16 / 36

第16話 キスのその後

   上がった息を整えている伊織の手を引き、江森は男子トイレに入った。狭い個室の中、冷たく硬い壁に押しつけられるとすぐにキスが再開された。指で貪るように互いの身体に触れ、発火しそうなほどに熱された舌を絡め合う。  酸欠になるまで続けてから、なんだか急におかしくなって二人で笑い合った。  「男同士って、どうするのが正しいんだろうな」  いつくしむように伊織の頬を撫でながら、江森は疑問を呈した。  伊織が答えられることではなかった。何せ、男はおろか他人を好きになったことはこれまでに一度もなかったのだから。女と抱き合う光景など想像したこともなかったし、ましてや男と人目を忍んで愛し合うだなんてもはや想像の範疇(はんちゅう)を容易く超えていた。  「……よく、分かんない。でも別に、どうするのが正しいとか、ないと思う。お互いに気持ちよければそれでいいんじゃない」  「こんな時までクールだな。佐倉は」  「そう見えるだけ。……本当は違うって、分かってるくせに」  「そりゃあ、男は一目瞭然だからな」  お互い様だよと笑う江森にも、あまり余裕はないらしかった。  再び深く口づけられながら、衣服を解かれていく。手探りでベルトを外され、徐々に履いているものを引き下げられる。ゆっくりと、焦らすようにそれは行われた。  「……彼女にもこんな脱がせ方、してたの」  問うた時には、既に下着越しに欲望の形が(あら)わになっていた。  早く触って欲しい。焦れる気持ちを抑えて返答を待った。  「いや? 彼女とはA止まりだけど?」  「表現、古っ。昭和かよ」  「佐倉も、よく知ってたな。さすが読書好き」  「読書とは関係ない。前に、親が言ってたのを聞いて、意味が分からなくてネットで調べたから……って、そんな話はどうでもよくって」  後に続く言葉を言いかけ、口ごもる。自ずから言ってもいいことなのか、伊織には分からなかった。  江森は伊織の様子の変化には敏感だった。  「ん。触っても、いい?」  「……、……ん」  泥をぶちまけたような色をした床に目を向けながら、ごくわずかに声を出す。  指先で輪郭をなぞるように触れられただけで、びくっと大きく肩が跳ねた。縦横無尽に江森の指が滑っていく。その度、面白いほどに身体は反応を示した。仰け反りかけて頭を壁に打ちつけた時は、心配されるのが嬉しいとともに何処かへ隠れたくなるほど恥ずかしかった。  「下着、ぐしょ濡れだけど大丈夫?」  「……大丈夫、じゃ……ないっ」  洗濯をする時のことを思えば、ほんの少しだけ憂うつだった。が、凝固したそこへ直に触れられた瞬間、後先を考える冷静さは掻き消えた。  「佐倉、つらそう。見てらんないから、このまま続けるぞ。いい?」  絞り出した声は驚くほどに甘かった。  エロ過ぎだろと笑いながら、江森は伊織の欲望に優しく触れ、愛撫する。彼の指に弄られる度、いちいち声が出た。羞恥から、咄嗟に手の甲を唇に押し当てて声を抑えようとした。けれど、江森はそれを見逃さず、また許さなかった。  「抑えないで。佐倉の声、もっと聞きたい」  「っ……いや、だ。恥ずかしい」  「なんで? すっげぇ、可愛いよ。……あー、男に対して可愛いは、ないか」  言ってしまったことを後悔したように江森が苦笑する。「そんなことない、嬉しいよ」と感じたままを言葉にしたら、また「可愛い」と言われた。  涙が出そうなほど、嬉しかった。  「んっ……、江森……っ」  「……ちょっとやばい。佐倉がエロ過ぎて、理性どっかに吹っ飛びそう」  困惑の含まれた声。ところどころが熱っぽい吐息に遮られており、彼の興奮の度合いが伝わってきた。さっきから高ぶってばかりいた心と身体が、さらに追い立てられる。気がつけば羞恥も忘れて、触りたいと懇願していた。江森は自分のベルトを緩めることで伊織を受け入れた。  「他人に触らせたの、佐倉が初めて」  「俺も……、触るのも触られるのも、初めて」  江森は汗ばんだ顔に笑みを過らせると、急に手の動きを早めた。強い刺激に、伊織は大きく身体を震わせ、頭が壁にこすれるのも構わず仰け反った。ぞくぞくと、快楽が電流のように背筋を這っていく。  感情が混じり合い、涙の粒となってぼろぼろとこぼれていった。  「ん。そろそろ、限界?」  詰まらせた声で肯定する。何も考えられなくなりそうなほどの快感に打ち震えながらも、指は手は、休めなかった。  ラストスパート。そう笑って、江森はさらに激しく伊織を刺激してきた。  頭の片隅にはまだわずかに理性が残っていて、声を出せば誰かに聞かれてしまうかもしれないと警告してきた。限界まで抑え、せめて吐息だけに留めようとしたものの、完全に封じるのは難しかった。一人でした時はこらえられたのに、今は何故、同じようにできないのだろう。  「え、もり……、好きっ……」  俺もだよ。囁かれた直後、伊織は一人で先に果てた。  その後、とうとう余裕をなくした江森から本格的に愛撫を求められ、伊織はそれに応じた。  ほどなくして彼も限界を迎えた。伊織の背後の壁に手をついてうめくその様を見て真っ先に抱いたのは、やはり〝かっこいい〟という感想だった。今まで感じたことのないほどの充足感に、こういうのを幸せと呼ぶのかもしれないと思った。

ともだちにシェアしよう!