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第11話 一時間後の約束

 ベッドにユイを待たせ、玄関を開けると董子が立っていた。 良かった。チャイムを無視していたら、合鍵を持っている董子は入ってきたかもしれない。最中に邪魔が入るのは、非常に問題だ。そんなところを董子に見られたくはないし、董子も困るだろう。  董子は少し戸惑ったような顔をして、悠司をじっと見上げていた。 「――どうした?」 「突然ごめん。ちょっと話が」 「悪い、今取り込み中なんだ。手短に頼む」  董子はうろうろと視線を彷徨わせて、どうしようかと迷っているふうだった。一体なんだというのだろう。せかすような兄の視線に、董子は遠慮がちに呟いた。 「じゃあ、あとにする」  ……なんとなく、  嫌な感じ。 「いつだったら時間取れる?」  董子がどんな話を持ち出すのか、どうにも血の気が引く思いだった。  まさか、小百合があのことを告げたのだろうか。どんなことがあろうとも、成人するまでは言わないと約束したはずなのに。 (約束なんてあの女が守るだろうか)  むしろ一生知らなくても良いことだ。  しかしこういう気持ちの悪いものを、いつまでも長引かせるわけにも行くまい。話さざるを得ないなら、引き伸ばすより早い方がいい。 「一時間くらい後だったら。手が空いたら電話する」  董子はまた来ると言って、どこかに行ってしまった。多分近場のカフェか何かで時間を潰すつもりなのだろう。  一時間後に何を言われるのか、それを考えると、気分が悪くなった。  それでもユイを優先した自分。 「……俺はケダモノか。単にやりたいだけなんじゃないか」  自嘲気味の呟きに、玄関先でじっとしていたペルシャ猫のリリが、しっぽだけで反応した。  ――リリ。  実は自分は自虐趣味があるんじゃないかと、この名前を呼ぶたびに思う。嫌いな女の名前を付けられた猫と暮らすなんて、どうかしている。董子も董子だ。何故自分の母親の名前など付けるだろう。  仲良くなって欲しいのだろう、きっと。  それが無理なことだなんて、理解していないのだ。どうして小百合と自分の仲がこんなにこじれているのか、知らないのだから。  父と小百合が結婚して、董子が生まれてからも何度かそういうことになった。さすがに拒んだが、小百合は強引だった。自分の目的を達するまで、彼女は執拗だった。父がいつも傍にいれば良かったのだろうが……そうも行かなかった。  義母となり董子の母となった小百合は、一向にその自覚が芽生えることはなくて、父も相変わらず他に恋人を作ったりしていたから、結局は意味のないことだったのだ。きっと小百合は「結婚」がしたかったのであり、「父と結婚」したかったのではない。そんな気がする。  だったらそんなに悠司に執着してくれなくても良かったのに、と今更ながらに過去を掘り起こす。  小百合に執着されるのは、怖い。  あの女の目が、嫌い。冷たい手も。  董子の手も、冷たかった。嫌なところが似てしまったものだ。性格が似なくて本当に良かった。親がだらしないと、子供がしっかりするものなのだろう。すさんだ家庭で育ったわりに、董子はまっすぐに育った方だと思う。少なくとも、悠司が見る分には、影がなくて、明るくいい子だった。  ユイの前で悠司は何事もなかったかのように仮面を被る。 「董子だったよ」 「董子ちゃん……どうしたの?」  無表情を装った悠司に、それでもユイは何か言いたげな視線を向けていたが、彼女はあまり余計なことは口にしない。悠司が聞いて欲しくないことには、触れない。 「つまらないことだ」  董子の話はこれで終わり。  ユイのことだけ、考えよう。 「――さて、うさぎさん」  シャツを脱いで、服を着たままのユイに触れた。ボタンを外したところからユイのきめ細かい肌を撫でると、ほんの少しびくりとした。可愛い反応。  触れた指先に、彼女の手がそっと重なる。心地よい、ユイの体温。悠司より少し体温が高くて、あまり大きくない手。短く整えられた爪。悠司はこの手が好きだった。  ユイの手が、きゅっと指先を握った。 「ユイは温かいね」  そのまま彼女の胸に顔をうずめ、抱き締める。いい匂い。柔らかい体。またどきどきしてる。……小動物の鼓動。  スカートの中に手を入れ、太腿から脚の間を伝うと、ユイが本当は女の子ではないことがよくわかる。ユイはとても恥ずかしそうに、 「そこは触らないで……」  消え入りそうに囁いた。 「どうして? 大丈夫だよ。ユイのだから」 「ユイのじゃないもん……」  泣きそうな顔で否定する彼女。ユイにとって光の体はやはり不本意なのだろうか。だけど、ウィッグみたいに取り替えが利くものではないし、言葉では否定してみても、悠司の指先にちゃんと反応している。 「本当は触られるの、好きだろう?」  潤んだ瞳で悠司を見つめるユイが、微かに首を横に振った。  恥ずかしさに耐え切れなくなったのか、大きな瞳から涙が落ちた。顔を近づけ、その涙を舐め取る。  ユイの表情は、自分で自分のことが理解出来ていないみたいだった。何も知らない。尚志に抱かれてさえ、無垢。征服欲を掻きたてられる彼女。 「もっと、ユイが恥ずかしくなることをしてあげる」  ……ケダモノか、俺は。  先ほどの自嘲が少しだけ頭を過ぎったが、悠司はそれを無視することにした。

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