望まれてここへおいでになった客分。その方を愚弄することは許されません」
「俺は事実を言ったのみだ、俊介」
男が桜木の正面に立った。
「本来ならお前達は全員ここへ二度と立ち入ることの許されない身。今や加賀谷の一族に桜木という家はないのだからな。そのお前が分家筆頭加賀谷西家の嫡子のこの俺に、よくそんな口がきけるな?」
遥は男の言葉に桜木の肩が一瞬震えたのに気がついた。
怒りを抑えているのだろうか。
「お言葉を返すようですが、私どもは当主隆人様に高遠様のお世話を依頼され、その一環としてここへ参った次第。分家衆第一のお家柄の方であろうと、この件に口を差し挟むことはかなわぬ定めでございましょう? それとも、尚之 様は隆人様のお決めになったことに異議を差し挟むおつもりでございますか?」
男が唇の端をねじ曲げて馬鹿にしたように笑っている。
桜木は更に言いつのった。
「凰として鳳に望まれた方と御披露目前に顔を合わせることが許されるのは、鳳その人と鳳より世話役としてご指名いただいた者のみのはず。御披露目の済まぬうちにここへ来ること自体、許されぬ所業でございます。お部屋へお戻りください」
「そんな古くさいしきたりを気にするなど随分な権威好きだな、俊介」
尚之と呼ばれた男が桜木の胸倉をつかんで自分の方に引きずり寄せた。
湊達が遥を庇うように位置を変える。
尚之が桜木に何事かをささやいた。
「な――」
桜木が顔色を変えて、何か言い返そうとした時、また一人現れた。
「こんなところにいらしたのですか」
現れたのは加賀谷克己だった。
克己は遥に対し、丁寧に頭を下げた。
「本日はおめでとう存じます。本来ならば御披露目前の大切な時にお目を汚すのは許されないことではございますが、なにとぞご寛恕くださいませ」
この男は苦手だと、遥は思った。
何か磨りガラスで隔てられているかのように、克己は何を考えているのかつかませない。
克己の目が尚之にむけられた。
「尚之様も非礼をお詫びなさってください。この方は加賀谷の守護者になるお方です。お心を乱すようなことは万死に値します」
「はいはい。わかりましたよ」
尚之は桜木を突き放すと、遥の前に勢いよく、深く頭を下げた。
「数々のご無礼失礼いたしました。めでたき日の寛大なお心を持って、どうかお許しください。――行くぞ、克己」
身を翻した尚之から克己の視線が遥に戻ってきた。
「では、後ほど。失礼いたします」
また丁寧に頭を下げると、克己も尚之の後を追っていった。
桜木が、深いため息をついた。
思わず遥はその顔を見る。
桜木は二人の消えた後を不快気に見つめている。
遥の視線に気がついたのか、桜木は遥の方を向いた。その時には既に笑顔だった。
「さ、控えの間に参りましょう」
遥は促す桜木について、屋敷の奥へ入っていった。
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