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第14話 どうしようもなく、好き

 「さっそくだけど、聞いてもいい?」  三人組の男子生徒が、笑い合いながら廊下を歩いて行く。どれも見覚えのある横顔。名前は一人も思い出せないが、同じクラスの連中だ。  何を、とはたずねなかった。聞かずとも、江森の問いの内容は察しがついた。  「なんであの時、キスしたの」  予期していた質問だったにも関わらず、伊織はすぐには口を開くことができなかった。答えなどもうとっくに出ているはずなのに、伝えることを躊躇った。  こんなところまで来ても、自分はまだ臆病者だ。  「……やっぱり、答えてくれないかー」  苦笑しながら江森が言う。間延びした、無邪気な声が懐かしい。  たった二ヶ月あまり声を聞けなかっただけで、こんなにも懐かしく、愛おしい気持ちになるなんて。もし死んだ両親に再会できたならば、双方の気持ちに押しつぶされて跡形もなくなってしまうのではないかと馬鹿げた想像をした。  「おかしいなぁ。俺、嘘を見抜くのは得意な方なんだけど。嫌がらせでキスしたなんて、絶対に嘘だって確信してたのに、今ちょっと自信なくなってきた。俺の勘も鈍ってきてんのかなぁ」  「……聞いて、どうするの。そんなこと」  「え。いや、それは……、俺の自由……というか?」  珍しく、江森がしどろもどろな様子を見せた。隠し事など似合いそうもない彼にも、答えたくないことはあるようだ。  「本当に、聞きたい?」  伊織も同じだった。いくら好きな人が相手であろうとも、話したくないことはある。たとえば、両親のこと。たとえば、冷えきった家庭のこと。そして、江森へのまっすぐで熱い気持ち。  念押しの一言に、江森がうなずく気配がした。  ここまでだと思った。これ以上、彼に隠し通せる自信はない。  いや、ひょっとすると当の昔に見抜かれていたのかもしれなかった。江森は自分の洞察力に少なからずの自信があるらしい。彼は伊織の気持ちにもキスの意味にも気がついた上で、わざと問いかけているのかもしれない。教科書に書かれた問題を解き、答え合わせをするのと何ら変わらない気軽さで。  そうだとしたら、とんだ意地悪な男だ。  口を開け、第一声を発する前に大きく息を吸った時。チャイムが鳴った。  決した伊織の心は、それだけの音で大きく揺れた。  足が勝手に動き出す。廊下の奥にある視聴覚室の方へ駆け出そうと踵を返す。  「俺のこと好きなの」  大きなチャイムの音が響き渡っている中でも、それははっきりと聞こえた。  今度は、足がすくんだ。江森から数歩だけ離れた場所から、一歩も動けなくなった。振り返るのが、恐ろしかった。どんな顔をしてそれを言ったのか、知りたい。でも知るのは怖い。知ってしまえば、もう二度と後には引けなくなるから。  「俺が聞きたかったのは、それだけ。こっち向かなくていいから、答えて。首を振ってくれるだけでもいい。俺は佐倉の本当の気持ち、知りたい」  淡々と話しかけられる間中、力いっぱい唇を噛んでいた。舌の上にほんのりと錆びた鉄の味が広がり、溶けた。  床を蹴った。力いっぱいに蹴って、駆け戻る。    鼻の奥がつんと痛かった。  勢いをつけたまま江森の胸に飛び込む。いや、正確には体当たりをした。少しの手加減もしなかったからか、これにはさすがの江森もうめき声を漏らして仰け反った。  「好き」  呟いただけで、涙が溢れて止まらなくなった。  「好きだよ、お前のこと。おかしいって分かってても、だめだって分かってても、ただ、どうしようもなく……好きなんだ」  「佐倉」  名前を呼ばれ、背中に手をまわされる。初めて、好きな人に抱き締められた。嬉しいはずなのに、それ以上に胸が締めつけられるほど切なくなった。ずっとこうして欲しかったのに、いざそうなったら途方もなく悲しいのはどうしてだろう。  「……ありがとな。本当のこと話してくれて」  後ろ髪を優しい手つきで撫でられて、なおさら涙腺が緩んだ。  愛情に飢えていたのだと、この時になって気がついた。江森を好きになったのも、彼の優しさに触れてその声にその手にもっと愛されたいという、貪欲な気持ちからだったのだと。  こんなにも貪欲な人間でも、誰かを好きになって、その人を一生愛し抜きたいと心から思える。それが伊織には、少しだけ誇りに思えた。  たとえ報われない想いでも、伝えることができた。  もう充分だと思った。  だから、しゃくり上げる声の中囁かれた言葉には、目を(みは)るばかりだった。  「俺も、……佐倉のことが、好き」

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