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第七節気 立夏 竹笋生(たけのこしょうず)

 子供のころはさほど気にしたことはなかったのだが、採れたての野菜の美味さは格別だ。  野菜はもいだ瞬間から味が落ちる。  先日も兼業農家を営むお隣の山田さんが、差し入れのトマトを食べて唸る暁治(あきはる)を見て、胸を張って言ったものだ。とうもろこしもキャベツも果物のように甘くて、もう都会に戻れないのではないかと思ってしまう。  暁治はうちに着くなり、まだ泥のついているたけのこを水で洗った。数枚皮をむくと、穂先と根本を切り落とし、切り込みを入れる。  大きな鍋に水と赤唐辛子、一緒に貰ったヌカを入れ、火にかける。たっぷりの水とたけのこの入った鍋は重い。 「スマホは文明の利器だよな。っと、桃ありがとう」  桃が差し出してきたお玉を手に、浮いてくる灰汁を取り始める。  独り暮らしを始めてから色々な料理にチャレンジしてはいるが、たけのこの下処理など初めてだ。だが最近はレシピサイトを見れば、そこそこのものは作れるものだ。動画まであってありがたい。  串が通ると火を止めて、冷めるまで放置である。お茶でもするかと、今度は小さなやかんに火をかける。もうひとつのコンロの小鍋には牛乳。自分にはブラックコーヒー、朱嶺(あけみね)はたっぷりミルクと砂糖入りで、桃はホットミルクだ。  そういえばこないだ泡が乗ったコーヒーを飲んでみたいと、朱嶺が言ってたな。  スマホを弄りながらそんなことを考えていると、台所の裏口から本人が入ってきた。 「はるぅ~、七輪どこやったっけ?」 「こないだ庭で串を焼いてなかったか」 「あれかぁ、ネギマもモモも美味しかったね。タレが濃厚で」 「俺は塩だな」  相槌を打ちながら、手にしたマグカップを渡す。温めたミルクに砂糖とインスタントコーヒーを入れただけ。暁治に言わせると、そんなものはコーヒーではなく、コーヒー入りミルクだ。彼が飲むのではないから、別にいいのだが。 「そいや川魚って生臭いって言うけど、大丈夫なのか?」  川で釣った魚を七輪で焼くらしい。一口飲んだマグカップを横に置いた朱嶺は、戸棚を開けていそいそと準備を始めた。  暁治はホットミルクを桃に渡すと、自分もマグカップを片手に後ろから不安げに覗き込む。 「う~ん、魚が苦手な人は苦手だろうけど、すぐにゆーゆが締めてくれたし、海の魚に比べてちょっと骨が太くて身がないくらい?」  確かに痩せて、食べではあまりなさそうではある。  ゆーゆこと石蕗は、いったん家に戻って、後でおかずを差し入れてくれるらしい。河太郎は石蕗(つわぶき)の手伝いをするとかで一緒だ。 「たけのこって、今が旬なのか?」  先月くらいに隣町のスーパーに並んでたのを見た気がする。首をひねる暁治に、朱嶺は笑って言った。 「そだねぇ、たけのこは色んな種類があるからねぇ。その丸っこいのは孟宗竹。今の時期のは細くって、天ぷらにすると美味しいの。ゆーゆ持ってきてくれるといいなぁ。たけのこ大好き」  頬に手を当ててうっとりとする朱嶺の顔を見て、暁治はふと思い出す。日々の細々とした流れに紛れていたが、そいやこいつは自分のことも好きとか言ってなかったろうか。  まさかたけのこと同レベルで好きと言われてるとは思わないが、暁治が好きで、たけのこが大好きというのはいささか心外だ。そもそもこれから彼が食べるたけのこ料理を作るのは暁治なのだから。 「むしろ感謝してしかるべきだよな、うん」 「え? はる、なんか言った?」 「別にぃ」  ここでは大活躍の七輪だが、都会ではそう見ることもない。実家のマンションのベランダで火を使ったら、たちまち消防車が飛んでくるだろう。 「ねぇ、はる」  七輪を据える様子を縁側から眺めていると、名を呼ばれて、応える。 「なんだ?」 「なんか、こういうのって」 「うん」 「楽しいね」  振り返って笑顔を浮かべる朱嶺を見て、暁治は返事につまった。  楽しい? だろうか。  暁治は考えこむと、口元に手を当てた。  楽しい、のか? 今度は疑問形である。  今日は朝っぱらから山道を散々歩かされ、川ではうにょうにょしたものと格闘し、汗もいっぱいかいたし明日はたぶん筋肉痛だろうし、思った以上に陽に焼けて、ヒリヒリする。 「はるは、楽しくなかった?」 「そうだなぁ」  まだ少し熱を持った腕をこする。  弁当は美味かった。流れる川の水面はキラキラと光を反射して、水の音や風にそよぐ葉擦れの音が耳に心地よかった。  何度か釣れそうなときもあったのだ。思わず熱くなってしまった。今度もし行くことがあれば、次はなにか釣り上げたいと思う。 「楽しかった、かな。――たぶん」 「え~?」  朱嶺は不満げに口を尖らせた。 「なんだよ、その顔は」 「僕が楽しかったんだから、はるも楽しくないとやだ」 「お前なぁ……」  無茶なことを言う。 「そうだなぁ、まぁ、うん、楽しかったよ」  仕方ないやつだと、苦笑が浮かぶ。出会ったときから強引で、こちらを振り回してくる自由人。型通り真面目に生きてきた暁治とは、たぶん真逆で。  もし朱嶺と同じ高校生なら、反発していたかもしれない。だがさすがにもうそこまで若くも子供でもない。  拗ねられてちょっと可愛いと思ってしまったのは、我ながらどうかとは思うが。  くしゃくしゃと髪をなでてやると、朱嶺は少し目を瞬かせた。 「なんだ?」 「いや、――やっぱ似てるなぁって」 「誰に?」 「あ、うん……、正治(まさはる)さんに、ね」 「そんなに似てるかぁ?」 「う~ん、顔はよく似てるけど、性格は全然かな」 「顔だけか? てか、じいさんの昔の写真とか、俺も見たことないぞ」 「あ~、昔火事があって、ほとんど焼けちゃったからね」 「ふ~ん」 「でもふとしたところが似てるかなって」  朱嶺は目を細めると、にぃっと笑みを見せた。 「でも、まだ正治さんの方がいい男かも?」 「なんだよ、それは!?」 「うふふ~」  口元に手を当てて笑う頭をこづいてやると、朱嶺は痛いと頬をふくらませる。 「俺は俺、じいさんはじいさんだ。ったく、お前じいさんのこと、ほんと好きなんだな」  彼が暁治の家に入り浸りなのは、正治の家だったからだ。表情や言葉の端々で懐かしがる彼を見ているとそれくらいわかる。ため息混じりにそう言うと、朱嶺の動きが止まった。 「――え、違うのか?」  もしかして、なにかまずいことを言ったろうか。無言に耐えられず、冷や汗を垂らして尋ねると、朱嶺はぶんぶんと首を振った。 「えと、……うん、違わないよ。正治さんは、うん」  ぎくしゃくと、そんな返事が返ってくる。  祖父が亡くなったのは今年の正月のことだ。訃報を告げた一本の電話。かけてきた相手は成人前の少年のものだったらしい。  暁治は挙動不審な少年の頭を、今度は両手でかき回してやる。 「そうだなぁ」  自分がこの年のころ、こんなだったろうか。自問自答してみるが、ノーとしか出てこない。 「まぁ、俺も、お前のことは、嫌いじゃない、よ」 「え?」 「たけのこの次、くらいかな」 「えぇっ、なにそれ!! たけのこ!?」  噛みつかれそうな勢いで詰め寄られ、笑いながら顔をそらす。 「お待たせしました。おや、お二人ともどうしました?」 「暁治殿っ、甘酒も持ってきましたぞ!」  玄関口から庭に入ってきたらしい。大きな風呂敷包みを持った石蕗たちは、詰め寄る朱嶺と、笑い続ける暁治を不思議そうに眺めた。 「なにかあったんですかねぇ?」  首をひねる彼らに、内緒とばかりに縁側に座った桃が口元に人差し指を当てて笑った。

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