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第88話

 車に乗ってかけよって、窓越しに視線を合わせる。ぎこちなく会釈して車に乗り込んだ。  エアコンの効いた暖かい車内に身体がほっと緩む。 「こんばんわ」  優斗さんが微笑みかけてきて、俺も笑い返した。  ちゃんと笑えてたかはわかんねーけど。  すぐに車は走り出す。  音楽もなんにもかかってない車の中は静かすぎてため息もつけねぇ。 「――土曜日、大丈夫だった?」  沈黙を破ったのは優斗さんだった。 「……土曜?」 「先週の。無理……させたから、気になってたんだ。ごめんね」  ハンドルを握ってる優斗さんは前を向いたまま、申し訳なさそうに言った。  俺も前を――フロントガラスにぼんやり映る優斗さんを視界に入れながら首を振る。 「……若いから平気だよ」  優斗さんに謝られるようなことなんて、なんにも……ねーし。  俺がバカなだけだし。  チクチク胸のあたりが痛む。  会話はそれで途切れて、また静かになった。  優斗さんも黙って運転してた。  車は俺の家に向かってるみたいだった。  喋らなくても平気な静けさじゃなくって、なにを喋っていいのかわかんねー静けさ。  優斗さんがいまなにを考えてるのか気になるけど、顔を見る勇気もなくてぼうっと前を見てた。 「……捺くんのことは実優から聞いて知ってたんだ。和くんや七香ちゃん、羽純ちゃん、捺くん。いつも楽しそうに君たちの話をしてたからね」  俺の家の近所まで来た頃ようやく優斗さんがまた喋りだした。 「七香ちゃんと捺くんの息の合った口げんかのこととか、面白いってよく言ってたよ」 「……息のあったって……口げんかなのに?」  実優ちゃん……いったいなんの話をしてんだー……。  確かに小学校から一緒の七香とはしょっちゅうくだんねー言い合いをしたりしてる。  学校でのバカさが優斗さんに伝わってたんだって思うと、いまさら恥ずかしい。 「楽しそうでいいな、って思ってたよ。それから――夏になって実優にあったときにあのムービーを保管しててくれって預かって」 「……あはは」  乾いた笑いをとりあえず無意味にしてみた。  罰ゲームのムービー。  優斗さんが持ってるって知った、あの初めて会った日はびっくりしたっけ。 「そのときムービーを見て……。罰ゲームでヤケになって年下の男の子相手に本気のキスをしかけてる松原さんに苦笑して――」  車がゆっくりと俺の家のすぐ近くの公園前で止まった。  なんとなく自然に俺は優斗さんを見た。  優斗さんはやっぱり前を見たままで、そのときのことを思い出してるのか苦笑を浮かべてて。 「……松原さんに翻弄されて夢中になってる"捺くん"を見て……、可愛いなって思ったんだ」  ふって苦笑がちょっと違うものに変わって、優斗さんが俺を見た。  目が合って、俺はどう反応すればいいのかわかんなくて、とりあえず笑う。  バカみたいに。 「……可愛くないよ」 「可愛かったよ。――煙草、吸っていい?」 「……ん」  ウィンドウを少し開けて優斗さんが煙草を吸いだす。  智紀さんのとは違う銘柄、違う匂い。  でもどっちとも俺にとってはもう心地いいくらいの親しみがあるものになってる。 「それから1カ月くらいで、まさかその子に会うなんて思ってもみなかったけどね」  笑いと一緒に優斗さんは紫煙を吐き出す。  暗くて静かで、黙ったらエンジン音だけしか聞こえない空間。  俺は落ち着かないような、でも気持ちが沈みこんでしまったみたいな。  よくわかんねー気分で相槌も打てずに優斗さんの話を聞く。 「松原さんのマンションの前で捺くんに初めて会ったとき、俺はてっきり捺くんは実優のことがまだ好きなんだろうって思ったんだ。それで、なんだろうね……。同情っていうか……諦めきれないでいる君の話を聞いてあげたいって思って……。いや……でも本当は……」  言葉を途切れさせた優斗さんは煙草の灰を灰皿に落としながら自嘲するみたいな笑いを浮かべた。  それから少し黙ってまた喋り出す。 「……俺は、君が実優じゃなく松原さんを好きだっていうのを知って……。あのムービーのことを思い出して……。松原さんが羨ましいなって思って、それで――見たくなったんだ」  優斗さんの目が熱を帯びて、俺を絡め取る。  なにが、って言えないで、見つめ返した。 「キス以上のことをしたら……どんな顔をするんだろうって」  正直、驚いた。  あの時のことを思い出す。  初めて会ったあの日、初めてシて。 「相手は一回りも違う年下の男の子、それも姪の友達で……」  優斗さんは吸わずに持ったままだった煙草の灰をまた落としてから口に咥えた。 「……俺って結構自制心ないんだよね。ダメだってわかっているのに手を出してしまった」  "ごめんね"って優斗さんは目を細めた。  あの日、確かに優斗さんに誘われてシたけど。  でも……。

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