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第六夜 第2話

もう何杯目かのグラスを手にしたまま智紀が顔を向け、次いで俺も視線を向ける。 俺と智紀に気づいた捺くんが軽く手を上げて足早にカウンターに来る。 「遅れてごめんね、優斗さん」 走ってきたのか少し汗ばんでいて腕で額を拭っている。 「いや、いいよ。お疲れ様」 「おつかれー」 俺のあとに智紀が便乗して、捺くんが笑いながら智紀に視線を移す。 「久しぶり、智紀さん。なにしてんの? こんな金曜にひとりなんてついにフラれた?」 俺の隣に座りながら捺くんがからかうように目を細めた。 「あのねー、俺はこれからデートです! フラれるわけないでしょ」 「ふうん? ま、どーでもいいけど」 「どーでもって……。捺くんなんか会うたびに俺への態度が悪くなっていってる気がするんだけど?」 「気のせいだよ、きっと! 元じょーしだし、尊敬してるって」 軽口を叩く捺くんに智紀はわざとらしくため息をつきながら俺のほうに顔を寄せてくる。 「優斗、もうちょっと躾けなきゃだめだろ?」 「ちゃんと躾けられてるって。ね、優斗さん」 合間に捺くんもビールを頼み、頬杖ついて俺を見つめる。 躾、って……どう返せばいいのか。 良くも悪くも捺くんと智紀の会話はいつも俺から見たらテンション高くてたまに対応に困る。 「捺くんはいい子だよ」 とりあえずそう言って捺くんの頭を撫でた。 甘いー、とぼやく智紀の声が横でする。 けど俺の目は捺くんに囚われる。 俺が触れた瞬間、ふっと捺くんの表情が柔らかく……甘くなるような気がする。 それに思わず俺も顔が緩むのを感じさりげなく口元を押さえて誤魔化す。 ―――捺くんは、綺麗になった。 いや高校生のときから綺麗な顔立ちはしていたけれど可愛いさも混じっていた。 けどいまは背も俺と並び体つきも出会ったころよりしっかりし、可愛いという言葉を使えなくなってきている。 運ばれてきたビールに口をつける仕草も、智紀が投げかけてくる言葉に笑う顔も―――もう子供ではなく男だ。 出会って三年以上経つのに気づけば見惚れそうになっている自分に気づき内心失笑する。 「そういやもうすぐ夏休みだね。インターンのほうはどう?」 「んーとりあえず今のところは二社行くの確定。あといくつか出してるから最終的にどうなるかなー」 「頑張るねー」 「数日間のところも多いしそんな大変じゃないよ」 「……」 「まー、いろんな会社見てじっくり考えて決めればいいよ」 無理しないよーにね、と智紀が笑えば捺くんも笑って頷く。 その横顔は大人びている。 いやもう実際大人なのだけど―――。 「それじゃあ、俺はそろそろ行こうかな。愛しのマイハニーを待たせらいけないしねー」 スツールから下りた智紀が捺くんの傍に行ってポンと肩をたたく。 「就活がんばって」 「ありがとう」 そして今度はもとの位置に戻って俺の肩に手を置いた。 「今度は同級生組で飲みでも行こうか。連絡する」 「ああ」 頷くと智紀はほんの少し俺の耳に口を寄せた。 「あんまり深く考えないように、な?」 ぽんぽんと肩を叩いて、智紀は会計を済ませるとバーを出ていった。 ―――深く、か。 やっぱり智紀にはバレバレだったんだろうか。 閉じたドアから手の中にあるグラスに視線を落とす。 捺くんが志望大学に合格が決まったとき。 そのときは、素直に喜んであげれていた。 だけど、いつからだろう―――……。 「優斗さん」 グラスの中の大きめにクラッシュされた氷が崩れるのと同時に横から捺くんの声がかかった。 「なに?」 我に返って隣を見る。 「これ飲んだら出ようか?」 俺と同じ目の高さで見つめてくる捺くんに頬を緩めながら頷く。 それからグラスに残り半分ほどだった酒をゆっくりと飲んで俺達はバーを後にした。 *** 「それいつ貰ったの」 バーを出た後、向かったのは中華だった。 二人で食べきれるのだろうかと心配になるくらい頼んでしまい、それをなんとか消化して店を出た。 オシャレな私服姿の捺くんとスーツの俺はいったい周りからどう見えるんだろうか。 まだまだ夜はこれからだと思わせるような街灯りの中、そんなことを考えながらいま俺達がいるのは―――ひと際派手なネオンが輝くホテル街だった。 「んーと、帰り際?」 捺くんの手にあるのはこの中にある一つのホテルの割引券。 それをどうやら智紀がバーで渡したらしい。 帰り際と言ったってそんなそぶりがあったなんてまったく気づかなかった。 「せっかくだし、たまにはこーいうところもいーよね?」 こういうラブホテルに捺くんと来たのは本当に数えるくらいだ。 ほとんど俺のマンションで過ごすし、あと旅行なんかではリゾートホテルや旅館。 遠出のドライブをした帰りに立ち寄ったことが数度あるくらいだった。 幸い周りには人気はなく、俺の手を握ってくる捺くんに仕方ないなと苦笑しながらもその手を握り返した。 目的のホテルに入って部屋選びは捺くんに任せる。 手を繋いだまま捺くんが選んだ部屋へと向かった。 「へー、なかなか綺麗だね」 「本当だ」 まだ新しいのか一見するとラブホテルとは感じないような、ある意味モデルルームの寝室のような造りだった。 まぁ……いろんなものが売っている自販機や大きすぎるベッドがある時点でいかにもラブホテルではあるんだけれど。 「あー、疲れたー」 捺くんがベッドにダイブして仰向けになり大きく伸びをしている。 俺は背広をハンガーに掛けるとその傍に腰を下ろした。 「お疲れ様」 ネクタイを緩めて捺くんの額にかかる髪に指を絡めながら梳くと、捺くんは目をしばたたかせて微笑んだ。 「優斗さんもお疲れ様」 「……うん」 本当に―――綺麗になったな、と思う。 あどけなさが消え、長いまつげに彩られた目は凛としていてだが艶やかで。 惚れているからという贔屓目じゃなく、年々綺麗になっているように思えた。 それを言うと捺くんは『綺麗って言われてもなー、かっこいいのほうがいい』と苦笑するんだけれど。 じっと見下ろしていると後手に上半身を起き上がらせた捺くんが目を細めて顔を寄せてきた。 触れ合う唇から香るのはさっきまで飲み交わしていた酒の匂い。 触れるだけのキスに俺から舌を差し込む。 咥内を味わう前に捺くんの舌が絡んできた。 アルコールの匂いが一層増す。 捺くんは俺の舌を翻弄するように悪戯に舐めては逃げて、甘噛みしてくる。 昔から思っていたけど……捺くんはキスがうまい。 初めて捺くんとキスしたのは俺がマンションに強引に連れ込んだ夏も終わりに近づいていたあの日。 初対面で、しかも男同士。 最初は緊張で強張っていたけれど、すぐに俺に応えるてきた舌の動きがやけに慣れていてそれが妙に複雑で煽られ、あんなことになってしまった。 自分の抑えの利かなさに呆れるけれどこうしていま一緒にいることができているのだから、それはそれでよかったのかと思うのは自分勝手だろうか。 「……ん…」 唾液の交わる水音とともにこぼれてきた捺くんの甘い声。 それだけで熱くなってきていた身体が一層熱くなるのを感じる。 キスを続けながらゆっくりとベッドに押し倒し、その唇を軽く食んで舐めた。 「……優斗さん」 少し潤んだ目が俺を見つめて身体が疼いてしかたない。 唇だけじゃ足りない。 その肌すべてにキスしたくなる。 何度抱いても、抱きあっても足りないと思うのはなんでなんだろう。 捺くんの首筋に顔をうずめて舌を這わせた。 「……ちょ、ストップ」 捺くんの手が俺の肩を押さてきた。 予想外の待てに、待てるわけもなく耳たぶを甘噛みした。 「なに?」 「先に風呂はいろーよ。俺汗だく」 「でもどうせ汗かくしこのままでもいいんじゃないかな」 「んー」 困ったように笑う捺くんに、一回りも年上のくせに自制のきかない自分に内心呆れてしまう。 捺くんは、 「だって俺汗臭いもん。それにさーせっかくラブホ来たんだしさ」 ふっと笑って俺の首に手を回すと目を覗き込んだ。 「お風呂もぜったい広いし、泡ぶろでもしてイチャイチャしようよ」 無邪気な言葉は高校のときから変わらない。 だけど笑いながら誘う目は昔よりもずっと色気をまとっている。 「―――そうだね」 とりあえず一度シてからでも―――と、どうしても煽られる俺は、だが物分かりよく笑みを返し。 「……っん」 それでももう一度だけ、と捺くんの咥内を貪ってからバスルームに向かった。

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