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「我らが鳳――加賀谷隆人に選ばれたまいし者、高遠遥殿。面をあげられたまえ」  ついに遥の番が来たのだ。遥に許された最後の選択の時が。  遥はゆっくりと顔を起こした。  一瞬だけ、加賀谷に視線をやった。  加賀谷はじっと遥を見下ろしていた。  遥はすぐに視線を披露目司へ向ける。 「お応えたまわりたし。我らが鳳に望まれ、選ばれたまいし御身はその守護の力をもって鳳を守りたもうや」  遥は視線をさまよわせてしまった。  加賀谷に言われた言葉が頭の中をぐるぐると回る。  これが本当に最後の選択だ。ここでならば、まだ何とかできる。『否』と答えれば司に理由を問われるから、すべてが自分の望んだことではないこと、私を拒絶することをはっきり告げろ。中途半端な表現では駄目だ。罵っていい。それが唯一お前を救う道だ  頭が真っ白になる。気を失ってしまいそうだ。  答えない遥にじれたのか、司が答えを迫った。 「応か。あるいは否か」  遥は唇を開いて、喘ぐように答えた。 「……応」  その瞬間、加賀谷が身を乗り出しかけたのが視界の隅に入った。広間全体にも、ざわめきが広がった。  披露目司はそれを抑えるように声を張り上げる。 「重ねてお応えをたまわりたし。鳳の眷属たる我らも認めたまいしその汚れなき御身、そを鳳に委ね、凰として我らが鳳とつがいたることをこの場にて証立てなしたもうや、否や」  遥は迷わず答えた。 「応」  ざわめきがいっそう強まった。 「ご一同、お控えなさいませ。ご静粛に」  披露目司の言葉にやっとささやきかわす声が多少おさまった。  満足げに全体を見回してから、司は言った。 「凰として望まれたまいしこの者――高遠遥殿は、この場にてその汚れなき御身を我らが鳳に委ねたもうこと、つがいの証だてをなしたもうことを赦したまいき。とくとその御心(みこころ)ばえ見届けられよ」  広間に異常な熱気が立ちこめている。  ここに来て遥は悟った。  加賀谷と敵対する一族の者たちは、このぎりぎりの時点で遥が加賀谷を切ると考えていたのだ。満座の中で遥によって加賀谷が恥をかかされることを望んでいたのだ。  加賀谷を切らなければ、この大勢の者達が見守る前で、遥は同性である加賀谷に犯される。そのような辱めを拒まないわけがない――そう読んでいたらしい。  しかし、遥はそうしなかった。  そうしないことは、たぶん前から決めていたと思う。繰り返し迷いに襲われはしたが、最後は自らが決めたとおりにした。  基が遥の側に膝を進めた。目隠しのせいではっきりしないが、基の顔は赤らんでいるように感じた。 「隆人様のもとへお上りください。お助けいたしますが、くれぐれも裾捌きにはお気を付けください」  差し伸べられた基の手に遥は紙手鎖に縛められた両手を重ねた。  その手がぶるぶると震えている。  基が手を握ってくれた。 「桜木の者はすべて遥様のお味方でございます。お気を強くお持ちください」  幾分ふらつく足元で段を上る遥が袴の裾を踏まないよう、洋が横から気をつけてくれた。 「どうか、隆人様をよろしくお願いいたします」  今までずっと黙っていた洋が最後にそうささやいた。  舞台に上った遥を加賀谷がにらんでいた。  遥は素知らぬふりで加賀谷に相対(あいたい)して正座し、頭を下げる。  加賀谷の責めるような目は心地よかった。  この顔が見たかったのかもしれないと、遥は思った。自然に口元がほころぶ。  加賀谷が立ちあがった。そして遥の前に場所を移ってきて片膝をついた。 「面をあげよ」  遥は前に手をついたまま、少しだけ身を起こし顔を上げる。  一瞬加賀谷が視線をさまよわせ、すぐに遥にもどしてきた。 「そなたは我が望みに応ずると約した。それに二心(ふたごころ)なきときは、我が手を取りてその身を預けよ」  遥に向かって、加賀谷が手を差し出した。  加賀谷は真っ直ぐに遥の目を見つめている。  遥は加賀谷のその手を縛められた両手で取った。 「鳳の手を取りし者の縛めを解く」  加賀谷がそう宣してから、遥の手首にまかれた紙の手鎖(てじょう)をちぎり取った。  折敷(おしき)を捧げ持った披露目司が進み出て、加賀谷が差し出された折敷に破った紙を載せた。  遥は手首を捕まれて、加賀谷の胸元に引き寄せられた。 「今こそ鳳と凰のつがいたる証、我が眷属に示そうぞ。その(まなこ)を持ってしっかと御覧(ごろう)じろ」  広間全体から「応」と答えが返ってきた。あたりの空気を震わすほどのその大音声(だいおんじょう)に気圧されて、遥は身を強ばらせた。

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