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第74話

 夜の暗さの中に立ち上る紫煙をぼんやり眺めながら首を振る。 「……智紀さんに会ってたから……優斗さんに会えなかったわけじゃ……ない」 「俺に会いたくなかった、から、智紀さんに会ってた?」 「……」  当たり。  で、ハズレで。  会いたくなたっか、のは――……。 「言ってくれたらよかったのに」  何度目かのその言葉に俺はまた首を振った。 「そ……じゃ、なくって」  もともとの始まりは、あの日の、あのヘンタイ痴漢のせいで。 「……その……俺……」  俺は……。  ぎゅ、と拳を握りしめる。  あの日のことを思い出すといまでもめちゃくちゃ自分に苛立つ。  なんであんなクソヤローに黙ってヤられたんだって。  ダサくて情けなさすぎる。 「別に会いたくなかった……んじゃなくって……、なんか会いにくくて」 「……なんで?」 「……俺……その……あの日」 「あの日?」 「……えと……この前優斗さんちに泊った日。俺、その……帰りの電車で痴漢にあって」  優斗さんが驚いたように眉を寄せて俺を見つめた。  むちゃくちゃダサすぎるから、なんとか軽くしようって声だけだけどテンション上げてみる。 「な、なんかすっげぇヘンタイヤローでさ。男を痴漢してどーすんだよって感じだよね。もー…びっくりして……、えっと……」  だけどテンションなんか上がりきるはずない。  ――俺ってマジでばかなんじゃねーのかな。 「その……ヘンタイに……イかされて」  バカだ、な。  うんざりするくらいバカとしか言いようがねー。  優斗さんのこと見てられなくって俯く。  絶対、きっと呆れたと思う。  だって男の痴漢にあって、しかもイかされたとか……ありえねーだろ。  地面を見つめる俺の視界に煙草が映る。  そしてふわっと頭に重みが乗って、撫でられた。 「……大変だったんだね」 「……べ、別に……俺、男だし……」 「性別なんて関係ないだろう? 嫌なことされたんだから、落ち込んだってしょうがないよ」  いつもあったかい優斗さんの手は今日は冷たい。  それはたぶんずっとベランダに出てたせいだ。 「……手」 「ん?」 「冷たい……」  その冷たさがいやで、俺は優斗さんの手をとって、握り締めた。 「……」  って、俺なにしてんだろ。  なんかこの状況で手を握るのが妙に気まずいっていうか恥ずかしいっていうか。  俺は結局俯いたまま顔を上げられないでいる。 「……それで……痴漢にあって、俺に会いたくなくなった?」  すこし沈黙になって、それから優斗さんの声が静かに響いた。 「え……っと……その、なんか、自分がヤになってっていうか。なんか……、なんとなく……」 「捺くんが気に病むことなんてないだろ。悪いのはその痴漢なんだから」 「……そう……だけど」 「……そのあとは大丈夫だった?」 「え?」 「痴漢は電車だけ?」 「う、うん。あのヘンタイヤローはすぐに降りてったから大丈夫」  俺が握ってる優斗さんの手が動いて、俺の手を握りしめる。  それが――ちょっとホッとして、気が緩んだ。  また沈黙になってぼーっと繋いだ手を見つめてた。  外は寒いけど、手だけは温かい。  俺はその温かさに気が……緩んでたけど、でも別になにも状況は変わってなくて。 「……智紀さんとは?」  話しは振り出しに戻ってしまう。 「智紀さんは……その痴漢にあった帰りに偶然、その……俺が座り込んでたら心配して声かけてくれて。ちょうど松原も一緒で、それで、……えっとでも、そのときは別にたいしてなんも喋ってないし。俺、松原に金借りてタクシーで帰ったんだ」  ――ていうか、なんで俺、こんなに必死になってんだろ。  ――なんで、優斗さんは……智紀さんのことを気にするんだろう。  それって……?  俺のこと――……なんてこと、ねーよな。  バカバカしい考えが湧いてきたけど、すぐ打ち消した。 「それで……文化祭の日に……智紀さんと再会して……、仲良くなったっていうか。でも、別に、ほんと友達で。いつも飯食ってただけだし。今日まで……は、ずっと……」  歳は離れてたけど、まじで友達っつーか、兄ちゃんみたいな感じっていうか、本当に智紀さんのことはそう思ってた。  ――けど。 「……文化祭」  呟く優斗さんの声が落ちてきて、そして繋いでた手が離れてった。  思わず顔を上げたら優斗さんは手に持ってた煙草を眺めてた。  痴漢がきっかけなら文化祭は……俺にとってなんだったんだろ。  あのとき優斗さんから逃げて、智紀さんに――……。 「俺と……会った後に、再会した?」  頭ん中であの日のことを思い返してたら不意に優斗さんが言った。 「……え?」 「文化祭の日……。俺と会ったあとに、智紀さんと再会したんだよね」 「……」  俺はバカみたいに、ぽかんって口開けた。  だって、俺と会ったあとに、って。  だって、俺が優斗さんに会ったとき、俺は女のカッコしてて。  それで、優斗さんは――。 「もしかして」  優斗さんは俺に視線を向けて困ったように苦笑いを浮かべた。 「……捺くん、気づいてなかった?」 「……」  優斗さんの言葉が頭ん中、ぐるぐる回る。  だって、だって、それじゃ、まるで。 「……あの、俺って…気づいてた? だって、俺みんなわかんねーってくらい女装似合ってるって言われて、誰も気づかなかったし」  智紀さんは気づいたけど、でも。 「俺、女の子の……」 「捺くん」  パニクる俺に、優斗さんが複雑そうに微笑む。 「何回……俺が君のこと抱いたって思ってるの」 「……」 「俺が――捺くんのこと、わからないわけないだろ?」 「――……」  頭が、沸騰するくらい一気に熱くなった。

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