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 その時ノックの音がした。  彼らの表情が険しくなる。  遥は桜木にまた座るよう促された。桜木自身は、遥を庇う位置に立っている。  基が入口の方へ姿を消した。ぼそぼそと誰かと話をしている。  そのうち、基が戻ってきた。 「俊介さん」  桜木は呼ばれて基の側に行き、小声で話を始めた。遥から姿の見える場所で話をしていると言うことは、ドアのところで待つ人物に言いにくい話をしているのだろう。 「誰?」  遥が声を掛けると、三人がびくっとすくむのがわかった。  桜木が静かな声で答えた。 「加賀谷(あきら)様です。隆人様の、ご子息の」 「会うことは許されていないのか?」  桜木が困惑の表情を浮かべている。 「いえ。暁様は御披露目に出られるお年になっていらっしゃらないので、お顔をすべてお見せになるのでなければ、必ずしも定めを破ることにはなりませんが……」  会わせたくないと、桜木の顔に書いてあるようだった。  遥は肩をすくめた。 「それなら別にかまわないだろう? 俺も見てみたい」  あえて「会ってみたい」とは言わなかった。ただ、見たかっただけだ。あの男に守られる「我が子」という奴を。  それに気がついたのか、桜木は黙って遥を見返しているのみだ。  遥は平然と促した。 「通して」  渋々桜木がうなずいた。 「かしこまりました」  桜木が基にうなずきかけるのを見てから、遥はテーブルの上に置いていたサングラスを取った。  また視界が暗くなる。  現れたのは、少年だった。好奇心に満ちた眼差しをしている。もしかしたら頬も赤いのかもしれない。 「初めまして、加賀谷暁です。本日はおめでとうございます。お忙しい中お邪魔をして、申しわけございません」  礼儀正しく名乗り、暁は深く頭を下げた。  遥は立ち上がった。 「初めまして。高遠遥です。どうぞ、座って」 「はい。失礼いたします」  遥が示した場所に暁は座った。 (アキラか。俺が使っていた名前だな)  ふとそう思った。  胸の奥で忘れていた棘がちくちくと痛んだ。その名前を名乗り、呼ばれていた頃、遥はまだ自分の巻き込まれている状況をまったく知らなかった。この少年の父親とセックスして快楽に溺れる未来どころか、この少年の存在も知らなかった。  遥のそんな思いを、暁が気付くはずもない。  彼は父親を百倍も愛想をよくしたにこやかさで、うれしそうに遥を見つめている。 「会っていただけるなんて、思ってもみませんでした。本当にありがとうございます。どうか、父をよろしくお願いいたします」  利発そうな暁の真摯な気持ちに遥は複雑な感情を抱くのを抑えられなかった。  無邪気というのは罪かもしれない。 「君は、何歳?」  突然そう話しかけても、暁は驚くこともなくにこやかに答えた。 「十一歳です」 「五年生?」 「六年です」  ほんの子どもだ。  だが、六年の遥はいかに父を守るかで必死だった。同じ相手に何度も殴られて怪我をさせられていた父に、どうやって被害届を出させるか考え続けていた。  暁の人生も見た目ほど幸福なものではないかもしれない。  自分の人生の価値を決めるのは自分自身の価値観のみだ。  少なくとも、暁にはそれでも周囲に(かしづ)く者がいて、親に庇われて生きている。こうして遥の前で自信の満ちた表情で座っていられる。  本当に見たかっただけなのだ。加賀谷隆人の息子を。  そして実際に見てみて、遥は自覚した。 (正直に認めよう) (君がうらやましいよ、俺は) (でも、俺は高遠遥で、高遠郁広の息子でしかあり得ないんだな)  遥はうつむいて笑いをこぼした。 「おかしいですか?」  首をかしげる暁に、遥は首を振った。 「君のことじゃないよ。ただ、みんな自分の道を生きていくしかないんだなと思って」  暁は突然そんなことを言い出した遥を奇妙に熱っぽい眼差しで見つめた。  暁が何を思っているのか、遥にはよくわからない。遥の考えも遥以外の者にはわからない。だから釣り合いは取れている。  他人のことがわかるなどと言う者は傲慢なのだ。 (よけいなことを考える必要はない。俺は俺を信じるしかない) 「遥様」  桜木がそっと声をかけてきた。 「そろそろお仕度を始めませんと……」  それを聞いて、暁がはっとして立ち上がった。 「そろそろ失礼いたします」  遥もゆっくりと立ち上がった。 「わざわざ来てくれてありがとう」 「いいえ」  少年が恥じらうように目を伏せた気がした。 「僕もお会いできて本当にうれしかったです。お忙しいところをお邪魔をして申しわけありませんでした」  遥は頭を下げる少年を見つめる。 「すべてが滞りなく執り行われることをお祈りしております」 「ありがとう」  遥は暁に微笑んで見せた。 「失礼いたします」  暁は遥の前から下がった。  暁のいた場所を見つめていたとき、視線を感じた。そちらを向くと、桜木が気遣わしげに遥を見ていた。  遥はサングラスをむしり取った。 「何か言いたげだな」 「いえ」と、桜木が目を伏せた。  遥は桜木の前に立ち、挑戦的に見上げた。 「で、仕度って何? あんたが俺を浣腸する以外に何があるわけ?」  一瞬桜木の表情の上に困惑が見えた。  だが、今日はそれを狙っていたわけではない。本当にすべきことを知りたかっただけだ。 「入浴していただいた後、こちらでご用意したものをお召しになっていただきます。それから鳳たる隆人様がお見えになりますので、後はそのご指示に従っていただきます」 「わかった」  遥はバスルームへ歩き出しながら、桜木を肩越しに見た。 「さっさと済ませようぜ」 「はい。かしこまりました」  桜木がやっと動き出した。

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