11 / 51
第11話 解離
アクロの入り口に続く階段を少し登ったところに、悠司が待ち人を待ちきれない様子で、じっと外を見つめている。
足下を滑らせないようにゆっくりと歩いてきたユイは、すぐ傍まで行って立ち止まり何か言おうしたが、悠司が先に口を開いた。
「大丈夫?」
急に聞かれて、ユイは戸惑った表情を浮かべた。何に対しての問い掛けなのかわからないようだった。
「電話かけてきた時、なんかおかしかっただろう?」
「そうかな……」
「連絡、くれてありがとう。正直くれないかと思ってた」
「え……、うん。ごめんなさい。……あの、必要以上に神崎さんと親しくなるの、怖くて。電話出来なかったの」
「そうか……」
しょんぼりした声で呟いたユイの頭に、その手が伸びた。しかし無意識に撫でてしまった悠司は、不思議そうな瞳にすぐにぱっと手を引っ込める。
引っ込められた手を、ユイの手が握った。
温かい手だと悠司は思った。「あの女」とは違う手だ。
「あのね、神崎さん」
「うん」
「ユイの話を、聞いてもらえるかな。ちょっとおかしな話になるかもしれないけど、とりあえず最後まで」
少し困ったような、少し泣きそうな笑顔で、ユイは言った。その顔は、悠司が知っている宇佐見光とはどこか違うような気がした。
同じ人間だって気づいたはずなのに。
どうしても女の子を見る目で、見てしまう。
「いい?」
「……とりあえず、中に入ろうか?」
若干雨が吹き込んでくる場所で立ち話しているのもどうかと思った。ユイは小さく頷いた。
何かいつもと違う様子を感じたのか、繭も他の人たちも、最初に挨拶しただけで近寄ってくることはなかった。悠司と向かい合うユイは、何から話そうかと考えている感じで、出されたオレンジジュースに少し口をつけた。
何を言われるんだろう、と悠司は緊張する。
「あのね、……あの」
ゆっくりと話し始めたユイの声は、とても可愛らしい。その仕草も本当の女の子より女の子らしくて、思わず抱き締めたいとさえ感じる。
「ユイは神崎さんのことが好き」
「えっ、あ、ありがとう。……その、なんというか」
急に言われてしどろもどろになっている悠司は、自分の身の振り方も定まっていない。ユイという女の子を好きになったが、ユイは光で、男だ。男である光をそういう意味では好きではない。だから悩んだのだ。
「ところで、さっきとてもショックなことがこの身に起こりました」
「……??」
告白から意味不明の展開になって、沈黙する。
「神崎さん、ユイのこと光だって気づいた? 知ってる子だって気づいてた?」
知られるのは嫌なのかと思っていたが、ユイはあっさりとその事実を口にした。悠司は戸惑いを隠せなかった。
「あ……あの夜は、気づかなかったけど、今は」
なんだか、少しくらくらするのは酒のせいか。それとも必要以上に体が強張っているからか。そもそも何故こんなにユイの言動にどきどきしているのだろう。自分より随分年下のこの子に。
本当に女の子だったら良かったのに。
ユイは悠司の返答に、小さくため息をついた。
「今まで友達だと思ってた人が、いきなり不透明な存在に変わってしまったの。その人の存在が、心臓をぎゅうぎゅうに締め付けて、光は困った。その人のことを、光はとても好きなの。大切で、失いたくない」
「そう、なんだ……」
さっき悠司を好きと言ったユイが、今度は違う人を好きだと言う。最初に言われたとおり、おかしな話になりそうだった。
「そこで対処に困った光は、ユイを切り離してしまったの」
「……は?」
「境界が曖昧だった光と、光の中にある女の子の部分を、切り離してしまったの。わかる?」
「二重人格……とか、そういうこと?」
「多分、二重人格とは違う……けど……」
自分でもよくわからないのか、ユイは首を傾げてみせる。
「とにかくね……ユイは神崎さんのことが好き。神崎さんは、ユイを女の子として扱ってくれた。光の女の子の部分が、それにすごく反応した。でもそれは光の一部であって、すべてではない」
ユイはそこまで言って、しばらく黙り込んだ。
どうしようか迷っている顔だ。
悠司がどう出るのか、判断に困っているのかもしれない。対する悠司としても、予想していなかった展開に思考が停止気味だった。
「……神崎さんは、ユイを受け入れる? 光じゃなくて、ユイと呼んでくれる?」
ためらいがちな、か細いユイの声。
ああ、そうなのか、と悠司は思い至った。
ユイは女の子なのだ。
体は光のものでも、心が女の子なのだ。ユイは光とは違う存在なのだ。だから、悠司が知っている光と、どこが違う気がしたのだ、多分。
再び沈黙が訪れる。
ユイは何も言わなかった。
視線を悠司から下に落として、ぼんやりとしていた。
消えてしまうかと、
いなくなってしまうのかと、
そう思ったら悲しくなった。
自分がユイを否定したら、行き場を失ってしまう。
それは嫌だった。
悠司の手が伸びて、ユイの頬をそっと包んだ。ぴくりと反応した反動で、ユイの大きな瞳にたまっていた涙が零れ落ちた。
「――宇佐見くんの中の君を、俺が守ってあげる。……守りたいんだ、ユイ」
ともだちにシェアしよう!