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第5話 せめて良い夢を

 自己嫌悪しながら部屋に戻ると、愛莉が音楽をかけながら、気持ち良さそうに転がっているユイを撫でていた。 「お風呂長いよぉ。何してたの?」  開口一番言われた文句に、光は内心びくりとする。見透かされた気がして、顔に少し血が昇ってしまう。  よもや一人でしていたなんて言えるわけもないし、なんとか言い訳をしようと考えていたら、 「さてはお風呂で寝てたでしょ」  勝手に話を進めてくれたので、光はそれに乗ることにした。 「うん、そぉ、おかげでのぼせちゃって……」  顔が赤いのも、これでごまかせるだろうか。しかしこれ以上この話題は避けたかったので、光は別の話題を振った。 「これ、誰の曲?」  聞いたことがない曲だった。複数の少年の歌声と、ポップなメロディ。光の手持ちではない。愛莉はユイから手を離し、オーディオの傍に転がしたCDジャケットをこちらに向けた。  どうやら美少年ばかりを集めたアイドルグループのようだ。光は好んで聞いたりしない。思わず苦笑いが出る。 「愛莉ちゃん、そういうの好きだったね。いわゆる可愛い男の子……っていうの」  ごつい男は嫌いだという愛莉は、昔からこういった系統のアイドルばかりを好んで聞く。対して光は、ちょっとマイナーというかマニアックな音楽趣味と言われることもあるので、男性アイドルの曲など、あまり興味も湧かなかった。 「柴田とか、好きそう……」  ジャケットを眺めながら無意識に出た独り言に、愛莉は少し首をかしげた。 「柴田? ってだあれ?」 「――あ、友達なんだけど」 「ふうん。その子、きっと愛莉と趣味が合いそうだね。お友達って、学校の女の子?」  こういった系統が好きそう、という言葉から、勝手に「柴田さんは女の子」という変換をしているようだ。光はなんと答えたものか困ってしまったが、会いたいと言われない限り柴田尚志が男であるなんて、言う必要もなかった。曖昧に笑って適当に濁す。 「そう、学校の……」  肉体関係のある男友達、なんて知ったら、嫌悪感を抱かれる。  言葉には気をつけなければ。  実際愛莉が尚志なんかに会ったらきっと、近寄りもしないで煙たがるだろう。外見で判断しないで、喋ってみれば悪い奴じゃないってわかるだろうに、そんな風に避けていたら人脈が狭まってしまうのではないだろうか。ちょっと余計なお世話かもしれないが、心配してしまう。 「愛莉ちゃんはこのグループの、どの人が好きなの?」 「この中ではね、愛莉、アオイくんが一番好きだよ」 「アオイくん……」  どこかで聞いた名前だった。  まあそこそこ売れているアイドルグループだったし、名前くらい聞いたことがあるのかもしれない。けれどそういうことではなく、何故かとても心に引っかかる響きだった。  アオイくんがジャケットの中のどの人物なのか、光にはわからない。もやもやとしたものがあっという間に頭を占領し、どうしてか心拍数がいきなり上がった。  ちらりと愛莉を見る。  見た先には、愛莉の視線が意味ありげに光へ向いていた。単なるお気に入りのアイドルの名前を告げるのとは違う、裏に何かありそうな視線だった。 「アオイ」 「……愛莉ちゃ……」 「――この人、ね。アオイくん。可愛いでしょ」  愛莉はにこっとして、改めてジャケットの中の人物を指し示した。 「まあ、愛莉が一番可愛いのは、光だけどね」  意味ありげな視線はすぐに消え失せ、身内贔屓な言葉を口にしてジャケットを端の方に寄せる。 「眠くなっちゃったな。光、一緒に寝よ」  本当に一緒に寝る気のようだ。  困った姉だ。夏とは言えそんなに肌を露出した恰好で、彼氏でもない年頃の男と普通ベッドを共にするだろうか。  けれど愛莉がさっきまで流れていた音楽を消して、さっさと光のベッドの中に潜り込んでしまったので、仕方なくうさぎのユイをケージに戻し、部屋の照明を落とした。  そんなに広いわけでもないベッドに、姉と二人眠ることにした。運転で疲れていたこともあって、程なく光は眠りに落ちた。 (……アオイ……)  声が聞こえた気がした。  眠くてぼんやりとしか聞こえない声は、確かに光に向けて、アオイ、と呼びかけた気がした。 (愛莉、ずっといい子で待ってたよ、アオイの言うとおり)  意味がわからない。  愛莉の手が、眠りの中にいる光の方に伸びた。  ぷっくりとデコレーションした、可愛いネイルの指先。それが光の体にそっと触れる。弟に対しての触れ方とは別の、何か。  ……アオイ。  大好きなアオイ。  それは誰の名前だったろう。  聞いたことのある、聞きたくなかった名前。  プライマリ、セカンダリ。  誰が言った科白だったか光は覚えていない。  時々途中から記憶が飛んでいることが、これまでにもあった。  女の子のユイは怯えて出てこない。光の心の隅っこで震えている。 「セカンダリは、光、おまえの方だよ」  光の顔をした、光がすることのない表情をした男がこちらを見て、意地の悪い笑みを向ける。 (ああ……そういうこと)  プライマリはおまえだというのか。  愛莉がアオイと呼んだ誰か。光の中に隠れていたのは、ユイだけではなかったのか。 「しばらくそこで寝てろ」  にやりと酷薄な表情を浮かべ、彼は愛莉の首筋に優しく口づける。 (やめろ)  それは姉だ。血の繋がった大切な実の姉だ。一体、何をするのか。  アオイの手が、愛莉のキャミソールに触れて、柔らかな体をなぞっている。愛莉はまるで抵抗もせず、されるがままだ。その表情に戸惑いや嫌悪感など一切なく、ずっと会えなかった大好きな人にやっと会えたかのような、幸せそうな女の顔に見えた。 (僕の覚えていない、初めての)  女の子の感触、それは、 (まさか、愛莉ちゃん……?)  そんなことがあっていいのだろうか。光は混乱する。  いつの間に手足に頑丈な鎖が繋がれていて、光は身動きが取れない。  自分の体なのに。  こんな風に自由にならないなんて、恐怖以外の何者でもない。 「寝てろっつってんだろ」  アオイが乱暴に言うと、頭上から鳥篭のような形状の牢獄が落ちてきた。がしゃん、と大きな音がして、光はあっけなくその中に閉じ込められる。  何も見えない闇の中で、アオイが嗤う。 「――せめて良い夢を」  自分はもう既に、夢の中にいるのだろうか。  ユイはどうしただろうか。  もしこのまま、ここから出られなかったらどうなるのだろう。悠司とした約束を楽しみにしていたのに。可哀想なことをしてしまった。  本当の僕は、一体誰なんだろう。  本当の僕は、一体どこにいるんだろう。  とても気持ちの悪い、不気味な静けさが光を飲み込んだ。

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