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第3話 延期された日程
翌日の昼間、悠司が光を近隣の駅まで迎えに来る約束だった。そこから神崎家で所有する別荘へ遊びに行く予定だったのだが、その約束は残念ながら延長される羽目になった。別荘なんて名のつく物に行ったことのない光は、他人事ならぬユイ事ながら、ちょっとうきうきしていた……のに。
どうしても、と聞かない愛莉にせがまれて、もう少しだけ実家にいることになってしまったのだ。どうにも愛莉に強く出られない光は、仕方なく連絡を入れてみたら、
「久しぶりに帰ったんだろう? 二、三日ゆっくりしておいで。俺の方は構わないよ」
悠司はあっさりと、電話の向こう側で穏やかに笑った。
彼は光自身と付き合っているわけではない。ユイモードで電話をしてあげれば良かったが、何故だかユイは光の奥から頑なに出てこようとしなかった。
恋人との約束を延ばされて、怒っているのだろうか。
(まあ……いいや)
相手もいいと言っているのだし、久しぶりなのは本当だった。少しくらい愛莉に付き合ってやっても良い。
「あ、そうだ」
二、三日もゆっくりするのであれば、地元の友人と会う時間が作れるかもしれない。悠司との電話を切ったあと、光はふと思い立ち、電話帳のリストをスクロールし始める。
(んーと……)
高校を卒業してから、実家から離れた専門学校へ通う為に家を出てしまったので、結構地元の友人とは疎遠になってしまっているのだが、誰か捕まるだろうか。
悠司との会話を家族に聞かれるのは、後々面倒なことになるかもしれないと、庭に出て喋っていたのだが、友人との会話ならまあいいだろう。光は玄関をくぐり、リビングへ向かった。
「あ、宇佐見だけど。……うん、久しぶり」
仲の良かった友人にコールしてみる。出席番号が近くて仲の良かった遠藤くんが何度目かのコールで、出てくれた。
「……そう。実家帰ってきてるから、久々にどうかなと思って」
電話の向こうで、明るい声が聞こえてきたので光はほっとした。
遠藤朔 は高校の一年と三年の時に光と同じクラスだった。プラグラインという名前のバンドを組んでいて、光を合同ライブに誘った人物。つまり尚志と出会うきっかけを作ってくれたような人物でもあった。今も大学に通いながら、地道に活動を続けている。たまに地元でやるライブ告知のハガキが送られてきていたのだが、生憎時間がなくて帰ってこられなかったので、それが心苦しかった。
久しぶりでも、以前と変わらず接してくれて良かった。
明日の午前中に待ち合わせる約束をして、光はスマートフォンを食事の並んだテーブルに置いた。
「そう言えば光、昨日真弥 ちゃんが帰ってきてたのよ」
母が光の分の夕食を出してくれながら、ふと思い出したように呟いた。大事な末の息子が帰ってくるということで、光の好きな物を用意してくれたようだったが、夕食の時間に間に合わなかった光を待っていてくれることはなく、寂しい一人の食卓だ。愛莉が隣の椅子で脚をぷらぷらとさせながら、テレビの画面を見つめている。
「なんだ、もうちょっと早く帰ってくれば会えたな」
真弥というのは、上の姉だ。
どうせなら会いたかった。光には二人の姉がいて、真弥は昨年嫁いで家を出た。結婚する際にすったもんだがあったせいか、何かないとあまり顔を見せないようだ。
「赤ちゃんがねぇ、出来たって真弥ちゃん言ってた」
愛莉が横から口を挟んだ。
「ふうん、そうなんだ」
海老フライをもごもごしながら返事をしたら、お行儀悪い、と母から注意された。
なんにせよめでたいことだ。母にしてみても、初孫になるのだから嬉しいに違いない。父は真弥の結婚に猛反対していたから、もしかしたら複雑な心境かもしれないが、実際に生まれてしまったらきっと変化するだろう。そう願う。
「いつ生まれるって?」
「愛莉は知らない」
つまらなそうに答えた愛莉は、甥だか姪が生まれることに対し、特に嬉しそうには見えなかった。あまりぴんと来ていないのかもしれなかった。母が来年の二月頃よ、と補足してくれた。
「真弥ちゃんて絶対、趣味悪い」
「愛莉、そういうこと言わないの」
「だってお母さん、真弥ちゃんの旦那さん、お父さんと同い年ってひどくない? ロリコン」
嫌悪感を滲ませる愛莉の気持ちも、わからなくはない。愛莉と光は年子だが、真弥も更に二歳離れているだけだった。それが自分の父親と同い年の男とどうこうなることが、愛莉には理解出来ないようだ。
それでなくとも彼女は、男が嫌いなのだ。輪をかけて嫌悪感が増してしまうのだろう。しかしロリコンはひどいと思う。光は苦笑いして、横にいる愛莉に向き直る。
「もう二十歳過ぎてるんだから、ロリコンじゃないでしょ」
「ロリコンだよ。だって真弥ちゃん、十代で通るもん」
それは愛莉にしても同じことだった。
もしも愛莉が、光のしていることを知ったらどう思うだろう。ロリータのユイが、十歳以上も年上の男と付き合っているなんてことが知れたら。
女の子の恰好をして、男に抱かれることの違和感。初めて悠司に抱かれた時、ユイが男である光の体を見られるのを嫌がったせいで、いまだに悠司とする時は服を着たままだ。
まっさらな裸を、見られたことがまだない。
倒錯的だと思う。
けれどユイの為に、この体をどうこうする気もなかった。たとえば尚志の兄のように、恋人の為に女になろうとまでは、思えなかった。いくらユイの心が女の子であるとは言え、ベースである自分は男でしかない。
(それなのに、相手も男……って、これじゃゲイじゃん)
今まであまり考えないようにしていたが、自分が今身を置いている立場というのは、世間一般から見たらただの変態ではないか、と思ったら光は悲しくなった。
昨日は昨日で、もう一人の相手である尚志にこの体を開いた。一週間くらい留守にすると言ったら、食いだめとばかりにたくさん気持ちいいことをされてしまった。
(……昨日の柴田、すごかったし)
留守の間、尚志を忘れないようにする為か、これでもかというくらい、目一杯抱かれた。悠司との約束を秘密にしている後ろめたさもあって、結構いいなりになってしまった気がする。その時のことをふと思い出して、体の奥が熱くなる。
男に抱かれるのが好きな体に、なってしまった。
誰が悪いんだろう。
誰も悪くないんだろう。
悪いのだとすれば、それは、
(多分、僕だ)
はっきり出来ない自分が、悪いのだ。
内心ため息をついて、やはり愛莉には言うことは出来ないと結論を出した。言うべきではなかった。
夕食が終わる頃、父が「帰ってたのか、光」と風呂上がりの上気した顔でのこのこと現れた。父の前では真弥の話題がぱたりと止んだ。
これも言うべきではないのだろう。少なくとも今は。
自分の部屋に戻り、ユイをケージから出して遊ばせていたら、またしても愛莉がノックもなしにやってきた。
「ユーイちゃん、遊ぼう」
愛莉にも慣れているうさぎのユイは、足元をぐるぐると回り始める。
「光、お風呂入っちゃいなさいってお母さんが」
「愛莉ちゃんは?」
「さっき入ったから」
聞くまでもなく、愛莉の髪は少し湿っていて、化粧を落とし、パジャマに着替えてあった。パジャマと言っても下だけで、上は先ほどとは違うキャミソールにノーブラという恰好だ。光を異性として見ていないので、こんな恰好が出来るのだろうが、姉弟とは言えやはり目に毒だ。思わず視線を逸らす。
「僕はもうちょっとしたらでいいよ。ユイ見てないと」
「いいよ、愛莉が見ててあげるから……あ、コテンした」
愛莉の足と足の間で、ユイがひっくり返って白いおなかを見せていた。今夜のユイはとても機嫌が良いらしい。昼間じっとして長距離移動したせいか、動きたくて仕方ないのだろうか。ひっくり返ったあとすぐに起き上がって、また愛莉の周りを走り始める。うさぎは、飼ったことのない人にはびっくりされるような勢いで寝転がることがままある。ユイも例外ではない。それはとても可愛らしい仕草だ。
「かーわいい ねえ光、ユイちょうだい」
「駄目に決まってるだろ」
「じゃあ、光が戻ってきなよぉ。電車でも通えるでしょ」
ユイをかまいながら、甘えた声で提案する愛莉に、光は困った顔になる。
この話題は、好きではない。
実家に帰ってくるたびに、愛莉からそれとなく提案されてしまう。うんとは言わない。光が承諾しないことも多分、愛莉はわかっている。わかっているのに、言う。困らせる。
「……じゃあ、お風呂入ってくるから、ユイ見てて」
「うん。いってらっしゃい」
戻ってこいという提案に答えないで別のことを言った弟に、愛莉はにこりと微笑んだ。
ユイがまた、コテンした。
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