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第6夜 第25話
掘りごたつの個室は四人掛けだ。
向かい合わせに座りそれぞれビールを頼み、もう15分くらいは経っている。
捺くんのことで、と言ったのにクロくんは大学のことや就活のことなど他愛のない話ばかりしてくる。
どこかに捺くんに関することがあるのかと一応聞いてはいるけれど雑談にしか思えなかった。
早々と一杯目のビールは飲み終えて二本目の煙草を吸う。
用がないならできれば早く出ていってほしい。
ようやくそろそろ本来の待ち合わせ時間になるというころで、ここから短くても一時間は捺くんは来ることはないだろう。
一体いつまでいる気なのか知らないけれどクロくんとふたりきりでいるのは苦痛でしかない。
「……それで教授が―――」
「あのクロくん」
灰皿に灰を落としながら視線を合わせることなく話を遮る。
テーブルに肘をついたクロくんは首を傾げる。
「なんですか?」
「……話があるって言っていなかったっけ?」
早く本題に入ってほしいと、仕方なく視線を向ければクロくんは薄く笑う。
「ああ。そうですね」
そう言いながらも煙草を取り出しのんびりと火をつけている。
話す気があるのかないのか。
なにを考えているのか理解できない。
ため息のかわりに煙を吐き出す。
「……本当に話しなんてあるの?」
「ありますよ。そんなに慌てなくて―――……も……っと、すいません、電話だ」
バイブモードにしていたらしいスマホを取りだしたクロくんは画面を見てほんの少し眉を寄せた。
失礼します、と一言告げて廊下に出ていった。
喋り出す声が微かに聞こえて足音とともに遠のいていく。
今度こそため息をついて二杯目のビールを飲んだ。
俺もスマホを取り出して見るけれど捺くんからの連絡は当たり前だけれどない。
つきることのないため息がまた出てしまう。
「すいません」
しばらくしてクロくんが戻ってきて、別に、と首を振った。
戸を閉める音が静かに響き、クロくんが座る振動が微かに伝わってくる。
震える空気、人の気配。
「……なに?」
何故か俺の隣に腰を下ろしたクロくんに怪訝に目をしばたたかせる。
「いや、こっちのほうが話しやすいかなと思っただけです」
「……」
クロくんは身長が高いし体つきもしっかりしているから隣に座られると圧迫感があるというか……。
向かい合わせの方が話しやすいだろう、と思ったけれどそう言うことさえ煩わしくてなにも返さなかった。
「それで、捺のことなんですけど」
「……」
「ケンカでもしました?」
「……別に」
「そうですか? あいつ元気ないみたいだったから」
……そんなに様子を知るほど会っているのか、と言いそうになってしまう。
「それに優斗さんも元気ない、ですよね?」
「……気のせいだよ。俺と捺くんはうまくいってるし」
今夜捺くんとこれからのことを話すつもりでいるのに、なにを言っているんだろう、俺は。
でもクロくんに隙を見せたくなくて素知らぬ顔で煙草を咥える。
「へぇ? 本当に、ですか」
信じてないとでもいうような小さな笑い声が隣でした。
「……」
「俺からしてみたら優斗さんは捺に遠慮してるっていうか―――無理して合わせてるようにしか見えないけどな」
視線は感じる。
だけれどクロくんのほうを見ることはしなかった。
苛立ちだけが増し、煙草の味もよくわからない。
煙る匂いだけが目の前に存在して現実をぼやけさせる。
なんで俺はいま彼と話しているんだろう。
こうして傍にいて、話しているはずなのは捺くんなのに。
「本当にうまくいってるんですか?」
嘲笑うような声に聞こえるのは気のせいか、そのまま俺を煽っているだけなのだろうか。
「……うまくいっているよ」
"将来"への"不安"さえなければ、それ以外うまくいっていないことなどなにもない。
本当に?
と、なのに、クロくんは念を押すように訊き、笑う。
―――なにを言いたいのだろう。
「捺と優斗さん……ね……」
「……」
たぶん結局は―――。
「似合ってないと思うんだけどな」
そういうこと、なんだろう。
「……それがクロくんに関係ある? 別に君がどう思うが俺と捺くんは別れることなんてないし、これから先だって一緒にいるよ。似合っているとかそんなこと関係ないしね」
「そんなに好きなんですか?」
「君に言う筋合いはない。けれど、そうだからこそ一緒にいるんじゃないか?」
「まぁ優斗さんは真面目だからそうなんでしょうけどね」
やっぱりその声は笑いを含んでいて、イライラが増す。
「でも、どう考えても似合わないでしょう」
うるさい、嫌いだ、なんて捺くんの友人を相手に思いたくないのに思ってしまう。
「貴方に―――捺なんか」
似合う似合わないで一緒にいるわけじゃない。
俺に捺くんが似合わなかったって、俺は―――……。
「え?」
なにかが引っかかった。
"捺なんか"?
理解が及ばずにクロくんのほうを向いた。
狭い個室。
気づけばなぜかクロくんが俺の間近にいて、そして。
「……」
唇になにかが触れていた。
「……」
一瞬で離れていったものを呆然と目で追う。
「……え、な」
思考が機能しない。
いま、なに―――。
目を見開く俺にクロくんは口角をあげ、顔を近づけてきた。
唇にまた温もりがふれて、驚きに開いていた口の中にぬるりとしたものが這って―――
そこでハッと我に返った。
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