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第7話 トライアングル

 診察時間にだいぶ間があるので、スタッフはまだ誰も来ていない。今は入院中の患畜もいないので、病院内はひどく静かだ。悠司は自動ドアの前のロールカーテンを半分だけ下げて、白衣に着替え、誰もいない待合室に一人腰掛けて待っていた。  駐車場に見慣れた車が入ってくるのを目で追って、知らない男が運転席にいるのを確認する。助手席から光が降りてきて、その手にはキャリーが下げられていた。運転席の男も、そのあとをついてこようとして、光に何か言われていた。推察するに、車で待ってろ、みたいなことを言ってるのだろう。男は不本意そうな顔をして、そのまま運転席に居残った。  あれが例の柴田くんかな、と悠司は微妙に眉を寄せた。  耳やら顔やらにピアスがごろごろついていて目立つ男だ。体つきはここからはよく確認出来なかったが、しっかりしていそうな雰囲気が見て取れる。シャープな顔立ちは、どこかで見た誰かに似ていると思った。考えて、ああ……(まゆ)だ、と思い至る。  繭はユイと初めて出会った店で働いていて、悠司の友人である木邑惟人(きむらのぶと)の恋人だった。そういえば尚志は繭の弟なのだと、ユイから聞いたことがある。繭は女の恰好をしているから一見似ているとは思えなかったが、多分化粧を落とせばベースは似ているのだろう。纏っている雰囲気こそ違えど、結局は兄弟だった。  血というのはなかなか隠せないのだ、とふと思って、悠司は苦い顔になる。軽く頭を振り、出迎える為に外に出た。 「宇佐見くん、どうぞ。……そちらの彼も、良かったら」  悠司はキャリーからうさぎのユイを引っ張り出し、軽々と抱き上げる。慣れた手つきを光がじっと見つめている。 「コツとか……あるんですか?」 「え? 何が?」 「えっと、僕……なかなかユイを上手に扱うことが出来なくて、膝の上に抱っこ出来たりしたら幸せなのに……なんて」  さっきまで光は不安で一杯だというのが丸わかりだったのだが、悠司の顔を見たら少し緩和されたのかもしれない。可愛いことを言っているなと思ったら、ふと笑みがこぼれた。悠司はユイの赤く染まった前足の指を広げ、被毛を掻き分け患部を観察しながら呟く。 「コツねえ……ああ、爪が一本折れてるね」 「え……大丈夫ですか?」 「血止めしとくからね。今日は一応安静に。まあ、大丈夫だよ。そんなに心配しなくても」  穏やかに笑んだ悠司に、光の顔がほっと弛む。そして、時間外に頼ってしまったことに対して悪かったなと気づいたらしい。 「すみません、診察時間じゃないのに」  しゅんとした光に、悠司は一瞬目を見開き、しかしすぐに普通の顔に戻った。  可愛い、と思ってしまった。  今彼はユイじゃないのに可愛いだなんて、どうして思ったんだろう。悠司は自分の思考に幾分戸惑いを感じずにはいられなかった。  多分、同じ顔だからだ。  人格が違っても、所詮は同じ人間だ。 「先生?」  不思議そうに悠司を見つめる光に我に返る。そして傍で診察を見ていたもう一人の男……柴田尚志もまた、こちらを窺っているのに気づいた。何か言いたそうだ。  何か、というのは多分光のことだろう。向こうもこちらの事情は知っているに違いないから、悠司のことは正直邪魔に思っているはずだ。悠司自身、尚志のことは少し――かなり、邪魔だった。しかしそれを顔に出すことはしない。 「宇佐見くんのお友達?」  わざとにっこり笑って、悠司は目の前の男を牽制する。ぴく、と尚志の眉が動いた。  どう答えるのかと思って見ていたら、尚志は光の背後から手を回し、ぎゅうっと抱き締めると、こいつは俺のだ、と言わんばかりの視線を投げかけ、 「柴田です」  とだけ言った。  強気だ。  近くで見ると、その素晴らしい肉体に気圧されそうになる。悠司より若干背も高い。相手を威嚇するようなピアス。こちらの心の奥まで射抜くような鋭い視線。光はこの逞しい男に抱かれて、ユイが見せたがらない痕跡を残されているのだと思ったら……何やら苛立った。光の首筋に、昨日はなかった新しいキスマークを見つけ、更に苛立ちは募る。  確かにユイはいたのに。  朝になったら消えてしまった。そして別の男に、こうやって抱き締められている。どうして自分だけのものじゃないんだろう。 (――小百合と一緒)  突如聞こえた心の声に、悠司は内心ぎょっとした。  何故小百合が出てくるのか。自分は小百合のことは好きではない。むしろ憎んでさえいる。状況が似ていたから、思い出したに過ぎない。父と自分の間にいた小百合。そのことを、思い出しただけこと。他愛ない理由だ。  ユイは小百合とは違う。まるで生きる世界が違う。  悠司の前でべたべたとまとわりつかれた光は、困ったように彼の腕を振りほどこうとしていた。だが、見るからにパワー不足でそれは叶わない。光の頭の上に顎を乗せるようにされて、完璧にホールド状態だ。 「柴田! 何やってんだよ馬鹿!」 「トーテムポール」 「意味わかんないからっ」  尚志の行動を、実に子供じみていると思った。しかし、素直にそういう感情を表せるというのは、羨ましくさえある。自分には、多分出来ない。  しばらく攻防戦が続いたが、光に足を踏みつけられたのを機に、尚志は渋々その腕を解いた。 「せっ先生、ごめんなさい。こいつほんと馬鹿で!」  なんだか必死な光に、嫉妬半分呆れ半分で見ていた悠司は苦笑した。 「柴田くんは、面白いね」  面白い、の一言で片付けられてしまった尚志は、顔をむっと歪めたが、それ以上何も言わなかった。  ……尚志に、嫉妬してどうするのだ。  彼はあくまでも光を選び、悠司はユイを選んだのだから。  理性はそう答えを出すものの、感情は簡単には行かなかった。恐らくそれは、尚志も同じだっただろう。  ユイに会いたい。ずっと傍にいて欲しい。  悠司だけを見てくれる彼女に。

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