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第5夜 第37話
「楽しい日々だったよ。笑いが絶えなくて」
その表情はめちゃくちゃ優しくて綺麗で――痛くて。
「……あんなことになったけど、本当に楽しかったんだよ。今思い出してもつい笑ってしまうくらい」
それが嘘じゃないって、声で、細めた目で、わかる。
だけど、あんなこと、ってことを考えると俺はもう何をどう考えればいいのか反応すればいいのか……全然わからねぇ。
俯きそうになるのを必死で耐えることしかできない。
「それで俺が大学4年のときに姉さんたちが亡くなって」
「……」
「俺と実優は二人になった。だから……さっき捺くんが言ったように――実優にとっての家族は俺だけだったし、俺にも実優だけだった」
わかってた、つもりだった。
でも全部そんなんただの"つもり"だったんだ。
「残された実優に過保護になってしまうこともあるし……なにかあるとすぐに実優のことを考えてしまったりはするけど……」
優斗さんは言葉を途切れさせて俺を見つめた。
「いまは実優には晄人がいるし、俺には捺くんがいる。それで……なんていうのかな、正直勝手に、もうみんなで家族みたいな気分になってたんだ」
「……」
言って、ほんの少し眉尻を下げて微笑む。
それに心臓がきつく締めあげられたみたいに痛むのを感じる。
「いつも捺くんがそばにいてくれるから、だから……少し甘えてたのかもしれないね、俺は」
俺は、本当にバカだって思った。
「俺と実優は……一時期……その…叔父と姪だけじゃない関係のときもあったし……そういうのも含めたら、必要以上に干渉していたら誰だって不快になるよね」
俺だって捺くんの立場だったら――って優斗さんは申し訳なさそうに言葉を濁した。
俺は……違うとは言えなくて。
だけど頷くことも、できない。
首を横に振るだけ。
「でも、本当に……俺は捺くんが居てくれるから毎日が幸せだって知っていてほしいんだ。確かに実優は俺にとって特別なのはこの先も変わらないと思う。だけど」
なんで、俺は――。
「実優とは違う意味で、捺くんも特別なんだ。俺が……ずっと一緒に幸せを分かち合いたいって、想うくらい」
真っ直ぐな言葉に嘘とか誇張とか一切ないって心からわかる。
俺だって優斗さんは誰よりも特別に決まってる。
俺だって、って――想ってんのに。
「……こんな話し急にごめんね、捺くん」
なのに。
落ちたのはまた沈黙で。
そのあとに俺は優斗さんにそう"謝らせて"。
灰皿に置きっぱなしにされていたほとんど吸ってない煙草は灰になって落ちていっていた。
「やっぱり俺は捺くんに甘えてるのかもしれないね」
自分の過去をさらけだしてくれた優斗さんはいつもと変わらない様子で苦笑して見せる。
「こんな重いだけの話をしてしまってごめんね」
謝る必要なんてないのに。
優斗さんのことならどんなことだって知れてよかったって、思うのに。
だけど灰皿から立ち上る紫煙と一緒に沈黙がまた流れる。
俺は――……。
「話、聞いてくれてありがとう。もし……捺くんが訊きたい事や言いたいことがあるなら遠慮なく言ってほしい。いつでもいいから」
優斗さんが立ちあがって俺のそばにくる。
そしてほんの少しいつもするように俺の髪に触れた。
本当に、少しだけ。
「……じゃあそろそろ行こうか。駅まで送るよ」
すぐに離れていったその手は優斗さんのカップと俺がほとんど飲んでいないミルクティーの入ったカップを持って、キッチンに片付けに行った。
きっともう冷めてしまってたミルクティー。
でも――いままで残すことなんてしたことなかった。
罪悪感に立ちあがって優斗さんを見るけど、俺は声をかけることができずに見ているだけで。
車のキーを持つ優斗さんに、声をかけようとしたけど言葉を見つけることができなくて。
「あまり夜遊びしたらダメだよ?」
いつも通り笑いかけてくる優斗さんに、頷くだけで。
本当は用事なんてないのに。
それを優斗さんもわかってるのに。
俺はバカだと思ってたけど――どうしようもないくらいの大バカで。
「……あとで連絡する……ね」
必死な想いで口を開いて出てきた言葉はそれだけで。
最悪だ、って自分の横っ面張り倒したくなりながら――結局、なにも言えなかった。
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