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第82話

「……」 「……」 「……な、なんだよ、いったい」  触れる直前で俺は松原の口に手を押し当てていた。 「……お前、実優ちゃんいるだろ……! なんでこんなことしようとすんだよっ」  こいつには実優ちゃんっていうラブラブな彼女がいる。  松原が実優ちゃんを裏切るようなことしねーって、わかってる。  だからこそ意味わかんねーし。  それに、それに――俺、もう。 「別にいいだろ、キスくらい」  俺の手を払った松原が無表情に言う。  だから、ついカッとした。 「よくねーよ!! もー、そういうのヤなんだよ!! 好きでもねーやつと、もうシたくねーし!!」  そう、叫んでた。叫んで、頭ん中が真っ白になって。  そして、松原がふっと口角を上げた。 「なんだよ、ちゃんとわかってるじゃないか。それ、はっきりさせとけよ?」 「……は?」  呆然とする俺を放って松原はまた歩き出す。  俺は自分の言った言葉にも、松原の行動にも対応できねーで、その場に立ちつくしてた。 「……おい! とっとと来い!」  そしたら、松原が怒鳴りつけてきて、わけわかんねーまま仕方なく後を追った。  松原はさっきまで無表情だったくせに今は妙な笑いを浮かべて煙草を吸いだしてる。  数分ほど歩いたところで松原が一軒の店の前で立ち止まった。 『Bar.DAWN』  赤黒い四角の小さい壁につけられた暗くライトのついた看板にはそう書かれてた。  ……バー?  疑問に思う俺の前で松原がドアを開けて、俺を見る。 「ついて来い」  促されて俺も店に入った。  薄暗い照明、静かに流れる音楽。カウンターとテーブル席二つに、あと奥の方にも個室みたいになってるボックス席みたいなのがある。  常連なのかバーテンダーに会釈した松原はそのまま奥にずんずん歩いていく。  俺は戸惑いながらも後をついていって。  松原が奥の半個室っぽいとこに向かって、そして。  ――俺は、足を止めた。  それに気づいた松原が肩越しに俺を見て、「来い」っていう。  だけど。  ――だって。  ――なんで。  なんで――あの二人が、ここにいるんだよ。  松原が近づいてきて俺の手を引っ張る。 「お、おいっ。俺、帰る……っ」  めちゃくちゃ小声で、そう言った。  だけど松原は冷たく俺を見ただけで俺を引きづって歩き出す。 「離せよっ! まじで!!」  強く、でも結局小声で抗議しながら、どんどん距離が近づいてく。  すぐそばまで行って――優斗さんが松原に気づいて。  その視線が松原の後ろにいる俺に止まって、驚いたように一瞬目を見開いた。  それに気づいた――優斗さんの隣にいた智紀さんが俺達の方を見て。  目が合いそうになったからとっさに俯いてしまってた。 「待たせたか?」  引きづられたまま二人のところに辿りついて松原が二人に声をかける。 「いや、ついさっき来たところ。まだ注文してないよ。晄人が来てからに注文しようって優斗さんと話てたんだ」  智紀さんがいつもと変わらない調子でそう答えて。  ちらっと顔を上げると、やっぱりいつもと変わらない笑顔の智紀さんと、少し苦笑気味に頷いてる優斗さんが見えた。 「それにしても――珍しい組み合わせだな?」  智紀さんの口調が俺と喋ってる時よりももっと砕けた感じがする。  松原と智紀さんは幼馴染でずっと一緒っていってたからかな、ってこんな時なのに少し思ったりした。 「まぁな。俺達は長居しないから」 「晄人がわざわざ呼び出したのに?」 「この未成年にさすがにここで飲ませるわけにはいかないからな。すぐに送り返すから、そのあとなら戻ってきてもいいが?」 「へぇ。というか、なんでわざわざすぐに送り返す"未成年"くんを連れてきたわけ?」  話しが"未成年"……ようは俺に向かってきてて。  つーか、めっちゃくちゃ視線も突き刺さってきてるし。  どーいうことだよ……っ、松原!!? 「とりあえず……、晄人くんと――捺くん、座ったら?」  松原と智紀さんの会話を合間に、優斗さんがそう言った。 「……」  ちゃんと、俺の名前も呼んで――。 「いや、すぐに済むからいい。ひとつだけ二人に言いたいことがあっただけだから」  だけど松原は席につこうとしないで俺の手を引っ張ると優斗さんと智紀さんの前に突きだすようにした。  もう、まじでありえねーんだけど。  むっちゃくっちゃ視線感じる。  でも、俺だってどういうことがわかんねーし。  つーか、言いたいことってなんだよ!!? 「ふーん? じゃ、どうぞ」  智紀さんが促して――そして松原がめんどうくさそうなため息一つついて切りだした。  ――やっぱり、とんでもないことを。 「智紀、お前はともかく、優斗さんがなんにも考えてないってことはないだろうが……」  俺はともかくって、って智紀さんが苦笑する。 「俺が言いたいのは、めんどくさいからはっきりさせろってこと。どういう経緯でこいつとそうなったのかは知らないが」 「……」  そうなった……って……、え……? 「まさか一回りも年下の男相手に、もう30に手のかかる大の大人の男がただ遊ぶために手を出すなんてことはないよな?」 「……」  松原の声は大きくもなく小さくもないけど、凛として響く。 「一応俺はこいつ元教え子だし実優の親友だからな。口出しする気はなかったが、念のため。きちんとケジメつけろ」  そう松原が言い切って――シンとした。 「ほら、向井」  すっげぇ妙な空気。  俺はめちゃくちゃ松原の言葉にびっくり呆然としてたら頭を叩かれた。 「ってぇ」 「お前も言っておけ」 「……え、なに……」  優斗さんと智紀さんを見る勇気がなくってチラッと松原を振り返る。 「駐車場で言ってたことだ。言ったろ? 俺がキスし――」 「わわわわー!!!」  なんつー誤解招きそうなこと言いだすんだよ、この俺様男は!!! 「……キス?」  って、呟く優斗さんの声が聞こえてきて、パニクって松原に蹴りいれる。  すかさずさっきの倍の力で頭叩かれた。 「ってぇ!!」 「ほら、とっとと言え」 「言え……って……」  言われても……。  恐る恐る二人の方へと視線を向ける。  一週間ぶりに会う、智紀さんと目があって、ふっといつも見たく笑顔を向けられて。  気まずくて逸らすと優斗さんと目があって、その目が細くなって俺を見つめて。 「……」  ――なに、言えってんだよー!  ムリムリムリムリ無理!!!!  とてもじゃねーけど、ふたりを前にして俺に言えることなんてなくって、また顔を俯かせた。  またシンとして、少ししてから松原のため息が聞こえた。 「ヘタレ」  グサッとくるしムカっとするけど、事実だからなにも言えねぇ。  情けないけど黙ってじっと自分の靴見下ろしてた。 「あとはそっちでどうするか判断してくれ。じゃーな。行くぞ」  松原の声がして歩き出す音。  え、って一瞬慌てて顔を上げて――二人とそれぞれ目があって。  どうしようって焦る。  だけどやっぱヘタレな俺は軽く頭を下げて松原の後を追った。

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