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第14話 大事な話

 遠藤朔が自分のアパートで目を覚ましたのは、正午を過ぎた頃だった。昨日ライブが終わったあと、ドラムスの男と二人で居酒屋に行った。眞玄はいなかった。  エアコンもつけずに寝ていたので、じっとりと汗をかいている。  プラグラインの出番が終わって光が帰った直後に、眞玄は消えた。  可愛らしい子を見ると、すぐにナンパに走る。以前はそんなでもなかったのに、ここのところそれが顕著だ。性別問わずだったから、昨日光をライブに誘った後、もしかしたら連れてゆくのは止めた方が良かったのではないか、と若干危惧していた。予感は的中した。  高一の時に、同じ中学だった友達がいないクラスになった。周りは知らない人間ばかりでちょっと心細かったのだが、出席番号順ですぐ自分の前の席に座っていたのが光で、とりあえず近場から仲良くなろうと声をかけたらすぐに打ち解けた。今より小さくて、更に可愛かった気がする。 (ショタぁ、って感じだったよなあ)  勿論今も可愛いのだが、ついこの前まで中学生だった頃の可愛さはまた格別だ。しかし朔は光を色目で見ていたわけではない。  そんなんではない。  純粋に友達だ。 「くっそ」  それなのに、どうして今こんな思いをしなければならないのか。  昨日光に、眞玄と付き合ってるのか、なんてことを言われて、どうしてくれようかと思った。あんなナンパ野郎と付き合えるわけがない。眞玄もなんだかからかうような視線をこちらに送ってくるし、如何ともし難い。  またいらっとしながら、畳に敷いた布団の上でごろごろしていたら、スマートフォンがぽこぽこ鳴っている。別段急ぐこともせず、枕元に手を伸ばす。 「……眞玄」  更にいらっと来た。   macro「朔、起きてる?」   macro「昨日うさちゃんといっぱいお話出来たよー(///∇///)」  その顔文字をやめろ、と言いたい。何を照れ顔打ち込んでいるのだ。  やはり眞玄は昨夜、光を誘ってどこかに行ってしまったのだ。何もされなかっただろうか、という心配と同時に、朔の苛立ちはマックスになる。そんな報告されても、どう返せと言うのか。  返信もせずに放っておいたら、少しして更にメッセージが届く。   macro「朔に大事な話があるので、今からそっち行きます」  顔文字もスタンプもない、簡素な文章だけ送られてきた。  ライブの次の日は大体昼過ぎまで寝ていることが多い。眞玄もそれを知っているので、朔が外出もせずアパートにいると踏んだのだろうが、了承もなくいきなり訪問されても困る。朔の方には用事はない。 「ったく、ざけんなよな……なんだっつぅの」  布団を適当に二つ折りにして脇に寄せ、とりあえず洗面所で顔を洗ったりしていたら、歯を磨いている最中にチャイムが鳴った。  多分眞玄だろう。  仕方なく歯ブラシを咥えたまま玄関を開けると、予想通りの人物が立っていた。 「や、昨日ぶり」 「……なんか用? てか、来るの早すぎじゃね」 「もう昼だし、一緒にメシでもどうかなって。弁当買ってきた」  その手には、コンビニ弁当とペットボトルのお茶が二人分入った袋が下がっていた。確かに空腹ではあるのだが、どうしてこんな気分の時に眞玄と昼食を摂らなければならないのか。 「大事な話ってのは?」  歯ブラシをしゃかしゃか動かしながら、眉間にしわを寄せている朔を見て、苛立ちを察知した眞玄は軽く笑う。 「なんで怒ってんの? 昨日俺がうさちゃんと消えたから?」  わかっているなら聞かないで欲しかった。朔はちょっと声を荒げて、眞玄を睨みつける。 「あのさー、うさちゃんは俺のダチなんだよ。ナンパすんなよ。俺の立場が悪くなるだろ?」 「嫉妬してんの、朔。……それは、俺に嫉妬してんの? それとも、うさちゃんに?」 「はあ?」  訳知り顔で笑みを浮かべる眞玄は、軽く「上がるよ」と言って靴を脱いだ。部屋に上げるなんて一言も言っていないのだが、これまでも何度か来訪されたことはあった。 「……勝手に上がるなよ」 「まあまあ。固いこと言うなって。大事な話があるって言ったろう。朔も歯ブラシ置いて、こっち座って」  眞玄は勝手に畳の上に腰を下ろして、まるで我が家のように寛いでいる。なんなのだこいつは、と毒つきながらも朔は洗面所に歯ブラシを置いてくる。結局は眞玄の傍に座るとちゃぶ台に肘を付き、半眼で勝手に上がり込んだ相手を見た。 「んで? なに」 「昨日うさちゃんと話して、俺色々考えたんだけど。やっぱ俺、朔のこと諦められない」 「……なんの話」 「朔が昨日から苛々してんの、俺ちゃんと知ってる」 「だからなんの話」  一体どういう流れの話なのだ。光と何を話したのか知らないが、よくわからないことを言わないで欲しい。 「朔と俺、両思いじゃない? って話だよ」 「……意味不明なんだけど」  突飛なことを言われた。  どうしてそういう話になるのかわからない。 「朔さ……もしかしてあのこと気にしてる?」  けれど急に心の中にあるわだかまりを眞玄に指摘されて、朔は押し黙った。 「浄善寺(じょうぜんじ)のが可愛いって言ったのはねえ、本音っちゃ本音だけど、俺は朔に可愛さを求めてるわけじゃないから、いいんだよ」 「――そんなん聞いてないし」  じりっと、眞玄がにじり寄ってきたので、朔は思わず体をのけぞらせた。妙な間合いだ。いつも付けている香水の匂いがした。 (浄善寺と比べられたって、困るし)  浄善寺というのはドラムスの男だ。  彼が間にいるからなんとかバンドという形を取れている気がする。とても大人しい眼鏡くんだが、ドラムの技術は結構あって、たまに他のバンドのヘルプにも呼ばれたりする。彼は自分の苗字が気に入っており、下の名前では呼ばせない、というこだわりを持っていた。  以前眞玄がふざけて浄善寺は可愛いなあ、食べちゃいたいなあ、なんて言ったことがあった。尤も言われた浄善寺にしてみればいい迷惑で、冷たくあしらわれていたのだが……その時も、かなりむっとしたのを朔自身よく覚えている。  知ってる。  苛立ちの原因を、自分は認識している。  けれど、それがなんであるのか気づいていても、なかなか朔は認められない。何故なら眞玄の周りにはいろんな人間がいて、自分なんていてもいなくても一緒だからだ。  相手にされるわけがない。 (何が両思いだよ)  そんなの、信じられない。  だったらどうして、他の誰かと色々するのだ。昨日だって、光に付き合っているかと聞かれた時に、揶揄するような言い方をした。だから信じることなんて出来ない。からかって遊んでいるだけだ。  眞玄は年齢が一つ上だから、一学年上にも友達はたくさんいる。八方美人だから、知り合いも多い。女の子の扱いも上手だし、それなりにもてる。  だけど、  他の誰かと仲良くしているのを、見たくない。  心が狭いとは思う。  当の眞玄は、すぐに他の人間にちょっかいを出すような男だ。いちいち気にしていたら、身が持たないのに。 「あ、たまんねぇ……朔の汗の匂い……」 「――やめんか」  無遠慮に朔のシャツに顔を近付けて、眞玄はなんだか匂いフェチみたいなことを口走った。寝苦しくてだいぶ汗をかいた自覚はあったが、言葉にされるといたたまれなくなる。  何よりそんなことされると思わなかったので、心臓がきゅっと縮んだような気になった。苛立ちとは別の感情に支配されて、なんとも耐え難い気持ちになり、朔はその顔をぐいっと押しのける。  けれど眞玄は気にした様子もなく、またその顔を近付けてきた。軽薄そうに見える、いい男だ。――実際軽薄なのだが。 「ねー朔。俺昨日、うさちゃんに勇気づけられて、それで一大決心してここに来たんだよ。だから俺とちょっと、勢いでさ、一線超えちゃおう」 「……一体どんな話してたんだよ」  何を言い出すのかと、びっくりした。  一線とは、なんだ。  突然の思いがけない科白に固まった朔をじっと見つめ、しばらく眞玄は沈黙したが、やがてため息をついた。 「ごめん、昨日うさちゃんにも指摘されたんだけど……俺の態度とか言葉って、軽々しいよね」 「――は?」 「それでだいぶ損してるってさ。信用ならない輩に見えるって言われた。軟派な態度が染み付いちゃって、勘違いされるんだって。あの子、結構はっきり物を言うんだねえ……第一印象と違って、わりとびっくりした。でも、色々聞いてくれてさあ」  がさがさとコンビニの袋からペットボトルを一本取り出して、蓋を開けながら眞玄がしみじみ呟いた。本当に一体何を話していたのだ。  ふと、何気なく朔はその袋の中身を目視したのだが、弁当とペットボトルだけかと思いきや、なんだか余計なアイテムが混入しているのに気づき、口元が引きつった。 「なんでコンドームなんて買ってきてんだよ!」 「え、だから一線超えちゃおうよって。俺、朔とエッチがしたいんだ」 「やっぱそういう意味かよ! って、俺と、眞玄が!? 無理!! 俺そういうの、なし!」  どうしていろんなことをすっ飛ばして、眞玄がそんな思考に走るのかがわからない。  きっぱりと否定した朔に、ペットボトルに口をつけながら眞玄が「えー?」と不満そうな声を上げた。

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