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第9話 欲しかったもの
水曜の夕方、鳴ったチャイムに玄関を開けると、そこには光がちょこんと立っていた。悠司は予想と違う姿に、内心首を傾げた。
「……どうしたの宇佐見くん」
水曜は、ユイが来ることになっていた。病院が休診日の為それに合わせて光がバイトを休んでくれているのだが、目の前にいるのはTシャツにパンツスタイルの光で、来るのも幾分早い。予想ではあと30分は後だったのだが、どうしたのだろう。
「ごめんなさい、あの、学校から直接来ちゃって……、光のままなんだけど」
言われてみて、はたと気づく。
これはユイだ。
化粧もしていないし、女物の服も着ていないが、表情や喋り方が違う。いつもは女の子の恰好をして訪れるのに、今日はどうしたのだろう。立ち話もなんなので、とりあえずユイを中に入れた。
「神崎さんに早く会いたくて、そのまま来ちゃったの。ごめんね、こんな恰好で」
申し訳なさそうな顔で悠司に謝罪する、光の形をしたユイ。いじらしく感じてしまい、悠司は無意識に微笑んだ。
「着替えてもいい? あ、その前に鏡、借りるね。あっ、ていうか汗臭い! シャ、シャワー……借ります。……やっぱり一度帰ってからにすれば良かったよぅ」
ユイは可愛らしく後悔を言葉を呟きながら、洗面所の方に行ってしまった。
彼女は(というより光が)将来メイクアップアーティストになりたいらしくて、勉強中の今でもかなり上手い。
悠司の前では綺麗にしていたい彼女が、それより優先して早めに会いに来てくれたのだと思うと、とても嬉しかった。
何着か、ユイの服が悠司のクローゼットの中に下がっていた。シャワーを使っている間にそれを傍に出してやる。さすがに下着は男物だが、それは仕方ないだろう。
服は一緒に店に行って、買ってやったものだ。董子に対してもそうだが、悠司が何かを買ってあげるのは趣味のようなものだった。浪費癖があるわけではないが、好ましく思っている対象には、つい散財してしまう。今日も一つ、ユイにプレゼントを買ってしまった。それはユイが望んでいたものだ。
洗面所の方でドライヤーの音が聞こえる。出してやった着替えは、ユイが好むロリータ系のふわふわした服だ。彼女が慌しく身支度をしている最中、悠司はコーヒーを二人分淹れた。ソファに腰掛けて煙草に火を点け、手持ち無沙汰でぼんやり吸っていると、すっかり身も心もユイになった彼女が、テーブルの上に置いてあった物を見つけ、視線がそこにぴたりと止まった。
「ねえ、神崎さん。これ」
「ああ、それ。どうだろう、気に入るといいんだけど」
「待って待って、今……」
ユイは嬉しそうにそれを持って、急いで鏡の前に立つ。緩やかな巻き髪のウィッグ。それを小さな頭の上に被せてみる。
前に話していた時に、髪を伸ばしたいけど光は駄目だって言うから、と残念がっていたユイ。だから悠司は今日の昼間、似合いそうなものを見繕ってきた。
「似合う?」
くるりとこちらを振り向いたユイの愛らしさに、悠司は顔が緩んだ。思ったとおり、とても愛くるしい。
「すごく可愛いよ」
「ユイが言ってたこと、覚えてたんだ。嬉しい」
本当に嬉しそうに言って、ユイは悠司が座っている所まで小走りで来ると、きゅうと抱きついた。
ユイはとても可愛い。どこでリサーチしたものか、その行動がいちいち悠司のツボに入る。先日光と病院で会って話したが、やはり彼とユイは明らかに別人格なのだ。光は確かに可愛いが、ユイのような行動を悠司にはけして取らない。呼び方も違う。光は自分を「先生」と呼ぶ。
ふと、ぺたりと悠司にくっついたユイの、首筋に目が行った。三日前、尚志がつけたであろうキスマークを発見したのだが、それも若干薄れてきていた。
この前感じてしまった嫉妬。
尚志の存在。
この痕は、彼なりの悠司への牽制なのだろう。事実ユイはそれを気にして、悠司を拒んだ。大成功だ。だけど、そんなの気にしていたらいつになっても前進出来ない。
そのまま薄れた痕の上に、ゆっくりくちづけた。
「か、神崎さん……そこは、あの」
困惑したユイに構わず、強く吸い上げた。尚志の痕跡など消してしまえ。その上に自分の痕をつけるのだ。
「痛いよ……」
顔を上げると、恥ずかしそうに顔を朱に染めたユイが、悠司を見つめていた。
「ユイ」
「……なぁに、神崎さん」
ユイの瞳に、自分が映っている。
自分だけを見つめる瞳。悠司だけのユイ。大切な、大切なユイ。可愛いユイ。
「俺のこと、悠司って呼べる?」
ささやかな対抗心。先日光は尚志のことは苗字で呼んでいた。だから自分のことは、ぜひとも名前で呼ばせたかった。尚志に勝った気になれる。こんなことで。しかしこれは大きな問題だ。
ユイに、呼ばれたい。神崎じゃなく悠司と呼ばせたい。
彼女はしばらくじっと悠司を量るように見つめていたが、やがてにっこりと笑った。
「悠司」
可愛い小さな唇が、自分の名を甘く囁いた。
(……やばい)
可愛すぎる。
なんて素直なんだろう。
たった今自分を呼んだその唇に柔らかいキスを落として、ユイの細い腰に手をかけ引き寄せる。悠司が次にどう行動するか察した彼女は、ふと身を硬くした。
怖がっている。
そんな仕草も悠司にはツボに入る。妙に積極的な女より、恥じらいを持った女の方が好きだ。それはきっと小百合が、すごくそういうことに積極的な女だったからだ。ユイは小百合とは違う。小百合が肉食獣なら、ユイは小さな草食動物。食べられやしないかと、怯えている。それが可愛い。
「ユイ……もし、体を見られるのが嫌だって言うのなら」
「……え……あ」
「眼鏡外したら結構ぼやけるし、暗くすれば大丈夫だよ」
「でも……」
ユイの顔がみるみる赤くなるのがわかる。逃げ場をどんどんなくして、困っている。もう一押しだろうか。
「じゃあ、服着たままでもいいよ。女の子のユイのまま、俺の――」
いよいよ逃げ場をなくしたユイが、悠司のシャツを、ぎゅうと握り締めた。震えている。どうしてこんなに、いとおしく感じる存在があるだろう。
「俺のものになって」
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