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第六夜「それは、まるで」第1話

時計の針が7時半を指した頃会社を出た。 今日は金曜日ともあって街には人が溢れている。 梅雨もとうに明け熱気を増した空気。歩くだけで汗ばむ暑さの中、駅へと向かう。 捺くんとの待ち合わせは8時でゆっくり行けばちょうどいい時間だった。 電車に乗り車窓から外の景色を眺めていたらポケットにいれていた携帯が振動しだした。 取り出して確認すると捺くんからのメール。 『ごめん。次のシフトのやつが遅れてて、待ち合わせ遅れそう。できるだけ早く来る』 メールひとつ。 それだけで自分の頬が緩むのを感じる。 『了解。DAWNで待ってるから急がなくて大丈夫だよ。気をつけて』 そう返信をして携帯をポケットに仕舞う。 半同棲といっていいくらい捺くんは俺の部屋にいるから久しぶりに会うわけでもない。 だけど、外で待ち合わせて食事に行く。 たったそれだけのことが新鮮で、いい歳をして浮足立つ自分に苦笑してしまう。 いまは忙しい時間だろうし、きっとがんばって働いているだろう捺くんを想像しているうちに電車は駅に着いた。 そして捺くんへメールを送ったとおりBAR.DAWNへ向かった。 たまに二人で来ることがあるバー。 趣のある重厚なドアを押すと静かに響くドアベル。 足を踏み入れて薄暗い店内を見渡すと、カウンターにマスターと喋る男が一人。 ドアベルに気づいたのかマスターとともにこちらを見て軽く手を上げた。 「おや、奇遇。久しぶり」 カウンターへと向った俺に笑いかけたのは智紀だ。 「久しぶり。今日は一人?」 もともとこのバーは智紀と晄人のいきつけだった。 「優斗くん、今日が何曜日かわかってるかな?」 スツールに腰掛ける俺にグラスを傾けた智紀がわざとらしい言い回しで言ってくる。 それに苦笑しながらマスターにビールを頼んで、「金曜日だね」と返した。 「そうだよ、金曜日。そーんな日に俺が一人でいると思う?」 「いるはずない、ね。待ち合わせは?」 「八時半。それまでのんびり一人酒でもしようかと思ってここに来たわけだ。そうしたら優斗が来た。これって運命?」 マスターが俺の前にビールを置く。 グラスを持つとすかさず智紀がグラスを合わせてきた。 涼しげな音が響き、カンパイ、と智紀が笑う。 女性なら一目で虜になるんだろうなと思わずにはいられない爽やかで、だけどどこか色気をまとった笑み。 「……カンパイ」 だけど俺相手に色気振りまいてどうするんだろう。 と、出てくるのは苦笑だけでビールを半分ほど一気に煽った。 一週間の仕事の疲れと夏の暑さによる疲労がよく冷えたビールでほんの少し緩和される。 「で、優斗くんは王子様と待ち合わせ?」 カウンターに片肘をつき煙草を咥えた智紀がからかうように目を細める。 その言わんとするところを察して内心ため息をついてしまう。 「捺くんと、待ち合わせ。たぶん30分くらいで来るんじゃないかな」 あえて"捺くん"と言い換えたことで、智紀が片眉を上げて笑った。 晄人といい智紀といい察しが良すぎるところがありすぎてこういうとき困る。 「ふーん。写真映りよかったけど、お気に召さなかった?」 言いながら智紀は一冊の雑誌を取り出した。 今日発売の女性向けのファッション誌。 智紀が灰皿に煙草の灰を落としながら片手でめくっていく。 「"王子様"、相変わらずイケメンだねぇ」 「……まぁ、捺くんは綺麗な子だから」 開かれたページを見下ろせば1ページに丸々映った捺くんがいる。 ―――街で見かけた王子様。 そんなキャッチフレーズが書かれた街行く素人の男性を特集した記事。 緊張した様子もなく自然な笑顔で映る捺くん。 捺くんがこの手の特集に載るのはこれで二回目。 最初は大学入学してすぐのころだった。 「これ、わざわざ買ったの」 「いやー、会社の女の子が買ってきててさ。捺くんですよーってきゃあきゃあすごかったよ」 「へぇ……」 ビールを味わう間もなく一気に飲み干す。 捺くんは大学に入って最初の夏休みに智紀の会社でバイトを始めた。 最初は夏休みだけの予定だったそれが終了後も週3回続けて辞めたのはつい先月のことだ。 今は週二回、捺くんの従兄経由で知り合いが開いているカフェレストランでウェイターをしている。 「いまだに捺くん戻って来ないんですかーってうるさいよ」 苦笑する智紀に俺も笑いながら二杯目を注文した。 「……俺も、捺くんは智紀のところに就職するかなって思ってたよ」 「捺くんが? さぁそれはないだろ。まぁ実務の資格はとったし、うちとして来てもらっても大歓迎だったけど。 ―――上昇志向が強いみたいだから他のところでも勉強したいんじゃないかな」 智紀の会社でバイトをしながら貿易実務検定のB級を取ったのは去年。 仕事も楽しかったようだし資格修得の勉強も一生懸命していたからそのままバイトを続け、卒業後は就職するのだろうかと思っていた。 「……そうだね」 「高校時代が懐かしすぎるほどハイパーっていうか、なんというか急成長中だからね、捺くんは」 「……」 煙草いる? と一本差し出され微笑を返しながらそれを受け取った。 高校三年の夏、急に捺くんは志望を変えた。 それはもしかしたら俺が"過去"を話したからなのかもしれないし、違うのかしれないけど、予定していた大学よりもランクが上のところへ進路を変更した。 それまでは進路に関してはとくに迷いもなくというか興味もなかったのか偏差値にあった大学を志望していたようで、だから前触れもなくだったから担任の先生も困惑したらしい。 正直俺も間に合うかと心配ではあったけど……。 『捺くん、どうして進路急に変えたの?』 『んー? 特に意味ないよー。ただどうせ受験勉強するんならとことんしてみようかなーと思ってさ。って、いまさらだけど。高校時代もそういやもうあとちょいだもんなーって思って。思い出に?』 屈託なく笑いながら軽く言った捺くんはだけど言葉通りとことんというくらい勉強に集中しだした。 俺もできるだけ勉強を見てあげたし、たまに晄人や智紀も勉強を教えてあげていた。 もともと頭はいいほうだったんだろう学力はすぐに上がっていった。 それでも合格となるとギリギリかなという部分がありはしたけれど―――捺くんは変更した第一志望に合格した。 『おめでとう』 あのときは、素直に喜んであげれた―――。 『ありがとう!』 満面の笑顔だった捺くんはとても嬉しそうで、輝いていた。 あの時の笑顔と、先月見た笑顔。 智紀の会社のバイトを辞めると言った捺くんに俺は驚いて何故と訊いた。 『そろそろ就活だし。別に続けても休み融通きくしいいんだけど。いろいろゆっくり考えたいからリセット、みたいな』 そのときも捺くんは笑顔でそう言ったけれど、大学の志望を変えたときとは違う空気をまとっていた。 いや根本的には同じなのかもしれない。 ただ高校生のときと今は、違う。 彼にとっての世界が広がった分だけ―――。 「有名私立大に通っててイケメンでー、またこんな雑誌に載っちゃって。さらにモテモテになっちゃうんじゃないの、捺くん。カフェのほうも捺くん目当てが多いんじゃないの?」 からかうように目を細め智紀は紫煙をゆっくりと吐き出す。 それにならって俺も煙を吐きながら灰を灰皿へと落とした。 「……捺くんがモテるのはいまに始まったことじゃないしね。それにそういうの全然気にしないからね、彼は」 出会ったころから人目を惹く整った容姿だった。 注目を浴びることに慣れている分、それを気にすることもない。 一緒に歩いていて視線を向けられても平然とそれをやり過ごしている。 カフェでも注文以外のことはうまく営業スマイルでかわしている。 「あー、慣れてるもんなぁ。まあでも優斗だって人のこと言えないだろ? 今も昔もモテただろうし」 「俺? 俺は別に。智紀や晄人だろ? モテてたのは」 「まぁねー」 謙遜するでもなく当然のようにしみじみ頷く智紀につい吹き出してしまった。 俺の高校時代の親友はもうすでに結婚していて子供もいるからたまにしか飲みに行くこともない。 だからこうして同じ歳の智紀や晄人と話をするのは気兼ねせずに喋れて楽しい。 それにたぶん智紀も気づいてるんだろう。 俺が―――……。 「あ、来た」 小さく響いたドアベルが響いたのは捺くんのことから世間話へと話題が移って数十分してからだった。

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