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第4話
『はい』
聞こえてきた声に、どくんどくんって大きく心臓が鳴る。
必死で緊張を押さえながら、口を動かした。
「あの、俺、向井」
マンションのエントランス。
明らかに高級マンションのそこでオートロックを解除してもらうための第一関門に俺は挑んでいる。
少し間があいてから――。
『向井、捺?』
そう訊いてきた。
俺の名前が呼ばれたってことにまたさらに緊張してしまう。
「うん。捺……」
『どうした? ま、とりあえず上がって来い』
ここで追い返されるかもって思ってたのに意外にあっさりとエントランスのドアは開いた。
どきどきしながらエレベーターに乗って、あいつの松原の部屋に向かう。
俺の肩にはショルダーのトートバッグ、酒瓶の入った紙袋。
今日の俺の勝負道具だ。
『なっちゃーん、どうしたの、アンタらしくもない。押せ押せの積極性がアンタの売りでしょぉ?』
もう10日間もニューヨークにいったままの実優ちゃん。
松原のことほったらかしていいのかよ、と思っていた俺は従兄のマサ兄が開いてるバーに行った。
そこで常連のオカマのミッキーに相談したんだ、松原のこと。
ただ男が気になるなんて言えなかったから、性別は逆転させて、だけど。
そしたらミッキーが『チャンスじゃない』って言ってきた。
『その彼がほかの女のところに行ってるんでしょ? しかも海外なんでしょ? ならこっちに残ってる彼女はフリーなわけでしょ? 邪魔されることなく口説けるじゃない!』
ミッキーのあっけらかんと言い放った言葉に俺は――ものすげぇ衝撃受けた。
そういや、そうだ。って。
もともと俺はミッキーの言うように積極的なほう。
好きだった実優ちゃんにだってかなり無理やりな感じにアプローチしたし。
でも――実優ちゃんにアタックしてたときは実優ちゃんフリーだったしなぁ。
いまはふたり付き合ってるんだし。
そういうのって、あれだよな……略奪愛、ってやつだよな!?
……うーん。
さすがに良心が咎める……。
そんな俺の迷いを見透かしたように、ミッキーが俺の背中をバシバシ叩いてきた。
ほとんど男みたいなオカマのミッキーはワンピースなんてまったく似合ってないボディビルダーみたいな体格してる。
だから叩かれたら痛いのなんのって!!!
『ほら、なっちゃん! 悩んでる場合じゃないでしょ! ダメ元であたって砕けりゃいいじゃない! 若いんだしさ、突っ走んなよ!!』
『……』
なんつーオカマの激励を受けて――迷いに迷った末、週末の土曜、いま……俺は松原の部屋のインターフォンを押した。
い、いいのか!?
押した瞬間不安になったけど、今夜の流れは頭の中でシュミレーション済だ。
もう俺の中で『相手は男!』の合言葉はすっかりはるか遠く片隅に追いやられていた。
いまはただ――会いたい、って気持だけで俺は動いてる。
がちゃり、とドアが開いて。
「どうしたんだ?」
出てきた松原が不思議そうに俺を見た。
「……うっ!!」
捺くんダメージ10000!!!
鼻血吹きそうになって、なんとか耐えた!!
だって、だって反則だろー!!!
俺の前に現れた――って、俺が押し掛けたんだけど――松原は湯あがりらしく濡れた髪で出てきていた。
Tシャツにスエットズボンっていう別に普通な格好。なのに、首筋に流れてる水滴とか、無造作に拭いたっぽい乱れた髪とか。
「……」
やべー!!!!
なんだこいつの色気は!
鬼か! 魔人か!!!
ずくずくと下半身に熱がこもるのを感じて慌てて俺はしゃがみ込んだ。
そんな俺に……。
「……なにやってんだ、お前」
呆れたような冷ややかな松原の声がして、ちょっとだけ――泣きそうになった。
「コーラでいいか?」
ソファに座った俺に松原がペットボトルを差し出した。
「……ありがとう」
小声で返す。
玄関先でバカみたいに勃起してしまった俺。
松原に訝しがられながら腹痛を装って、部屋に入ったのは10分も経ってからだった。
松原は少し乾いてきた髪を無造作にかきあげながら一人掛けのソファに座って缶ビールをぐびぐび飲んでいる。喉仏が上下してて、ちょっと伏せられた瞼とか――……。
「ストップストップー!!!」
また下半身に熱が集まりそうになるのを感じてとっさに立ちあがると叫んだ。
「……」
「……」
松原からのすんげぇ冷たい視線を感じる。
「……」
俺は何事もなかったように素知らぬふりをしてソファに座りなおした。
部屋ん中はシーンとしてる。沈黙に耐えきれなくってペットボトルの蓋を開けてコーラを飲んだ。
きつい炭酸に軽くむせてしまう。
……なんか俺、カッコ悪くない?
女の子にはかなりモテてるはずなんだけど、最近の俺は自分から見てなんだかなあって感じだ。
そもそも男口説きに来たってこと自体変だよな。
ミッキーに乗せられたか!?
ああ、でも――……。
「それで、今日はどうしたんだ? 実優ならいないぞ」
「へ? え、あ、うん。知ってる」
松原を見て頷くと、じゃあなんだよ、って視線を返された。
俺は何度も頭の中でシミュレーションしてきた"言い訳"を思い出しながら、ソファを立つと松原の足元に座り込んだ。
ちょっとだけシュンとした困ったような表情を意識がけて作る。
「あ、あのさ。実は……親父とケンカして、家飛び出してきたんだよね」
もちろん嘘。
「和んちに行こうと思ったらアイツ家族旅行に行ってていなくってさ」
これも嘘。
「それで……俺、和以外にそんな親しい男友達いなくって、どこにもいくとこがなくって」
これも嘘。
「それで……どうしようかなーって思ってたら、松原のこと思い出してさ。ほら、元教師だし? 俺、元教え子だし? 実優ちゃんの友達だし? 一晩でいいから泊めてくれないかなーと思って」
泊めてもらう、のがだめだったとしても、数時間でいいから居座らせてもらえたら。
必死に頼み込むように――捺くん必殺上目遣いで松原を見上げた。
「……」
「……」
やっぱ……上目遣いは女の子限定に有効らしい。
教師だったころ冷血だの言われていた松原は、凍るような眼差しで俺を見つめてる。
なんか、嘘もなにもかも見透かされそうで怖い。
自然とうつむいた俺の目に、ソファ横に置いていた荷物が目に入った。
あ、そうだ。最終兵器!
「も、もちろん、タダでとは言わねーよ!」
持ってきた紙袋から酒瓶を取り出す。1.8Lの大瓶のそれはプレミア焼酎。
入手困難手言われてるやつで、この前親父が手に入れて喜んでたやつだ。親父も可愛い息子のためならきっと喜んで差し出してくれるはず、と思って勝手に持ってきた。
「……」
「……」
テーブルにどんと置いた焼酎を松原はじっと見ている。
……だ、だめかな?
そういやこいつ金持ちなんだよなぁ。高い酒とか平気で飲んでる……よな。
「……お願い! せんせ!! 一生のお願い! 一晩だけでいいから!!!!」
床に額を擦りつけるようにして、頭を下げる。
必死に叫んで、またシーンとした。
それからどれくらいだろうか。
1分とか2分とかそんなもんだったのかもしんねーけど、俺的にはすんごい長く感じられた時間が過ぎて、松原が大きなため息をついた。
「ちゃんと家に連絡しろ」
……やっぱり、だめ?
「連絡したら、一晩だけ泊めてやる。そして明日ちゃんと帰って親父さんと話し合うこと。いいな?」
顔を上げた俺にそう言った松原は教師の顔をしてた。
それが――またカッコよくって、俺はひたすら首を縦に振った。
「家に、電話してくる!」
松原の気が変わらないうちに、とダッシュでリビングを出ていく。
携帯を取り出すけどもちろん電話はしない。家には和ん家に泊まりいくって言ってあるし。
でも一応誰かに電話しなきゃばれるかも、と思った俺はミッキーに電話した。
『は~い』
ワイワイガヤガワ煩い中で野太い声が響いてくる。
「あ、俺!」
『どうしたの、なつちゃん』
「泊ることになった!」
『ああ、例の彼女のところね? やったじゃない! じゃあ、良いムードになったら例のアレ、使うのよ? 無理やりはだめだからね? 彼女がその気になってからだからね?」
「あ、う、うん。あのさ、アレって……まじで効くの?」
『さぁどうかしらねぇ? 使っての……お・た・の・し・み』
チュ、っと受話器越しにリップ音が聞こえてきた。
軽く吐きそうになりながらミッキーにお礼を言って、後ろポケットを探る。
出てきたのは小さな縦型のプラスチックの容器。そこには青い色の液体が入ってる。
ミッキーがくれた――、一般的に媚薬って言われるもの……だ。
使うか使わないかはまだ分からないし、実際効き目あるのかも不明だけど……。
ヤれるところまでヤってみよう!!!!
俺はぐっとソレを握りしめて気合を入れなおしてリビングに戻ったのだった。
***
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