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第6話 微妙に噛み合わない会話

 朝の陽光が、カーテンの隙間から室内に入ってくる。光はぼんやりと目を開けて、壁にかかった時計で時間を確認する。  七時を少し過ぎたところだ。ベッドには既に愛莉の姿はない。うさぎのユイが、光の起きた気配に、ケージの中から鼻をすんすんさせていた。 「あったま、痛い……」  なんだかやけに頭が重たい感じがして、ぶるぶると左右に振る。二日酔いってこんな感じなんだろうか、と、飲酒をしたことのない光はなんとなく想像してみる。まさか風邪をひいたわけでもないだろうが、枕が変わったからか、なんとなく体調がすぐれない。  なんだかよく眠れなかった気がする。夜中目が覚めたりとか、そういうことではないのだが、どうしてか熟睡出来なかったような感覚。  電気を消して、すぐに眠ってしまったと思うのだが、いまいち休んだという意識が薄い。 「ユイ、おはよ……」  パジャマのボタンを外しながらもそもそ起きてきた光に、ユイがぴょこんぴょこんと跳ねている。空腹なのだろう。ごはん皿が空っぽだったので、すぐにペレットを補充してやる。そういえば牧草がだいぶ目減りしている。持ってくる量が少なかったかと、光は反省した。今日買ってこよう。 「あ、朔ちゃんと約束……」  昨日自分から連絡して、今日の午前中に会う約束をしていたことを思い出す。着替えて顔を洗い、リビングへ行くと愛莉が朝食を摂っているところだった。 「愛莉ちゃん、おはよ」  頭痛を隠してにっこり笑った光に、愛莉は一瞬何か躊躇したように口を開きかけたが、すぐにいつもどおりの態度に戻った。 「おはよ、光。――ね、光、ごめん。愛莉ねえ……」 「――え、何」  突如言葉を切った愛莉に、光はなんだか嫌な予感がして、朝食を持ってくるのに台所に向かおうとしていた足を止めた。 「光の荷物、見たんだけど。黒ロリの服、あれって」 「………………見たの……」  勝手に人の荷物を開けないで欲しかった。光はどういうふうに話を持っていこうかと、起きたばかりの頭で悩んだ。ちょっと汗が出てきた。 「愛莉は、甘ロリの方が好きかなーって」 「うん……そうだよね……ん?」 「愛莉に着せようとして、持ってきたんでしょ?」 「え? あ、」 「光にコーデされるの、嫌いじゃないけど。愛莉、黒はあんまり」  なんだか話の流れが、光の思っていたのと違う方向に行った。どうやら愛莉は、自分に着せる為に光がロリータ服を持ってきたと勘違いしたらしい。ちょっとほっとして、内心胸を撫で下ろす。 「そっか、ごめん……そうだよね。愛莉ちゃん、黒いのは着ないよね」  愛莉の言うとおり、彼女はあまり黒い服は好んで着ている印象がない。だがあれはユイが悠司の前で着る為に持ってきた服だった。勘違いさせたままでも良かった。 「今度、愛莉ちゃんの好きそうなの、ちゃんと選ぶから。あっ、そうだ。今日これから僕出かけちゃうけど、あとで帰ってきてからでいいんで、愛莉ちゃんでメイクの練習させてくれない?」 「うん、いいよぉ」  ヨーグルトを口に入れながら、愛莉がもごもごと返事をした。  話を逸らすのに、成功した。  愛莉を煙に巻き家を出ると、光はバスに少しの間乗車して、待ち合わせしたコーヒー店に向かった。しばらく会っていない友人は、変わっていないだろうかとしばし思いを馳せる。  何を話そうかなんて、まるで考えていない。会えば多分、高校時代に戻れるような気がしたから。  思えば実家を出てメイクの勉強を始めてからこれまで、色々と自分の身の回りには変化があった。  可愛いとちゃんと認識している自分の顔にメイクを施し、女装好きの集う店に出入りして、様々な年齢の人たちと知り合うことになった。バイトもしているから、交友関係はだいぶ広がったと思う。それでも、深く付き合ったりするのは、限られた人間だけだった。  うわべだけの、知り合い。  そんなのが多い気がした。  だから地元の友人である朔と会うのは、光にしてみればとても楽しみなイベントだった。  夏休みで人の多い駅前。モカフラペチーノを注文し、作ってもらうのをぼぉっと突っ立って待っていたら、後ろから声をかけられた。 「うさちゃん、久しぶり」  光のことを呼んだのは、聞き慣れた遠藤朔の明るい声だった。光より少し背丈のある彼……と言っても、友人のほとんどは、光より大きかったのだが……まあそれは置いておくとして、朔は、「俺もなんか頼むから、その辺に座って待ってて」と軽く続けると、注文カウンターに向かった。  窓際のソファに座って、朔を待つ。  最後に会った時と、そんなに変わっていない。  アッシュ系のブラウンに染めた髪。細く整えた眉に、そんなには重たく見えない一重瞼。がりがりとまでは言わないが痩身で、半袖シャツから伸びた細い腕は骨張って見える。よく笑う口元からちらっと見える八重歯がチャームポイントで、人見知りしないからわりと誰とでも仲良くなれる印象だった。元々いくつかピアスが開いていたが、トラガスに一つ増えていたのに気がついた。それくらいだろうか、変わったところは。  尚志がピアスに詳しいので、少しくらいは光もわかるようになった。 (トラガス……)  尚志に、トラガスでも開けたら似合うと言われたことを、ふと思い出した。  光は、あまりピアスを開けようとは思わない。似合う似合わないではなく、痛そうだからだ。 「へい、お待ち」  ことん、と光の前に置かれた、チョコレートがけのオールドファッションがふたつ載った皿。朔は自分の注文したエスプレッソに口をつけながら、向かいの席に腰掛ける。 「……ドーナツ頼んでないけど?」 「うさちゃん、好きかなーと思って」  にかっとチャームポイントの八重歯を見せた朔は、一つそれを手に取って齧る。 「なんかあったの? まあ、別に今日でも平気だったけど」  朔はもごもごしながら、何か疑問に思っていたらしい科白を吐く。 「いや、ただ実家帰ってたからって話なんだけど」 「――あ、そうなん? ……まあ、いいか」  なんだか少し噛み合っていないような気がしたが、朔もすぐに、どうでもよさそうに違う話題に切り替えた。 「あのさあ俺さあ、今夜ちょうどライブやるんだよね。うさちゃん、一緒に来る? 八時からなんだけど」 「行く。久しぶりに朔ちゃんとこのバンド見たい」 「うさちゃん全然帰ってこないから」  即答した光にわざとらしく寂しそうな顔をして、朔はまたオールドファッションを口に入れた。疎遠になっていたのを気にしていた光から、思わず苦笑いが漏れた。  家に帰りが遅くなるからと一本電話を入れて、今日は一日朔と過ごすことにした。まだ時間はあるのだから、一日くらい潰れてもいいだろう。  ユイの牧草だけは、買って帰るのを忘れないようにしなければならない。

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