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第6夜 第28話
「断ったし」
「断っても、問題なく取引は継続してるし」
「加瀬常務は……プライベートを仕事に持ち込む人じゃないからね……」
「そう? 見合いの時点でプライベート持ち込んでると思うけど……。でも断っても、気にいられてるってことはそれだけ優斗さんが認められてるってことでしょ。それに独立するときはバックアップするって言ってもらってるみたいだし」
「……それ誰に」
「智紀さん」
思わずため息をついてしまう。
そもそもそんな話智紀にしたこともないのに。
智紀の情報網の広さには呆れにも似た驚きを覚える。
「さっき俺のこと綺麗ーとか頭いいーとか言ってたけど、優斗さんだってどう見てもイケメンだしー、出身大学だって俺より上のところだし。30過ぎていまだに独身でそんないいオトコなエリート優斗さんは職場の女性社員からのだんな様候補№1らしいし」
「……なにそれ」
「松原情報」
「……」
「とにかく絶賛就活中のただの大学生の俺と、顔良し頭良し仕事バリバリ出来て将来独立しても安泰って感じの超有望な優斗さんと比べれば、どっちが釣り合い取れてないかなんて一目瞭然だよ」
バカだね優斗さん、と捺くんは笑った。
「……別に俺は……」
「男と付き合ってるってことがバレたって、大学生の俺は別にたいして問題ねーし、たとえ社会人になってからでもペーペーの社員がゲイだからっつってどうってことないよ。会社に居ずらくなったとしたって、俺神経図太いから気にせず居座るし」
「……でも」
「でも、は俺ー。"でも"、優斗さんは違うでしょ。いままで10年以上築き上げてきた職場内外の信頼関係に関わる問題でしょ。実際もう34だし、上司からも結婚すすめられてるよね。まわりもどんな女性と結婚するのかって興味津津だろうしさ」
淡々と続く声。
その表情は憂いているわけでもなんでもなく、世間話でもするような気軽な感じだ。
「……俺は」
「そんな優斗さんが男の俺と付き合ってるなんてバレたらそれこそヤバいんじゃない? ぜーったい、マズいよね」
確かに同性と交際しているという事実は社内においても社外に置いても利点なんてないだろう。
顧客との信頼関係が不可欠な仕事の上で、相手に不信感を抱かせることになるのは明らかだ。
同性との恋愛に寛容かどうかは個人で違うし、だけれどおおよそ一般的には受け入れがたいものだっていうのは事実で。
でも、それでも―――……。
「……俺は……バレたとしても、構わない」
「会社に居れなくなったら?」
「その時は辞めて独立するよ」
「"加瀬常務"さんに見限られたら?」
「そんなのは関係ないよ。たとえゼロからのスタートでも一からまた信頼関係を築けばいい」
「せっかくのエリート街道捨てて?」
「俺は別にエリートだとかそんなにのこだわりはないよ。仕事が好きだから、精いっぱいのことをしたいと思っているだけだし」
「ならいつか別れるとか必要ないんじゃないの」
「俺はいい。けど捺くんが」
「俺だっていいよ」
「でも、捺くんの将来はこれからで、幸せになれるのに、なのに俺が……」
「幸せって、なに」
ビールをサイドテーブルに置き、捺くんはじっと俺を見つめた。
「……社会に出ればたくさんの可能性があって、捺くんにとってはこれからが大切な時だ。それに、いつかは……結婚して子供を……」
言いながら胸苦しくて声が沈みそうになる。
「俺、結婚とか興味ない」
「それは捺くんがまだ若いから」
「なら、優斗さんこそ、じゃないの? 優斗さんこそ結婚して子供作ってなんていう"普通の幸せ"が欲しいんじゃないの。欲しかったんじゃないの?」
「――」
捺くんから目を逸らすことができない。
問う眼差しはひたすらに真実だけを見ようとしている。
「……確かにそういう幸せ……を夢見たこともあったけど、でもそれは昔のことだよ。いま俺が一緒にいて幸せなのは捺くんで、それ以外の幸せなんていらないよ」
本心そのまま。
本当にそれ以外ない、考えられない。
「それ、俺もそうなんだけど。結婚とかどうでもいい。俺は優斗さんといるから幸せなんだから」
「……」
嬉しい―――のに。
「でも」
「なんで、でも?」
「俺は捺くんの将来を……」
「だから、なんでだよ。優斗さんは俺のことそんなに信用できない?」
「信用って……。してるよ、一番に」
「俺はっ」
いままでずっと冷静だった捺くんが声を荒げて一瞬だけ視線を伏せた。
けどすぐに強い眼差しに戻る。
「俺だって悩んだことだってたくさんあるよ。優斗さんのそばに俺なんかがいていいのかなって。俺よりも"普通の幸せ"ってやつ、必要なんじゃないかなとか。優斗さんのために離れたほうがいいんじゃないのかなって思ったこともある」
まさか……そんなことを捺くんが考えていたなんて思いもよらなくて絶句してしまう。
「でも俺は我儘だから、自分が一番可愛いから―――優斗さんと離れるなんて絶対イヤだ。離れるなんてできねーって思った」
そしてその言葉に、安堵してしまう。
「優斗さんの言う幸せってなに? 俺達がいま別れて、そんで? 辛い思いして必死になって優斗さんこと忘れなきゃいけねーの? それでいつか他の誰か好きになるの? 結婚して、子供作って?」
続くその言葉に、リアルに想像して胸が軋む。
「ね、いまある幸せを犠牲にしてまで得る"幸せ"ってなに? 俺は―――仮にいま別れて優斗さんの言う普通の幸せってやつ手に入れたとしても、女のひと好きになったとしても、その人は二番目だって言える」
捺くんは綺麗になった、と思っていた。
だけど俺は……なにを見ていたんだろう。
「俺が一生で一番好きなのは優斗さんだから」
「……」
「二番目に好きな人と結婚して子供設けて、それでたまに優斗さんのこと思い出して感傷に浸る? ……そんなのバカみたいだ」
「……」
「なにが幸せかわかってんのに、それ手放してまで得る"幸せ"なんて、俺はいらない。欲しくもない」
きっぱりと言い切った捺くんに俺は言葉が出なかった。
「お互いが一緒にいて幸せだって思えてるのに、それ放棄しなきゃいけねー理由ってないじゃん。
将来なんてどうとでもなるよ。バレて会社いられなくなったらふたりで会社辞めて、事業起こしてもいいしさ。俺はそれまでに優斗さんに見合うだけの男になれるように社会勉強頑張るし」
智紀さんと松原んとこのライバル社つくってもいいしさ、とふっと表情を捺くんは緩めた。
「どんな状況になったって俺は優斗さんと一緒ならいつだって幸せだよ。優斗さんは違うの?」
「……」
俺は、本当に―――バカだ。
「……幸せだよ」
好きで、一緒にいて幸せで。
だからずっとずっと一緒にいる未来のために前を向いて、いまを見て。
それはシンプルで、当たり前のことだ。
なんで俺は―――……。
「だったらいいんじゃない? ずっと一緒にいて。っていうか俺は別れる気なんて全然ないけどさ」
屈託なく笑う捺くんは、本当に綺麗で、俺は手を伸ばしその身体を引き寄せた。
「捺くん」
「なに?」
「俺と……ずっと一緒にいてくれる?」
「うん」
「捺くん」
「なに?」
「好きだよ」
「知ってる」
「愛してる」
「知ってる」
だって、と俺の顔を覗き込んで捺くんが目を細める。
「俺も愛してるもん」
それは、まるで―――なんて形容すればいいんだろう。
胸が苦しくて、愛しくて、嬉しくて。
ふ、と自然に頬が緩み、そっと捺くんの頬に手を滑らせた。
くすぐったそうに笑う捺くんに、目を閉じ―――ゆっくりと唇を寄せた。
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