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第6夜 第27話
「……」
どう反応すればいいのかわからずに正面を向けば今度は朱理くんと目が合う。
困ったように彼は苦笑し、
「すみません」
ともう一度謝ってきた。
「いや……」
こういう状況になってしまったのは俺が不注意過ぎで隙があったせいだし……。
まさかクロくんが俺を、なんてことをまったく考えていなかったからだ。
いまだにクロくんが俺のことを好きだなんていうことは実感できないけれど。
「……うぜぇ。もういい」
朱理くんが
「クロ――」
と呼びかける中、冷めた捺くんの声が遮った。
「あとはお前がカタつけろ、朱理」
「……わかった。謝罪はまた改めて後日するよ。ここのお代は」
「いい」
素っ気ない返事を返した捺くんは、
「優斗さん、出よう」
と俺の方を見ずに個室を出ていく。
開いた戸から廊下の空気が流れ込んでほんの少し冷たい風が頬を掠めた。
突然のことに戸惑い視線で追って、自然と腰を浮かす。
立ちあがりかけたところでクロくんと朱理くんを見た。
クロくんは俺のほうを見てはいなくて黙りこんでいる。
「俺たちのことは気にしないでください。捺、すごく優斗さんのこと心配していたから安心させてあげてくださいね」
「……ありがとう」
いいえ、と首を振る朱理くんに小さく笑いかけ捺くんの後を追う。
ちょうど捺くんはレジで会計を済ませているところだった。
だけど俺が靴を履いている間に店を出ていく。
「捺くん」
店の外はまだ明るく捺くんはどんどん先を歩いていっている。
その背中を追い、声をかけると振り向くことなく返事がきた。
「……マンションまで帰んのめんどくさいから、前行ったラブホでいい?」
「え? ……あ、うん」
肩を並べ見た捺くんの横顔は無表情で―――でも怒っているということは一目でわかった。
問う言葉だったけれど足早に向かっているのはホテル街だ。
この前会ったあのときの"言葉"を言ったときと同じような雰囲気にさっきまでただ混乱していた気持ちが沈んでいくのを感じた。
捺くんは俺を見ようとしない。
―――呆れられたのかもしれない、と胸が痛んだ。
会話がないまま以前智紀から割引券をもらったからと利用したホテルにたどり着く。
あのときは笑いあって入ったのに、いまは殺伐とした空気が俺達を取り巻いていた。
捺くんはろくに見ずに適当に部屋を選びエレベーターに乗る。
部屋に近づくにつれ足が重くなっていく。
「……ここ」
立ち止まった捺くんがボソッとつぶやいてカードキーでドアを開けた。
この前泊った部屋とは違っていた。
「……捺くん」
中へ入りベッドの前で立ち止まった捺くんに声をかけると、ようやく振り返ってくれた。
ごめん。
そう言いかけたとき手が力任せに引っ張られて、視界が大きく揺れて気づけば背中に柔らかいものがぶつかった。
視界には天井と、俺に跨った捺くんの歪んだ顔。
「……なんで俺以外のヤツにキスされてんだよっ!!」
目が合って、息を飲んだ。
怒っている。
それと同じくらい泣きそうな目をしてて、思わず手を伸ばして頬に触れた。
「……ごめん」
「優斗さんに触っていいのは、キスしていいのは俺だけだろ?」
「……うん」
まっすぐに強く向けられる感情に、こんな状況なのに嬉しさを感じるなんておかしいだろうか。
「……ごめんね」
でももし逆の立場だったら俺だって冷静でいられない。
頬を撫でると捺くんは唇を噛みしめたあとため息をついて俺に重なるように倒れ込んで肩に顔を伏せてきた。
「……ダセぇ……。俺……めちゃくちゃ余裕ない。朱理からあのバカが優斗さんに会いに行ったかもって聞いてめちゃくちゃ焦った」
首に吐息がかかる。
ほんの少し声が震えてるような気がして、申し訳なさが心を占めた。
捺くんの背に腕を回し抱き締める。
「電話しておけばよかった……。クソっ……あのバカクロっ」
ムカつく、と、俺の優斗さんに、と呟く捺くん。
「……ほんとにごめん。……クロくんは捺くんのことを好きだって思ってたから……」
「……違うって俺言ったのに」
「……うん」
「あいつの好みって、年上で優しい雰囲気した包容力のありそうな大人の男、なんだって」
「……」
「俺が大学一年のとき初めて優斗さんがあいつに会ったとき、気にいったらしくって……。それでそのあと三人で飲みに行ったの覚えてない?」
「……覚えてるよ」
あのとき、俺はクロくんに対して不信感を持ったんだ。
「その飲み会行ってからクロが優斗さんことばっかり聞いてくるからおかしいなと思ったら、あいつ……"優斗さんを落とす"とかふざけたこと言いだしやがって、喧嘩した。一か月くらい口聞かなかったし」
そうだったんだ……。
というより本当に俺なんだって、いまさら認識する。
ゆっくり話す捺くんに何故勘違いしたのだろうとこの二年近くのことを思い返してため息が出そうになった。
「一応優斗さんにもクロが優斗さん気にいってるからって伝えたけど、『俺じゃなくて捺くんを気にいってるんだよ』とか言われてさ……。まさかずっとそう思ってたなんて思わなかったけど」
「……」
全然覚えてなかった。
なにも見えていなかった自分に呆れるのに、重なる身体から伝わってくる体温と少し早い鼓動に心が落ちつくのを感じてさらに呆れる。
「……ほんと……俺、勘違いしてた。ずっとクロくんは捺くんを好きなんだって思ってたから」
「……ありえない」
不貞腐れたような声で呟いた捺くんが顔を上げてため息をつくから苦笑してしまう。
「ん……。でも、クロくんと喋ってると……すごく……その挑発されてる気がしてたから」
「挑発?」
「ああ……なんとなく電話とかで喋ってて……」
これまでのことを一々挙げてもキリがないし、勘違いだったなら尚更もうどうでもいいことのように思えた。
「……朱理が言うにはあいつはバカのドMだから優斗さん困らせたり苛立たしたりして、自分のことを敵視されたりするのを喜んでたんじゃないかって」
「……」
「簡単に言えば蔑まされて喜ぶヘンタイ?」
「……」
真実かどうかはわからないし、クロくんがMには見えないから鵜呑みにはできないというか、そうするのは可哀想な気もして半笑いになってしまった。
「……あいつの言うことなんて……気にしなくてよかったんだよ」
捺くんはそう言ってからじっと俺を見つめた。
嫉妬とか怒りとか―――じゃない、無表情さに似たものにどんどん覆われていって、その変化に不思議に思っていると捺くんが身体を起こして俺から離れた。
「……捺くん?」
ベッドの端に腰掛けた捺くんの背中を見つめ、俺も身体を起こす。
しばらく無言でいる捺くんに戸惑いながら様子をうかがっていると、ようやくこちらを振り返った。
無表情のまま。
「……優斗さんが俺の将来のため、なんて考え始めたのはクロが似合ってないとか言ったからなの?」
「……」
棘のように刺さっていたクロくんのことがなくなり、俺はすっかり忘れていた。
まるでいつものように当たり前のように甘く時間が流れるような気さえしていた。
クロくんへの疑念がなくなったからといって、今日本来するはずだった話がなくなるわけじゃないのに。
「……違う、と言えば嘘になるかもしれないけど……そうじゃない。ずっと捺くんが頑張っているのを見てきて……それで……」
歯切れ悪く言葉は途切れる。
結局は矛盾だ。
話しあわなければと覚悟を決めてきたはずなのに、迷う―――いや、話し終えたあとどうなっているのかを想像し怖くなっている自分がいる。
「あのさ……話し戻るかもだけどそもそもクロって優斗さんに俺に優斗さんが似合わないって言ってたの?」
「いや……どっちがどっちにじゃなくて俺と捺くんがという言い方だった」
「それでなんで優斗さんは自分が俺に似合ってないなんて思うの?」
問いかけてくる捺くんの目は真っ直ぐ真剣で一つも聞き洩らさないようにしているように見えた。
「俺は……捺くんより一回りも年上の……ただのオジサンだし……。捺くんは綺麗だし、それに頭もいいし……」
「……わけわかんねー」
ぼそり、捺くんは呟いてため息をつくとベッドから下りた。
室内に設置されたミニ冷蔵庫タイプのジュースの販売機からビールを取り出している。
飲む?、と聞かれたけど首を振り、捺くんはひとり一気にビールを飲んで再び俺の傍に腰を下ろした。
「どう考えたって似合ってないのは俺に決まってるじゃん」
ベッドの上に片膝を立てそこに腕を乗せ、ため息混じりに喋りだした。
「俺より一回り上の恋人の優斗さんはー……外資系大手のコンサルファームのエリート社員。上司の覚えがいいだけじゃなく、大企業の常務さんに気にいられその娘との見合い話もすすめられてー」
「……いや、それはたまたまで」
去年の話だけれど確かに見合いをすすめられた。
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