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第13話 氷解

「なんか妙なことになってるみたいじゃないの」  珍しく顔を見せた弟に、繭は意地悪な笑みを浮かべた。尚志は口元を引きつらせ、 「ママさん、なんかがつんと来るのちょうだい」  と繭を無視して悦子ママに話しかける。 「あらぁひーくん、まだ未成年じゃなかったっけ?」 「成人してますって」  尚志はカウンターに腰を下ろして、ママからグラスを受け取った。その横に繭が陣取って、弟の様子を伺う。 「ねー、ユイちゃんどうなったの。最近とみに女の子らしくなってきたんだけど」  あれ以来、ユイは今まで以上に仕草や表情などが女の子っぽくなってきていた。光の部分が、奥に追いやられているのだろう。逆に光でいる時は、女の子っぽさも抜けて、以前に比べると物怖じしなくなったというか、思っていることをはっきり言ったり妙に積極的だと感じたり、若干性格が変わった気がする。それは尚志にとっては好印象に映る反面、ユイなんていなくなればすべてがうまくまとまるのに、と感じている。  ユイも光の一部だと、わかった上で。  まだ、慣れていないだけなのかもしれないが、いずれ慣れる時が来るのだろうか? 「……大体あんたが余計な電話入れるのが悪いんだよ、兄貴」 「お姉さまと呼べと言ったはずだけど?」 「うっさい尚弥(しょうや)」  むかついて繭の本名を呼んだ尚志に、がつんと来るのが飛んだ。自分より大きい弟の頭に鉄拳が一発。無言で痛がる尚志を尻目に、殴った繭も手をさする。  先日悠司が来た時に、繭がそれを教える電話をしていたことを光が何気なく口にしたので、尚志は余計なことしやがって、という思いを抱いているのだ。 「文句たれに来たわけ? 暇人ね」 「違うから。これ、母上が『しょうくんに渡して』って」 「あら、ありがと」  母親が名前を呼ぶ分にはいいらしい。弟から何やらタッパーを受け取った繭は、中に入っていた煮豆をつまむ。甘くておいしい。こんな生き方を選んだ繭は、父親に帰ってくるなと言い渡されていたので家に顔を出すことはないが、母は別に怒っていないらしく、たまに弟経由で色々渡してくる。むしろ娘が欲しかった母は、綺麗になった繭を受け入れてさえいた。 「親父のいない時にでも顔見せてやれば?」 「そうね……やだ、尚志。またピアス増やしたの? もうやめなさいよ。そんなに穴だらけにして、馬鹿みたい」  横から見ていた繭が、尚志の耳を見て新しくトラガスが開いているのに気づく。 「光が開けたがらないから、自分の耳に開けたんだ。ほんとはあいつに開けたかったんだけど、痛そうだから嫌だと」  と言いながらも、心の中では、他のとこに開けてやったからまあいいけど、なんて思っていた。  やっと光の体を自分の思い通りに出来たので、これからじっくりことこと惚れさせるつもりではあるのだが、どうにもユイという別の人格が形成されてしまったらしく、少し面倒なことになっている。ユイは尚志ではなく悠司を好きだというから、これがどうしたものか。  今夜も多分、ユイが出てきていて悠司のところにいるのだ。それが苛立たしい。何故光を誰かとシェアしなければならないのだろう。別の男のところにいるのかと思うと、無性に独占欲が沸いてきて、心を乱す。悠司はそうは思わないのだろうか。  可愛いからって女装なんてさせなければ良かった。と後悔するが、もう遅い。  しかし、会ったことはないが悠司とはどういう男なのだろう? どうやらシスコンなのだという噂を聞いたが、そんな男が(ユイ)とうまくやってゆけるのだろうか。  うまくやってもらわなくて、大いに結構だ。しかし、気になる事項ではあった。 「光なんて呼んじゃってさ。見た目と違って可愛らしいんだからなあ、尚志は」  繭に指摘されて、尚志はぎらっと睨み付ける。いちいちうるさいのだ、この兄貴は。おせっかいだし、胸なんか作ってしまうし。いいじゃないか、名前で呼んだって。  ……いつか、  ユイはいなくなるような気がする。  光の中に生まれた女は、ずっとずっといるわけではないような気がする。  不確かな存在を、悠司がどのように扱うのか。会う必要などないと思う反面、一度会って話してみたいと、尚志は心のどこかで望んでいた。そいつがどんな人間なのか、知りたい。それによって今後ユイがどうなってゆくのか、見えるかもしれない。  ユイの分離が総合的に見て光にとっていいことなのか、悪いことなのか、尚志にはわからない。ただ、もしそれで、光がユイに取って代わられることが起こるのであれば……いや、そんなことは起こらない。起こってはならない。  所詮は心の歪み。光の中に生じた闇だ。  他の誰でもない、自分が追い詰めたのだ。  そう思ったが、それは誰にも告げたりはしない。言ってどうなるというのだ。  空になったグラスに残る氷が、微かな音を立てて崩れ、やがて水になった。

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