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第5話 先送りの感情
夜も更けて光が帰ろうとすると、悠司がタクシーを呼んでくれて、途中まで一緒に帰ることになった。
悠司を店に連れてきた当の惟人はと言えば、繭にもたれかかってて完全に停止していた。
眠っているから放っておいていいと苦笑いする繭にさよならを言って二人でタクシーに乗る。
後ろの席に並んで腰掛けていたら、ふと悠司が何気ない様子で切り出した。
「今度二人で会えないかな」
「……二人で?」
びっくりした。
「嫌?」
断られるなんて思っていないような顔で光に微笑みかける悠司に、正直戸惑う。自信家なのだろうか。彼の誘いを断る人などこれまでいなかったのか。
――それとも、見透かされているのか。物欲しそうな態度ではなかったか。悠司ばかりを見てはいなかったか。光は自分の行動を振り返って考え込む。
(だって先生の顔、好みなんだ)
多分悠司と同じ年になっても、そうはなれないだろう落ち着いた大人の男の魅力を持っている。人を安心させて頼りたくなる笑顔は職業柄なのか、元々のものなのかはわからないが、悠司にじっと見つめられると心臓が早くなった。
「俺のこと、嫌い?」
嫌いなんて答えが返ってくるわけないと知った上で聞いているのか。
意地悪な質問だ。明らかに自分に好意を向けてくれていると気づいているのに、そんなこと聞くなんてひどい。光は顔が熱くなってくるのがわかった。車内は暗かったが、多分気づかれてしまうだろう。
これまで、飼い主と獣医師という立場でしか会話したことがなかったのに、その枠を超えるとこの男は結構積極的で強引だ。
今まで知らなかった悠司の性質を目の当たりにして、少なからず驚いていた。それは単に光を女と思い込んでの行動だったのかもしれないが、嫌ではなかった。
だけど……、
答えに窮している光を見て、悠司は方針を変えたようだった。
「気が向いたらでいいよ」
あっさり言って、自分の連絡先の書かれた紙を光に渡してくれた。それ以上しつこく誘うことはなく、どうでもいいような会話をぽつぽつ交わしながら、アパートの傍でタクシーから降ろして貰った。
その場で会う約束は出来なかった。悠司に連絡して良いものか、答えは出ないままだった。
玄関を開けると、光の気配を察知したうさぎのユイが、ケージの中で右往左往し始める。出かける前に夜の食事はちゃんと用意してやったが、チンゲン菜の茎だけ残して平らげていた。
「遅くなってごめん、ユイ」
何をするより先にケージの扉を開けてやると、ユイがぴょこんと出てきたかと思ったら、得意げに光の周りをぐるぐる走り出した。
「おまえは衛星か」
踏まないように気をつけながら、服を脱いで顔を洗いに洗面所に向かう。
ふと鏡を見ると、女の子の「ユイ」がいた。
(先生、僕だって気づかなかったなあ)
それが良かったのか悪かったのか、光にはよくわからない。いつも動物病院で会う光と今の彼はかけ離れていたし、悠司が気づかなくても無理はない。
今日は色々なことを話した。
悠司が光より16歳離れていることも、独身であることも初めて知った。繭姉の恋人とは大学の同期だったこと、すごく大人しくてあまり動かないペルシャ猫を飼ってること、光と同い年の妹がいること。随分と年の離れた兄妹だと思った。
惟人がぽそりと、
「こいつタラシだから気をつけなよ。泣かせた女は数知れず」
なんて光に忠告しては、馬鹿なこと言うなと悠司に小突かれていた。
(先生……タラシなんだ)
化粧を落としながら、ぼんやりと考える。
きっと「ユイ」のことも、軽い気持ちで誘ったのだろう。
だけど、こちらとしては同じ軽い気持ちで誘いに乗るわけには行かない。悠司との関係が崩れたら、ユイを診てくれる先生を他に探さなければならない。何かあって気まずい雰囲気になってしまったら、病院に行くのはきっと嫌になる。せっかく良い先生に出会えたのに、それだけは避けたい。うさぎのことを全然判っていない獣医は結構いるのだから。
もし今よりも仲良くなれて、それがずっと続いたとしたら、とても嬉しいし安心だ。けれど上手く行くという保証なんてどこにもないし、そんな賭けには出られない。
悠司に連絡を取るのは、とりあえず保留にしよう。
今夜は酔っていたから、朝になったら「ユイ」のことなんて忘れている可能性もある。覚えていたとしてもしばらく放置していれば、やはり忘れるだろう。
「それがいいよね、ユイ」
ユイの遊んでいる床に転がって、小刻みに動いているその鼻に顔を近づけた。白い長い髭が顔に当たって、くすぐったかった。
なんだか疲れてしまって、ユイをケージに戻すのも忘れ、そのまま眠りに落ちる。
意識が途切れる直前、悠司の顔が浮かんで、すぐに消えた。
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