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第20話 終業式とクリスマスイブ

 つき合い始めた翌日から、江森は昼休みになる度に図書室へ来た。  本を読む場所なのに、二人で一緒に昼食を食べたり世間話をしたりすることの方が多かった。江森があまりに大きな声で笑い、小木に注意をされることもあった。その光景は、月日が経ち雪が降り積もっていくにつれて日常茶飯事になっていった。  クリスマスイブであり、学校の終業式の日。  「なあ、佐倉。今日って、バイトが終わったらひま?」  図書室から教室へ戻っている道すがら、江森がたずねてきた。  ひまに決まっている。わざわざ質問するまでもないだろうと素気のない態度で答えてやると、さらに問いが返ってきた。  「ならさ、俺の家に遊びに来ない? なんなら泊まりがけとか」  「行ってもいいけど……。泊まるのは、ちょっと」  「え、嫌?」  「嫌ではない、けど」  「けどけどって、いいの? だめなの? どっち」  小学生の時には友達の家へよく遊びに行った。けれど泊まったことはなかった。中学生になってからは、友達を作って一緒に遊ぶということすらしなかった。両親の死、そして養父母からの扱いが伊織の心を閉ざさせてしまった。  伊織が他人と関わることを極端に避けるようになった理由は、もう一つあった。  何処までも昏々としていて、抜け出せない闇。思い出すだけで吐き気がしそうになるほどおぞましく、不快な記憶。  ぐいっと、腕を引っ張られた。  肩が触れ合う。何が起こったのか分からなかったが、この程度の出来事にさえ伊織は動揺して立ち止まった。  「なっ、何?」  「まーた何か変なこと考えてただろ」  「変なことって……?」  「聞いただけで気分が落ち込みそうな、暗いこと」  妙に的を射た表現に、伊織は眉間にしわを寄せた。まるで心を覗き見られたようだった。たとえ江森にそんな能力があったとしても、何が何でも知られたくないと思った。  「お前、最近よくそういうこと考えてるだろ。俺といる時にも、ふとした瞬間に浮かない顔してるし」  「…………」    「……もしかして、家のことでなんかあった?」  何もないよと答えると、江森はじっと顔を覗き込んできた。  頬が熱を持ち始める。少し見つめられただけでこんな風になってしまう自分は、江森が言うように照れ屋なのかもしれないと考えた。  「嘘はついてなさそうだな。いつものかわいい佐倉だ」  「かっ、かわいいは、よせよ」  「えー? 前に言った時は『嬉しい』って言ってくれたじゃん。あれって演技?」  「嬉しい、けど……、しょっちゅう言われるのはごめんだよ」  目をそらしながら言い、歩き出す。  すぐに隣りへ追いついてきた江森は、まだ伊織を気にかけている様子だった。が、それよりも先ほどの問いかけに対する返答を得たいと思ったのか、改めて声をかけてきた。  「で、どう。今日はイブで明日はクリスマスだし、一緒に過ごさない?」  「ああ……、それで誘ってるのか」  「ひょっとして佐倉、クリスマスの存在、忘れてた?」  「おぼえてはいたけど、興味がなかったってそれだけのこと」  「クリスマスに興味ないとか、若者らしくないぞ。つーかさ、泊まるのか泊まらないのか早く教えてくんない? 俺のこのわくわくした気持ちが消えない内に答えて」    「なんでわくわくしてんの。意味分かんない」  できるだけ冷たい口調で言い放つ。  嘆息してから、仕方なしに伊織は答えた。  「……泊まる」  「え。ごめん、よく聞こえなかった。もうちょっと大きい声で言って」  「だから、……泊まるってば」  その代わりと言いかけるが、途中で口を閉じた。喜ぶ江森の顔が、あまりにも嬉しそうで、あまりにも輝いていたから束の間、見惚れていた。純粋な心の持ち主を目の前にし、何かしら条件をつけてやろうとした自分が情けなくなった。  「なんでもない。じゃあ、バイトが終わったら一旦、家に帰って支度しなきゃいけないから、行くのは遅くなるけどいい?」  「もちろん。晩飯は、こっちで適当に用意しとくよ。とりあえず駅まで来て待っててくれたら嬉しい。部活が終わったら、俺もすぐ行くから」  「どっちが早く終わるか、微妙だな。江森はいつもどのくらいの時間に帰ってるの?」  七時くらいという返答を受け、どちらが早く駅に着きそうかざっと計算してみる。  伊織が喫茶店のバイトを終えるのは、いつも六時過ぎだ。それから家に帰ってまたこちらの方角へ戻ってくることを考えると、江森の方がだんとつで早いようにも思えた。何せ、伊織の住処は学校から距離があるのだ。自転車ででも通える近距離に住んでいる江森がうらやましくなる。  各々の教室に戻る際、手を挙げて「じゃ、楽しみにしてるからな」と笑いかけられる。うなずく動作がぎこちなくなってしまったのは、何故だろう。  「なんだ? 何か約束事?」  自分の席に着くと、前の席の男子生徒が話しかけてきた。彼はクラスメイトの中では最も伊織へ気さくに声をかけてくる。たまに話し相手になる程度の関係性だが、伊織は彼に好印象を持っていた。以前、野球部で四番として活躍する江森のうわさを伊織に聞かせた張本人でもある。  「うん、まあ……ちょっとね」  まさか彼とは恋仲だとは言えず、返答は曖昧なものとなった。  「江森と最近、仲いいよな。野球の話で仲よくなったのか?」  「俺は野球にはあまり詳しくないよ。江森とは図書室で知り合って、それで……ちょっと話しただけ」  「へー、図書室。体育会系って、みんな本なんか読まないと思ってた」  夏休みに突入する数日前、熱気がこもった図書室での光景を思い出す。まだ三か月も経っていないのに、懐かしく感じた。  「俺も、まったくおんなじこと思った」  苦笑しながら共感の言葉をかける。相手は何故だか不思議そうに目を瞬いていた。  チャイムが鳴った途端、話し声でざわめいていた教室の雰囲気はあわただしいものに変化した。誰もが急いだ様子で自分のクラスや席に戻っていく。次の授業は古文だったなと思い出し、伊織は教科書を机の上に並べた。  あと一つだけ授業を受けたら終業式。バイトを済ませたら江森の家へ行く。  泊まるために必要な道具の他に、何かおみやげになりそうなものなどを持って行った方がいいのだろうか。そういえば、彼が一人暮らしなのかどうかはまだ確認していない。誰か同居人がいた場合、どんな顔をしてあいさつすればいいだろう。友達として江森から紹介してもらうやり方が妥当だろうか。  気持ちがはやる。さっさと先生が来て、授業が終わって欲しい。  が、いくら待てども教師は一向に教室へ姿を現さなかった。

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