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第31話 両親へ会いに

 秋の彼岸に、伊織は両親の遺骨が納められている寺へ足を運んだ。  墓を作らなかったのは金の問題も大きかったが、人手のこともあった。自分以外には墓参りをする人がいない。それを分かっていたから作らなかった。自分がこの世からいなくなった時のことまで視野に入れた結果だった。  納骨堂の料金は、伊織が独り立ちするまでの間は養父母に立て替えてもらう約束をした。やはりいい顔をされなかったが、今でもちゃんと払ってくれているようだ。  「……やっぱり、こういうとこにまでついてくるのは、まずかったかな」  仏壇の列の間を進みながら、江森が小声で話しかけてくる。  堂内の静かでひんやりとした空気に気圧されているのか、いつになく大人しい。しばらく実家へすら帰っていない彼は、寺の中へ入るのも久し振りなのだろう。  「まあ、をつれて親の寺参りをする人なんて滅多にいないかもな」  「あれ。二人に紹介してくれないの? 俺の彼氏です、って」  「してもいいけど……、わざわざ紹介しなくてもきっと知ってると思う」  「知った上で、伊織がちゃんと紹介してくれるのを待ってるかもしれないぜ」  それはお前の本音だろ。ちらりと視線を送ると、江森は声を出さずに笑った。  両親の仏壇をおとずれると、伊織はまず中を綺麗に掃除することにした。お盆に一人で来た時は、ごく短い時間で済ませてしまったため後ろめたさを感じていた。水で湿らせた布で仏具や仏壇内を拭いていく。江森にも手伝ってもらい、作業は手早く終わらせた。  供えものをし、ろうそくに火を点ける。  「伊織、マッチ使えるんだ。すごいな」  「すごいって……、誰でも使えると思うけど」  「俺は使ったことほとんどない。実家で墓参りとかする時はいつもライターだったし。家に仏壇はあったけど、危ないからって小さい時からマッチとか触らせてもらえなかったんだよな」  「確かに、お前に火を持たせるのは危険かも。正人の実家が火事にならなくてよかったよ」  「……伊織って、たまにひどいよな」  ふふっと鼻で笑うと、江森がすねたように睨んできた。無視をしてろうそくの火に線香をかざす。  独特な香りに刹那、両親の葬式を思い出した。  哀しみも度が過ぎると涙さえ流せないのだということを思い知ったあの日。とても大切な人の葬儀のはずなのに、何処か他人事のように感じながら時を過ごした。葬儀場ではろくに眠ることもできず、食事もまともに喉を通らなかった。できれば他人と会話などしたくない気分だったが、初対面の親戚たちが容赦なく問いを投げかけてくるせいで口を動かす外《ほか》なかった。誰とも目を合わせてやらない。伊織にできる抵抗はこれくらいだった。  葬儀を終えて三日経った晩、布団の中で急に強い不安に襲われた。今後の自分の行く末を思い知り、孤独感にさいなまれた。  あの時の自分が今の自分を見たら、どう思うだろうか。  線香を供えて手を合わせ、つむったまぶたの裏で想像する。鏡の中の自分が驚きに満ちた表情を浮かべている。そんな情景が思い浮かんだ。途方もないほどに拍子抜けし、困惑するのだろう。後に自分が歩む未来を見せられたら誰だって驚愕するに違いないが、その誰よりも驚ける自信がある。  次に抱くのは、失望だろうか。  それとも喜びだろうか。いつか理解者を手に入れることができると分かれば、安堵するかもしれない。  姿勢を直し、後方にいる江森を見上げる。すぐ目があって、何? と首をかしげてきた。表情が心底、不思議そうだった。  「なんでもない。正人も線香、あげてやってくれ」  「うん」  江森は伊織の所作を真似て線香を供えた。ぎこちない手つきが可笑しくて、伊織は後ろで見守りながらこっそり笑みをこぼした。  「五年と五か月って、長いようで短かったな」  仏壇の中に置いてある写真を眺めながら呟く。  笑っている両親の中心に、小さな時の伊織が写っている家族写真だ。記憶はないが、五歳の七五三を祝った時に取った一枚で、男の子は緊張した面持ちで気をつけをしている。礼服を着せられ、いささか窮屈そうだ。  両脇に立つ父と母は、和やかに微笑んでいた。二人の死後にアルバムを整理していて見つけたのがこの写真だった。母のお気に入りの一枚だったと記憶している。  「五年前か……。あー……、俺の家も丁度ぎくしゃくし出した頃だわ」  「お互いに心労の絶えない中学時代を送ってたんだな、俺たち。あんまり嬉しくない共通点だけど」  「言えてる。でも多分、あの時があったから俺たちは出逢えたんだろうな。二人とも親がちゃんとしてて、おまけにもう少し稼いでたら今の高校に入学してなかったかもしれないし。俺はともかくとして、伊織は成績もいいからもっといい高校に通って大学にも行ったんじゃないかな」  また想像してみようとする。今度は、両親が生きている世界で暮らす自身の姿を。  「……考えられない」  以前も今も悪い予想は簡単についたのに、真逆のことを考えようとすると何一つまともに想像できない。  代わりに、真夏の図書室での出来事を思い出していた。  寝ぼけ眼で見上げた男子生徒の顔。彼が放つ輝きに目をそらしたこと。  「お前と出逢わなかった未来なんて、想像できないよ」  肩をすくめて言う。顔が勝手に微笑みを形作った。隣りから江森の視線を感じた。  「……、伊織の言う通りだよな。つまんないこと考えた俺、やっぱ馬鹿だわ」  「馬鹿と天才は紙一重って言うからな」  「えっと……、それってもしかして、褒めてる?」  笑ったまま何も言わずにいると、江森が突然、前に進み出た。何をする気なのだろうと、伊織はその広い背中を見つめた。  「伊織のお父さんとお母さん、初めまして。俺、江森正人っていいます。天国から見てて知ってるかもしれませんけど、伊織の彼氏です」  「ちょっと、自己紹介するのはいいけどもう少し声潜めろよ。誰かに聞かれたら」  言いかけて口をつぐむ。  もう決めたではないか。周りからどう見られ何を言われようとも恐れないと。堂々と、胸を張って「こいつが俺の恋人です」と誰かに紹介できるようになるのだと。そして、それを行う初めての相手が両親ならば文句はない。他の参拝客に聞かれたって、だから何だって言うんだ。  「あと言っとくことは……、伊織の好きなところ、とか? いや、それはきりがなくなるからやめといて……」  仏壇の前でぶつぶつと独り言を漏らしながら頭を悩ませる高校生など、彼くらいしかいないのではないだろうか。  吹き出しそうになるのをこらえ、伊織は黙って成り行きを見守った。  「あ、そうだ。これからのことを言っておかないと。俺、必ずプロの野球選手になって、メジャーリーグにも行きます。アメリカに伊織もつれて行きます。それがもし叶わなかったとしても、伊織を幸せにするっていう俺の目標は変わりません。……あれ、なんかプロポーズみたいになっちゃった」  頭をかきながら江森が言った途端、伊織は笑いがこらえきれなくなった。その場にしゃがみ込んで肩を震わせていると、近くの仏壇へお参りに来た人が訝しげな目をこちらに向けて目の前を歩いて行った。両親の仏前で大笑いする高校生など、やっばり自分くらいのものだろうと思った。  絶対や必ずを信じきれないのは今までと変わらない。けれども、江森がそれを言うのなら信用してもいい。  「え、伊織なんで笑ってんの……?」  「お前が馬鹿だからに決まってる」  「は?! さっきまで天才だって言ってくれてたのに、何その急な心変わり」  笑いすぎて涙が出るのはえらく久し振りだった。  伊織は目元を拭いながら、ろうそくの火を吹き消した。腹が痛くなるほどに笑うことができている自分を見て、両親は安心してくれているだろうか。  父さん。母さん。俺は今、とても幸せだよ。  仏壇の扉を閉める直前、写真の中の二人がわずかに目を細めたような気がした。

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