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第9話 ライブの後で

 ワンドリンクのコーラに口をつけながら、始まったライブを遠巻きに見つめる。先ほどの朔と眞玄のやり取りはなんだか気になったが、始まってしまえばぎすぎすした雰囲気もなく普通に演っていた。 (変なの)  二番目に出てきたプラグラインは、オリジナル曲と、既存のロックバンドのコピーをそれぞれ二曲ほど演奏していた。眞玄のボーカルは以前も聴いたことがあったが、軽そうな見た目と違ってしっかりしていて、安心して聴いていられる。  朔のベースも前より上達している気がしたし、ノリの良い選曲は、若干……というか、本当はかなり深刻な状態なのではないかとも思うのだが……悩みが発生していた光の心を、少しだけ上向かせたりもした。  ドラムを叩いているのは、まだ一度も話したことのない男で、名前もよく知らない。ハーフフレームの眼鏡をかけた大人しそうな彼は、たまに眞玄がシモネタ混じりのMCを入れたり朔に無茶振りしたりする中、ただひたすらにリズムを刻んでいて、職人という印象を受けた。 (こういうとこの空気、結構好き)  ライブハウスの客席の、薄暗さが落ち着く。音楽と人のざわめきがミックスされた空間。周囲にいるのは見知らぬ人間で、すぐ傍にいてもお互い好き勝手にしている。ここを出たら関わりのない人達。次に会ってもきっとわからない。 (柴田と会ったのも、ライブハウスだったけど……)  自分達は、出会うべくして出会ったのか、単なる長い人生の中の一コマでしかないのか、光にはわからなかった。それでも尚志と出会わなければ多分、女装なんていう変わった趣味に目覚めることもなく、男に体を預けたりすることもなかったのではないだろうか。  ユイが生まれることも……なかったのではないだろうか。  ふと目を閉じた。  これからどうしたら良いのかまるでわからないが、とりあえず明日悠司に会ってユイに出てきてもらい、少し客観的になろう、と思った。ユイが表に出ている時、光には意識はあるものの、どこか他人事になる。悠司の手がこの体に触れても、どんなに乱れたことをしても、それはユイに起こっていることであって光はあくまでも傍観者だ。 (僕もわりと、おかしい)  自分は尚志にされるのが好きで、彼以外に体を開こうとは、今のところあまり思わない。それなのに悠司とユイがしていることについて、特に何の感慨も湧かないのだ。一番最初にそうなった時は多少混乱があったように思うが、すぐに傍観者に徹することが出来るようになった。 (ユイ、明日には出てくる……よね)  ユイが電話口にも出てこないのが気になっていた光は、悠司を目の前にすればさすがに出てくるだろうと、なんとなく思っていた。悠司と過ごすのをとても楽しみにしていたのを知っている。  閉じていた瞼をゆっくりと開けた。演奏が止んで、最後のバンドの準備と入れ替わっているところだった。  夜の九時半を少し回っていた。本当は最後のバンドが終わるまでいるのが良かったのだろうが、明日の準備もしなければならないし、コインロッカーに預けた牧草も取りに行かなければならなかった。出番の終わった朔たちに軽く声をかけ、光は一人でライブハウスを後にすることにした。  喧騒から抜けると、少し耳鳴りがした。繁華街をこつこつと駅の方まで歩いていたら、背後から「待って待って」と走ってくる足音がしたので振り返る。  ちょっと息を切らした眞玄が、立ち止まった光の傍までやってきた。朔はいない。一人だ。一体なんだろうか。 「……眞玄さん?」 「うさちゃん、連絡先、教えて」  眞玄は自分のスマートフォンをポケットから出して、光に差し示す。光は何秒か迷ったが、友達のいるバンドの仲間が危険とも思いたくない。そんなに積極的に眞玄と友人関係を築こうとは思っていなかったが、連絡先を交換するくらいは構わないかと判断した。 「どうぞ」 「ありがとね」 「僕のナンバーなんて、朔ちゃんに聞けば良かったのに」  連絡先の交換を終えたスマートフォンが、光の手元に返ってくる。その手を引っ込めようとしたのだが、眞玄の手が捉えたので出来なかった。 「――え、何」  にやっと笑みを浮かべた眞玄は、そのまま光の肩を慣れた様子で抱き寄せた。眞玄のつけていたメンズ用の香水が、ふわりと光の鼻腔をくすぐる。少し身を屈めて、甘い声で囁かれた。 「まだ帰んないで? うさちゃん、これから少し、俺に付き合わない?」  朔が眞玄に、ナンパするなと言っていたのを思い出す。これはもしかしてナンパなのだろうか。可愛い子には見境がない、とも言っていた。光が警戒しても、仕方ない。これ以上よその男と関係をこじらせるのは嫌だった。尚志にも、悠司にも悪い。自分的にも、面倒臭い。 「いや……僕明日早いから。帰らないと」  思いの外冷静に対応した光が意外だったのか、断られると思っていなかったのか、眞玄は少し肩透かしを食らったような顔をした。 「うさちゃん、朔とは長い?」 「……? 高一からの、付き合いだけど」 「ちょっと相談に乗ってほしくてさ」 「知り合ったばっかで?」  光は不審な声を上げ、突然よくわからないことを言っている眞玄を見上げる。一体光に何の相談があるというのだろう。何だか裏がありそうで、嫌な気がした。けれども、楽しそうな笑顔に邪気は見えない。しかしそれは安堵感を誘い、別の何かを意図している可能性だってある。この男を深く知らないので、判断に困った。 「ホテルに連れ込もうってわけじゃないから、少しだけいい?」 「――あの」  また頭痛がしてきた。良くない前触れかもしれないと感じ、早く眞玄から離れたいと思っているのに離してもらえない。どうしてくれようかと考えていたら、やや強引に連れて行かれそうになった。 「眞玄さん、やめてくれる? 今日はほんと帰りたくて、時間ないから。……でないと」  若干強い口調でそこまで言ったのは、覚えている。  どうして途中で、眞玄とのやり取りが不自然に途切れたのか。  気づいた時には、光は既にコインロッカーに預けたはずのかさばる牧草を手にして、家路へと向かうタクシーの中にいた。スマートフォンで時間を確認すると、画面には23:08と表示されていた。一応日付も目視して、光の現在認識している八月二日で間違いないのは確認出来た。  今度は一時間強の、意味不明な空白が発生している。  やはりこれは、どう考えてもまずい。だらだらと冷や汗が出てくるのがわかったが、誰にも相談は出来なかった。  とりあえず家に帰ると、既に皆寝静まっていたので、静かに明日の準備をして光も早々に眠ることにした。考えても仕方がなかった。

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