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第44話

 とっさに優斗さんの名前を呟きかけて、寸前で止めた。  俺を支える優斗さんの腕には長い髪がかかってる。 それはいま俺がつけてるウィッグのもの。  女装してる俺を見てクラスメイトたちはまじで驚いて、誰かわからないって言ってた。  俺だってびっくりしたし。だから――俺が声を出さないかぎり俺だって気づかないはずだ。 「痛いところはないかな? 本当にごめんね」  心配そうに優斗さんは俺の顔を覗き込む。  間近にある優斗さんの顔に身体が強張って、ドキドキしてくる。。久しぶりに会った優斗さんに勝手に顔が赤くなっていくのがわかった。  顔だけじゃない、身体だってばかみたいに反応しかけてる。  俺の腕と腰を支えるように添えられた手はすぐ振りほどけるくらいのものだ。  このままじゃヤバいって思ったから、 『大丈夫』 の意味を込めて頷いて、優斗さんから離れようとした。  なのに。 「君……」  ぐっと優斗さんの腕の力が強まる。  じっと俺を見つめる優斗さん。  バレた?  内心焦る俺に、優斗さんはふっと……笑った。 「君、可愛いね」 「……」  え……。  見つめてくる優斗さんの眼差しは、どこか色っぽくて。  俺の腕を掴んでいたその手が動いて、俺の手を握りしめてきた。 「名前、なんていうの?」  誘うように微笑む優斗さんに、俺は呆然として見つめ返した。  ――名前?  俺の名前は捺、だけど……。  俺の名前を聞いてるんだよな。  でも俺はいま女の格好をしていて、女にしか見えない俺に訊いているわけで。 「知り合いと来たんだけど、はぐれてね。よかったら君、校内を案内してくれないかな?」  案内、って、え?  固まる俺に優斗さんは甘い声で言って、首を傾げる。 俺の手を握る手は、肌をなぞるようにほんの少しだけど指が動いていて。  それにぞくっと身体が反応してしまいながら、でも頭ん中はパニックを通り越して機能しなくなって、どうすればいいのかわからなかった。  だって、だって優斗さんが――……。 「ダメかな? 俺、君のこと……」  目を細めた優斗さんが俺の目を見つめてくる。  なんで。  なんで――?  まじで頭ん中がグチャグチャだ。  俺は耐えきれずに必死で優斗さんの手を振り払った。 不意打ちだったからか掴んでいた腕の力が緩まって、その隙に離れる。  俺は優斗さんの顔を見ることができずに、頭を下げるとその場から駆けだした。  逃げた。  だって優斗さんが"俺"だけど、"女装した俺"に――女にしか見えない"俺"をナンパしてきた。  俺じゃなくって、優斗さんにとっては、女、に。  やっぱり優斗さんも男の俺なんかより、女のほうがいいんだって、知ってしまった。  わかってたことなのにめちゃくちゃにパニックになってひたすら走った。  でも――。  もしこのとき優斗さんとちゃんと話をしていたら。  もしこのとき立ち止まって優斗さんの顔を見ていたら。  もしこのとき俺が俺であることを言っていたら。  そしたら……あんなことにはならなかったのかな、って思う時がくるんだけど。  そんなこと俺が知るはずもなくって、俺は逃げ続けて。  そして、 「わっ!」 二度目にぶつかって、今度こそ床に倒れかけた俺を抱きとめて一緒に転んでしまったのは――。 「ってぇ……。あ、……大丈夫だった?」  俺の顔を覗き込んで心配そうに見つめてきたのは。 「……あれ?」 「……え?」 「君――」  "あのとき"も俺に大丈夫かと訊いてきた人。  どこかで見たことあると思ったけど思い出せないでいる俺に、その人は爽やかな笑顔を浮かべて言った。 「君、捺くんじゃない?」  なんで俺の名前……、と目の前の人の顔をじっと見つめて思い出した。  "あのとき"――あいつと一緒にいた人だと。  確か名前は。  "あのとき"松原は、確か――。 「覚えてないかな? 俺、松原晄人の友達の智紀っていうんだけど。ほらあの――」  俺が痴漢された日、デパートで俺を見つけて心配してくれた人。 そう、智紀さんだった。 「ああ……あのときの」  俺が呟くと智紀さんは頷いて笑って立ち上がった。  そして俺に手を差し伸べて立ち上がらせてくれる。  ふわっとスカートが揺れて、長い髪が腕にまとわりついて――ハッとした。 「え?!」  驚いて智紀さんを見ると、 「なに?」 って首を傾げられる。 「え、いや、なんで……俺ってわかったんですか?」 ぶつかった衝撃と名前を呼ばれたことで忘れてたけど俺はいま女装してるんだった。  優斗さんだって俺って気づかない女の格好。  なのになんでこの人はわかったんだろう。  智紀さんは「ああ」って言って笑顔をこぼした。  ……なんだろ、やっぱり類友なのか?  松原といいこの人といいめちゃくちゃイケメンなんだけど。 「俺、鼻がきくからね」 「……は?」 「可愛いコは一度会ったら忘れないんだ」  ちょっと得意げにウインクする智紀さん。 「へえ…」  って相槌は打ったけど……意味わかんねー!  可愛いって、あの初めて会ったときだよな?  ていうか、そうじゃなくってなんで女の格好でもわかったのか聞きたかったんだけど。 「いやー、また会えて嬉しいよ。ねぇ捺くん、いま暇? 俺、晄人と来てたんだけどさはぐれちゃってさ」 「はあ」  なんだろ……。  初めて会った時のこと、正直はっきり覚えてるわけじゃないけど、スーツ姿似合ってて仕事出来るって感じだった気がする。 「でもさ、よく考えたら大人の男二人で文化祭って微妙だと思わない?」 「……そうですね」  だけどいま目の前にいるこの人はすっげえにこにこしてマシガントークで、なんか親しみやすいっていうかなんていうか。 「だからさ、捺くん案内してよ」  松原も、……優斗さんもいかにもオトナって感じで、一緒にいると俺って子供だなってしみじみ思うときがあるけど、でもこの人は――。 「どうせなら可愛い子と一緒に歩きたいしね?」  気さくな雰囲気をしている智紀さんは悪戯っぽく片眼をつぶると、俺の手を取った。  その手が俺の指に指を絡ませて握りしめる。  いわゆる恋人繋ぎ、で。 「えっ?」  お、俺男なんだけど?!  なんでって目を見開く俺に、あくまで爽やかに智紀さんは笑った。 「いま捺くんは"女の子"。ああ、メイドさんだろ? だから手つないでいるほうがあってるでしょ。それにこうしておいたほうがはぐれないしね」 「……はぁ」  そりゃそうだけど。  っていうか、俺一言も案内しますなんて言ってないんだけど。 「じゃ、そういうことで、行こうか。俺、いま焼きそば食べたい気分なんだよね」  かなりマイペースらしい智紀さんは困惑する俺にお構いなしに歩き出した。 「え、あの!」 「智紀、でいいから」 「と、智紀さんっ」 「なーに、捺くん。心配しないで、案内してくれるお礼に焼きそば買ってあげるからね」 「……いや、べつにいらな……」 「ほらほら行こう」  屈託なく目を細めて俺を急かす智紀さんに、戸惑いながらも俺も歩き出して。  そしてそのあとあんまり歳の差を感じさせない明るい智紀さんに俺はあっという間に打ち解けてしまうのだった。

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